2006年12月31日

今年最高の締めくくり!

昨日、12月30日、に嬉しいことがありました!

大手の保険会社の会長さんと酒を酌み交わすという大変な機会をいただいたのです。
普通なら、たかが町道場主である小生如きなど、会える筈のないような大企業のトップであります。

しかし、
トップに君臨されているにも関わらず、
尊大なところなど微塵もなく、
知・情・意、を体得された大人物でありました。

とかく人というのは、
知に走りすぎたり、
情をないがしろにしたり、
意が強すぎたり、
とするものですが、
会長さんは、知・情・意のバランスを見事に内奥されており、それが品格となって、こちらに伝わってくるのであります。

打てば響き、語れば花咲き、最後にはご自宅までお呼びいただき、宴は深夜まで及びました。

なんと、そのご自宅で、
前回、小生が書いた『弱者に手厚くできない輩』と同じような事を淡々と話されたのです。
これには、驚きました。

そして、
自分は間違ってなかったんだ。
と、嬉しさが込み上げて来ました。

今年もあと数時間ですが、
これだけは書いておかないといけないと思い、
取り急ぎ、書かせていただきました。

皆様、良いお年を!
posted by 井上誠吾 at 20:27| 日記

2006年12月29日

弱者に手厚くできない輩


新聞の片隅に、
『国民健康保険料が支払えなく、病院にかかれなくて死ぬ人が増えている』
と、書いてありました。

この国は、どうなってるの?
アベさん、これでいいのでしょうか?
政府はいざなぎ以上の景気が続いているといいますけど、
誰が、その景気の良さを実感しているのですか?

国民皆保険制度、は大切な制度だと認識しています。
しかし、支払えないような高額の保険料を国民に押し付けて、
いいわけがありません。
負担を増やすのでなく、負担を減らすのが、
政策というものではないのですか?

病院にかかれない人は、
毎日の食事を切り詰めて生活している、
と、いう現実を国のトップはどう見ているんでしょう。

国民が苦しむ一方で、
無駄な公共事業に莫大な資金が投資されています。

干潟、河川、道路、空港、観光施設はいうまでもなく、
グリーンピアや夕張市の破綻例を出すまでもなく、
国や地方自治体の無駄な公共投資は数多くあり、
その莫大な資金を投じた施設は、
今、廃墟となって、冷たい雨や雪に晒されています。

おかしいと思わないのかな、為政者は・・・。
ハッキリ言って、
厚顔無恥!
恥というものを知らないのです。

だから、
架空の事務所を開き、8000万近くの経費を不正処理したり、
民間なら家賃40・50万の豪華官舎に愛人を住まわせたり、
そんなことを平気でできてしまうのです。

それをやっている人は、
税制調査会長や行政改革大臣といった政府のトップですよ。
国民の中には、
健康保険料を払えない人がいるのに、
病院にもかかれなくて亡くなっていく人がいるのに、
この体たらくです。
アベさん、首を挿げ替えたら済む問題ですか?

景気が続いている?
笑わせてはいけない!
数字だけ見るな、実情を見ろ!
と、言いたい。

このままでは、
格差はますます拡大して、二極化していくと思われます。
国民が疲弊して、国が成り立つわけがありません。

国が弱者をいじめるという構図が、
今の、日本の世相にそのまま反映しています。

病院にかかれなくて亡くなっていく人、
いじめにあって亡くなっていく人、
借金苦で亡くなっていく人、
リストラ解雇で亡くなっていく人、

どうして、そうなってしまうのでしょう。

家庭で、地域で、会社で、国で、
強い立場にいる上の人間たちが、
もう少し、下に対して手厚くしようという心根があれば、
死ななくても済んだ人が沢山いるのではないでしょうか。

この国は、何をやっているのだろう。
この国は、どこへ行くのだろう

武道では、
強くなればなるほど、弱者に対する労りを必要としています。
上から物を言う輩、それら全員に言いたい。
武道の精神を学びなさい、と!

弱者に手厚くできない輩、
は、どこにでもいるものです。
しかし、そんな輩を野放しにしてはいけません。

闘う、べきです。
弱者のままで死んでいってはいけない。
こんな世の中だと、あきらめてはいけない。
闘うぞ、と決意した瞬間から、
その人は、もう弱者ではなくなります。

ある詩人が、
理想と希望を捨てた時、人は老いていく、
と言いました。

心ある人は、
理想と希望を捨てず、
生き抜いて欲しいものです。

posted by 井上誠吾 at 14:03| 日記

2006年12月27日

集中力&やる気



驚きました。
感心しました。
教えられました。

少年部の子供たちにです。
道場を開設して、まだ2ヶ月しか経っていません。当然、年内に審査する予定などまったくありませんでした。
しかし、基本、移動、型、すべての技において、来年の春の審査まで待つ訳にはいかないほど、子供たちの上達が早かったのです。

最初は、二人か三人くらいは受けさせられる、と思っていたのが、四人、五人となり、最終的には七人も受けることになったのです。
しかも、その中には、二人も飛び級がいます。
飛び級とは、オール10点を取らなければいけないのです。

当館の名誉顧問である神波先生に審査を見ていただきましたが、神波先生自身が「私はまだ基本も覚えていないのに」と脱帽されていました。
ちなみに神波先生は体力作りのため、週一回ペースを目標に汗を流されており、ご自身が稽古されているがゆえの実感ある発言なのであります。

入門時に、
天井をボーッと見ていた子もいれば、
ニコニコ笑ってヨダレ垂らす子もいれば、
稽古中にペラペラ喋りだす子もいたのですが・・・、
あの子たちは、いったいどこに行ってしまったのでしょう。

もう、ボーッとなんか見たりしません。
もう、ヨダレなんか垂らしたりしません。
もう、ペラペラなんか喋ったりしません。

正直申しまして、
この子たちには手が焼けるぞ、
と思っていたものですから、ちょっと拍子抜けしました。
なにせ、
あまりにも急成長されてしまったものですから、
もう少し位は、手を焼かせてくれても良かったんだぞ。
なんて、贅沢な注文もしたいくらいです。

小生は、日頃から、
集中力が大切だ、とか、
やる気は自分で作るんだ、とか、
ほとんど口癖のように言っています。

その小生が、子供たちを見て、
おおぉ、
集中力を大切にしているよ。
やる気を自分で作ってるよ。
すごいなぁ。
と、他人事のように感心してしまいました。

いやはや、立派なものです。
人は、集中力とやる気を持って事にあたれば、短期間でも成長できるんだぞ、と教えられました。

少年部の子供たちよ。
先生、教えられちゃったよ。
ありがとうな。

小生、
集中力とやる気でもって来年も頑張るぞ。
と、決意したところです。

posted by 井上誠吾 at 13:29| 日記

2006年12月23日

物の言い方 その2 亀田興毅君との会話



プロローグ
先日の『物の言い方』でナガイ、クドイ、シツコイ、
とのメールが入り、
亀田興毅君とのシュミレーション会話を削除したところ、
削除しない方が面白かった、
とのメールやお言葉を数多くいただき、再び、載せることに致しました。

ただし、全部を保存していなかった為、思い出しながらの再現となります。
一度、読まれた方は微妙な違いをお楽しみ下さい。
では、始めます。


小生とコウキ君が対談しています。
「コウキ君、笑顔がとても魅力的だね」
「まぁ、よお、言われるわな」
「強くてカッコいいし」
「あたりまえやん」
「癒し系・・・だよね、顔」
サル顔のコウキ君、満更でもなさそうに、
「そんなん言われたん初めてやな」
と、サルのように顔を赤らめます。
小生、コイツ意外と素直じゃん、などと思いつつ、
「立派な癒し系だよ!」
と太鼓判を押してやり、
「その上、強くてカッコいいんだから、人にやさしくしたら、日本中、いや世界中が君の笑顔に惹かれちゃうぞ」
すると、根が素直なコウキ君は、
「ほんまに?」
と子ザルのように鼻の穴をふくらませます。
「ほんまですがな」
小生、おもむろに関西弁で親近感を出し、
「そやから、強ようなったアンタはんは、もう威張らんでもよろしゅうおしがな」
「オッさん、どこの生まれや?」
「九州どすばってん」
「ナマリ、無茶苦茶やで」
「え?(親近感丸出しを反省し)・・・ゴホン」
「わざとらしい咳やな」
「コウキ君・・・正直に言います」
「あらたまって、なんやねん?」
「小生は、君のことが好きです」
「オッさん、そのケがあったんかい」
「いや、だから、その、そーゆー好きじゃなくて」
「わかっとるわい、からこうただけや」
「そうでっか。ほなら、話つづけさせてもらいまっさ」
「なんで、ナマんねん。ふつうにいけや、ふつうに」
「ハイ、いきます」
「いってらっしゃい」
「ただいま」
「もう帰ってきたんかい」
「アンさんが、いってらっしゃい言うから、帰ってこんと話がでけへんやろ」
「ナマリはええちゅうねん」
「ハイ、ではコウキ君、真剣に聞いて下さい」
「さっきから聞いとるよ」
「言います・・・勝って兜の緒を締めよ!」
「カルタ取りか?」
「もう一度言います。勝って兜の緒を締めよ!」
「カッテ、カブトノ、オヲシメヨ?」
「わかる?」
「バカにすな、買ってきたカブト虫の尾を絞めるんやろ」
「コウキ君、あのね、カブト虫買ってきて尾ッポ絞りあげても、君の人生になんの得もありません」
「得、あらへんの?」
「あらしまへん!」
「ナマルなっちゅうの」
「君、さっきから、いいツッコミしてるね」
「さんま、好きやからな」
「目黒のさんま?」
「明石家さんまや」
「うん、あれは美味しい」
「美味しゅうないわ。歯は喉にひっかかるし、いっぺん食べたら喋りっぱなしや」
「君、さっきから、いいボケもカマしてるね」
「芸人、好きやからな」
「そのうち司会なんかもやっちゃったりして」
「まぁ、イケるやろな」
「映画俳優なんかもやっちゃったりして」
「オッさん、よぉ、わかっとるやん」
「わかっとるよ、おじさんは。君のこと好きだから、君の生まれ持った、人間らしい味わいが好きだから」
「生まれ持った、人間らしい味わい・・・?」
「そう、サル本来の、違う違う、人間本来の」
「今、サルいうたで?」
「サルは人間の祖先という事! 芸人みたいなツッコミは覚えなくていい! 余計なこと言ったり、挑発したりしなくていい! 人の話を最後まで聞きなさい!」
「誉めとんのか、怒っとんのか、どっちやねん?」
「両方です」
「両方?」
「君の努力を誉め、君の言動を怒っているのです」
「わかるようなわからんような。変なオッさんやな」
「ほっといてんか」
「それにしても、オッさんも人に言われるやろ、人の話を最後まで聞きなさいって」
「(図星!)・・・・・・話を続けよう。あのね、その、どこまで言ったっけ?」
「サル本来の、まで」
「人間です、人間本来の、です。その人間本来の魅力が、君には備わっているのです!」
「・・・・・(つぶらな瞳で聞いています)」
小生も、それに応えるべく、真剣に話し始めます。
「その魅力というのは、強さだけじゃない。やさしさもある。君だって、いきなり強くなったわけじゃない、つらい稽古を重ねてきて、ここまで強くなったんだ」
「まぁ、そんなとこやな」
「小さい時はお父さんのこと強いと思ったろう」
「ほんなもん、強かったし、恐かったで」
「でも、今は、君の方がはるかに強い」
と、彼のつぶらな瞳を見つめ直し、
「君は、そのお父さんを尊敬し、そして、常にやさしく接しようとしている。素晴らしいことだよ」
「まぁ、そうゆーことになるんかな」
「そのやさしさをお父さんだけに向けるのではなく、マスコミにもスポーツファンにも、そして、君の周りの人、全部に向けるんだ」
「ほんなもん、疲れるで」
「疲れるさ。それがスターとなった君の役目だ」
「スターに役目があんの?」
「ある!」
と、小生は断言して、
「スターには誰もがなれるものじゃない。その世界の頂点に立った人には、それなりの役目を果たさなきゃいけない義務がある。その義務を果たせば、君は、もっと本物のスターになれる」
「もう、本物のスターになっとるで」
「悪いが・・・」
小生、慈愛あふれる目でコウキ君を見つめ、
「まだ、誰も、君を本物のスターとは認めてはいないよ」
「喧嘩売っとんのかい!」
「現実を言っている」
「なんやと!」
「君は、スターはスターでも、小粒のスターだ。本物のスターではない」
「おんどれ!」
「判らんのかッ、そうやってサル顔でムキになっている限り、小粒のままだということだ!」
と、一喝する。
やがて、渋い表情を見せて、
「やっぱり無理だな・・・君に、小生の話は理解できない。もう、やめよう」
と、背中を向けて去っていく。
「オッさぁぁぁーん!」
と、映画『シェーン』のようにコウキ君の叫び声。
「待ってんかぁ、ここでやめられたらカナわんでー!」
小生、立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「聞きたいか、坊主?」
小生、渋い、渋すぎる!
「オッさんが話たいんやろ?」
「(また図星!)・・・」
小生、再び、背を向ける。
「オッさぁぁぁーん!」
と、再び、コウキ君の叫び声。
小生、待っていたかのように振り返り、
「聞きたい?」
「すまん、素直に聞くさかい、話てぇな」
小生、コウキ君のほうが、ずっと大人だ、と思いつつ、
「うむ・・・では、話してあげよう」
と、姿勢を正して、
「本物のスターにあって、君にないものがある」
「なんや、それ?」
「礼節、です」
「レイセツ?」
と、目を輝かせるコウキ君。
「君の、その目の輝きは、君の拳と同じように、百万、いや千万、いや億万ドルの価値がある。しかし、その価値も礼節を知らなければ、紙くず同然だ。礼節を身につけよ! そうすれば、君の価値は無限大にふくらんでいく!」

ここまでくれば小生の独壇場です。
小生の話は、スポーツマンシップから始まり、武道精神へと流れ、ナガク、クドク、シツコク展開していくのです。

そして、最後に小生は、コウキ君に言うでしょう。
「コウキ君、まずは道場に来なさい。入会金はネ、君の場合、ファイトマネーもたんまり入った事だし、少し高めに」
「オッさん、損得に走っとるで!」
「君、その言葉遣いを直せと言ってるんだッ。それが礼節というものだ!・・・ええと、入会金はネ」
チャンチャン!

と、まあ、好き勝手に書かせていただきましたが、
このブログを見た亀田興毅選手や父上殿が、
「へタレブログ書きやがって、いっぺん、文句いうたろか」と会うような機会を作っていただければ、幸いです。
ぜひ、会いましょう!
その時は『礼節』の話をナガク、クドク、シツコクしますので、覚悟して下さい。



エピローグ。
一部、『物の言い方』と重複しているところがあります。
削除した部分を載せただけでは、内容が伝わらないと思い、あえて重複いたしましたこと、ご容赦下さい。

え?
ナガイ、クドイ、シツコイから、また削除しろですって?

「・・・・・・(聞こえません)」

posted by 井上誠吾 at 13:45| 日記

2006年12月21日

物の言い方

ボクサー・亀田興毅が初防衛を果たしました。
記事を見ると、試合後に父と共に号泣した、とあります。
テレビは見ていませんが、バッシングに堪えた二人の美しい“親子光景”がそこにあったのは想像できます。

マスコミは一転「大きく成長!」と彼を誉め称えています。
あれほど、激しくバッシングしていた人々は、どこへ行ったのでしょう?

『勝てば官軍』とはいいますが、
歴史が物語るように、けっして、勝った者が正しい、というものではない、というのは周知の事実です。

確か、前回の試合では、多くの少年たちに観て貰いたい、と2階席か3階席を安く開放したと思いますが、今回はどうだったのでしょうか。 
もし、同じように開放していないのなら、もう少年たちに夢を語るようなことはしないで欲しい。
すでに方向転換して、少年たちの憧れの選手でなく我が道をゆく、というのなら、それはそれで、こちらとしては、哀しい納得をせざる得ないのですが・・・。

小生、思うのですが、
大切なのは、物言い、ではないでしょうか。
彼がもし、記者会見で、
「倒し足るぞ、よぉ見とれや」
と、言うのではなく、
「倒しまっせ。よぉ見ておくなはれや」
と、物言い、を変えるだけで高感度は増し、あれほど酷いバッシングの嵐は巻き起こらなかったのではないでしょうか。

そうすれば、今回の記事の見出しも変わるでしょうね。
「どんなもんじゃい!」
との見出しも、
「どないでっか!」
と愛嬌が込められ、ファンは激増するでしょうね。

あのサル顔は、本来、癒し系だと思います。
それが、ツッパッて、恐持ての振る舞いをするものだから、誤解をされ、サルの師匠の調教の如く、マスコミやスポーツファンに叩かれてしまうのだと思います。

小生は、どうも、
サル顔で、ツッパッた物言いをしている彼を見ていると、
なんだか、サル芝居を観ているようで、可笑しくもあり、切なくもあり、笑いと同情を禁じえないのです。
本来なら、
サルは山里でサルらしい環境を与えれば、サルなりの幸せを感じる筈です。
彼も同様で、20才の若者らしい環境を与えれば、彼なりの幸せを感じるのではないかと思うのです。

その環境を与えてやるのが、バッシングではなく、教育です。

礼節、という、
サルにはマネ出来ない、人間ならではの徳目を彼に教えてやるべきでしょう。
もし、小生が彼の身近にいたとすると、礼節、というものを懇々と言って聞かせるでしょう。

このブログを見た亀田興毅選手や父上殿が、
「へタレブログ書きやがって、いっぺん、文句いうたろか」と会う機会を作っていただければ、幸いです。
ぜひ、会いましょう!
その時は『礼節』の話をナガク、クドク、シツコクしますので、覚悟して下さい。

posted by 井上誠吾 at 13:35| 日記

2006年12月20日

人は一人では生きていけない

人生、意気に感ず。
人というのは、お金や名誉で動くものではなく、潔くあたたかい気持ちで動くものなんだ。
最近、つくづく、そう思います。

当初は、たった一人で道場を立ち上げる意気込みでした。
しかし、一人、二人、と志を共にしたい、という人々が現れ、
やがて、三人、四人、となり、今では数多くの協力者、支援者、応援者、の皆さんに囲まれている事を実感しています。

本当にありがたく、感謝しております。

今思えば、
小生一人で立ち上げられるわけがない、
と傲慢さを恥じ入る思いです。

武道精神の奥にある武士道精神とは、
『人として美しく強く生きること』
に集約される、と小生は理解しております。

見渡せば、賄賂、汚職、談合、詐欺、裏金、天下り、闇献金、粉飾決済などなど、人間のエゴと欲望にまみれた世の中であります。

泥まみれの中でも、美しく強く生きていきたいものです。

漢の時代の、准南王劉安の著した『准南子』に、
『陰徳あれば陽報あり』
という言葉があります。
人に知られず陰で良い行いをしていれば、やがては良い報いがある、という教えであります。

小生の、好きな名言、のひとつであります。

しかし、そんな聖人君子な生き方など、そうは簡単にできるものではありません。
また、うがった見方をすれば、良い報いを得られたいから、良い行いをするのか、とも捉えられるでしょう。
それでも、この名言の持つ力、は大なり小なり、小生を勇気づけてくれているのは間違いありません。

かつてのサムライたちは、
美しく強く生きることを信条としていました。
その生き様こそが、『陰徳』に繋がるような気がします。

才に走らず、徳でありたい!

そうすれば、必ず、意気に感ずる人々の輪はさらに大きく広がっていくでしょう。
まるで、泥の中で咲く蓮の花のように、一つ、二つと咲き誇り、やがて、三つ、四つと増え、エゴと欲望にまみれた水面を埋め尽くしてくれることでしょう。

人は一人では生きていけない。
そう、実感する日々です。
posted by 井上誠吾 at 12:21| 日記

2006年12月18日

癒しの居酒屋店長さん

空手の稽古が終わって、何が楽しみかといえば、
ビールです!
で、顔なじみの居酒屋で楽しい仲間と一杯。
最高です!

小さな小さな、ほんの小さな幸せを感じる瞬間です。

「店長、ビール!」
と言えば、氷を入れた中ジョッキーと瓶ビールが届きます。
その氷入りの中ジョッキーにビールを注ぎます。
つまり、ビールのオンザロック。
細かい泡立ちと喉越しの冷たさがぐーんと増して、これがまた美味いのです。

小生は飲むと、小うるさくなります。
いえ、飲まなくても、小うるさいかも知れません。
いえいえ、手前味噌な表現で、一家言ある、とカッコつけさせて下さい。

小生の、その大したことのない、ヘタレ一家言に、
店長の皆さん方は、笑顔を絶やさずに応対してくれます。
皆さん方、というのは行きつけの店が数店あるからです。

どの店の店長も素晴らしい!
氷を入れた中ジョッキーから始まり、座る場所の変更から、冷暖房の調整から、メニューにない食材の注文から、
喜んで!
とニコニコしながら受け入れてくれるのです。

あの笑顔の裏には、「いいかげんにしろよ、コイツ」と怒りの形相が隠されているのかも知れません。
しかし、そんなことはおくびにも出さず微笑み続けます。
相当な役者です。
そうでなかったら、相当な人物です。
もし、万・万・万が一、それが演技だとしても、
人を楽しませるその演技力と、美味い酒と肴に酔い浸り、
こころはすっかり癒されていくのです。

思えば・・・
もし、この世の中に『居酒屋』というものがなかったら、
小生の人生は、
灯が消えたように面白みがなくなるような気がします。

『居酒屋』では、
様々なことを勉強させていただきました。
友人、知人、同僚、先輩、後輩、親友、恩師、保護者、ご近所さん、そして彼女(言い訳がましく妻)、さらに子供、
と、いろいろな人々との交流の場所。
それが、
『居酒屋』でした。

酒はジュンカツユです。
と、なじみの店の一軒に、書家の先生が書かれた掛け軸、があります。
まさにその通りです。

気のあった、こころ許せる人々と、酒を酌み交わし、箸をついばみ、胎を割った会話をする。
そこから、創作が生まれたり、将来の展望が開けたり、勇気と元気、さらにやる気までも貰ったりするのです。

今日も
暮れなずむ街に
居酒屋の灯がともるだろう
あの人もこの人も
今日一日 精いっぱい頑張ると
夜光虫のように 居酒屋の灯に魅せられていく
あなたの街の もう一つの家族
それが居酒屋です

このブログは、ごらんのスポンサーの提供でお送りいたしました。
大泉学園町『五島』 
西荻窪駅前『村さ来』
富士見台駅前『庄や』
posted by 井上誠吾 at 11:44| 日記

2006年12月16日

夢も希望も生き甲斐も

ついに松坂投手が大リーグ入りを果たしました。
彼は記者会見で、
「ボクは元々、夢という言葉が好きではない。見ることはできても、かなわないものが夢だと思っているからです。ボクはずっとここで投げられると信じて、それを目標にやってきたから、今ここにいるんだと思う」
と語っていました。

夢という言葉が好きではなくても、
もし、少年時代の松坂が、野球選手という夢を描かなかったら、
“大リーグ投手・松坂大輔”
は誕生しなかった筈です。

「松坂は松坂、所詮は自分なんかとは違う世界の人間だ」
と、思っている人は案外多いのではないでしょうか?

確かに、夢とか、希望とか、生き甲斐とか、を持てなくなってしまった社会です。
また、なまじっか夢や希望を持ったばかりに挫折して、生き甲斐を失うこともあるでしょう。

小生の尊敬する経営の神様・松下幸之助翁は、
「失敗を恐れて行動しなければ、成功もありえない」
と仰せであります。

何かをやろうとする前から、夢も希望も生き甲斐も捨て、諦めてしまうのは、どうかと思います。
松坂投手が「ボクはずっとここで投げられると信じて、それを目標にやってきたから、今ここにいるんだと思う」というように、どんな人だって、自分を信じて、目標に向かっていけば、やがて、夢も希望も生き甲斐も、手の届くところまでやってくるのではないでしょうか。

野球選手に限らず、歌手、俳優、作家、政治家、実業家、宇宙飛行士etc・・・
みんな、最初に夢を見たから、その職業での成功を掴んだのだと思います。

「この世に生を得るは、事を成すにあり」
大法螺吹き、といわれた坂本竜馬の言葉です。
一介の浪人でしかなかった竜馬に、夢と希望がなかったら、維新回天の大事業は成し遂げられなかったでしょう。

夢も希望も生き甲斐も、
どデカく持って、生きようじゃありませんか!
失敗してもいいのです。
目標に向かって頑張っている人こそが、人間として、強く、美しく、輝いているのです。

志を持つことなく死んでいくより、志を持って、それに向かって死んでいくほうがいい、
たとえ、夢も、希望も、かなえられなかったとしても、そこには、きっと、生き甲斐だけはあった筈です。



次号のタイトルは、『癒しの居酒屋店長さん』です。
乞う、ご期待!
posted by 井上誠吾 at 11:19| 日記

2006年12月14日

両親の無言の愛──その時、少年はいじめを受け入れた。自己主張が強く協調性のない少年VSいじめ派遣軍団の熱き闘い!

2時間ドラマのタイトルです。
あ、いえ、違います。あぶないあぶない、書いている本人がすっかり勘違いしてしまいました。
え?「なにが勘違いだ、ウケ狙いで書いてるクセに」ですって?
そんなあなた、ウケなんて・・・スミマセン、狙ってました。

と、また長文を予感させるクドイ前置きからスタートさせていただきます。
さて、小生のいじめです。
『両親がいたからです。両親の愛情を深く感じていたからです』
と、書いたところで、次号でしたね。
続けます。

以前にも書きましたが、少年時代の小生は“自己主張が強く協調性がない少年”で、周囲と打ち解けず、何かと問題児扱いされていました。
いじめの内容で、何が辛かったかと言えば、無視、でした。

当時、同級生から上級生まで仕切っている番長がおりました。
その番長が、遊びから悪事まで、何かにつけて小生を誘ってくるのですが、小生は行動を共にしようとはしませんでした。
理由は、群れるのが嫌だったからです。
番長にすれば、それが面白くなく、集団で無視するように指示を出していたのです。

“自己主張が強く協調性がない”ということは、言い換えれば“自分という存在を人に認められ仲良くして貰いたい”という逆説に至ります。
小生にとって、無視されることほど、寂しく、辛いものはありませんでした。

それでも、堪えている小生に対して、番長は、子分に喧嘩を売らせたり、暴言を吐かせたりするものですから、三日に一回は喧嘩をしていました。

誤解のないように言わせていただきますが、粗暴な振る舞いが好きで喧嘩をしていたのではありません。
むしろ、争いごとは嫌でした。
しかし、子供ながらにも、降りかかる火の粉は払わなければいけない、と思っていたのでしょう。身を守るための必死の闘いだったのです。

番長には常に苦戦を強いられていました。
戦績は、当時の大鵬と柏戸と似たようなもので、番長が大鵬で小生が柏戸です。つまり、圧倒的に“大鵬番長”が強かったのであります。
この番長との闘いは、中学まで何十回と、続いていくのであります。
番長には負けていましたが、あとの子たちとの闘いには必ず勝っていました。しかし、勝っていながら、泣くことが何回もありました。
どうして泣くのか、それは・・・、

こんな喧嘩なんかして、両親が悲しむだろうな。

と、両親の顔が、思い浮かぶのです。
その思い浮かんだ瞬間、なんだか知らないけど泣けてくるのです。
だから、いつも両親のことは、思い出さないように、思い出さないように、と心掛けながら喧嘩をするのですが、思い出さないようにすればするほど、反比例で思い出してしまうのてず。
そんな時は、勝ってる喧嘩を途中で放り出して、人目のつかないところへ駆けて行っては泣いていました。

なぜ、泣いてしまうのか?

今、ふり返れば・・・無言の愛、だと推察します。
そこに存在しているだけ、ただ、それだけでいい、無言の愛です。
両親の無言の愛、を感じていたから、こんなことしてていいのかな、と泣いていたのではないかと思われます。
では、
両親が、何か特別な情愛を子供に注いでいたかといえば、そうではなく、ごくごく普通の両親でした。

ただし、子供を信頼し、子供を誇りに思ってくれていた、ような気がします。
それは、小生が、嘘をつかない子だったからか、決めたことは頑張る子だったからか、自分の意見を持っている子だったからか、その辺は定かではありません。
しかし、親から信頼され、誇りに思われている、ということが子供ながらに感じられ、嬉しく思っていたのは事実です。
自分のことを心から理解し、心配してくれる親がいる。
小生は、それだけでよかった。
おそらく、それだけで、いじめを弾き飛ばすエネルギーが湧いてきていたのでしょう

風の便りでは、番長は、その後、大人になり、ヤクザになったと聞いております。そして「井上クンに会いたい」と言っていたとも聞いていますが・・・もう40年も会っていません。
いい体験をさせていただきました。
番長に感謝!

さて、他の“いじめの派遣者”の中には教師もいます。
この教師のいじめは、長くなりますので、次号にお伝えしたいと思います。

はい?「長くなってもいいから、今伝えろ」ですって?
確かに、今、教師のいじめが深刻な問題になり、ふとした教師の発言が生徒を自殺に追いやっているようです。
小生の体験が、現場の教師に届くことを願いつつ、お伝えすることに致します。

長くなりますので、疲れた方はコーヒータイムを!
はい?「そんなこと書くから、長くなるんだ」ですって?
スミマセン・・・先へ進みます。

では、その教師の話。
小生が中学2年の時の担任教師でした。
「俺は竹を割ったような性格だ」
という男気を感じさせる人で、実は小生、その“竹割り先生”の歯に衣着せぬカッコ良さに憧れていました。
しかし、その竹割り先生が、突然、
「おまえは二重人格か!」
と怒鳴りつけて来たのです。
「どうして二重人格なんですか?」と問うと、
「おまえの胸に手を当てて聞いてみろ」と、放課後ずっと職員室の中に立たせて、竹割り先生は部活へと去っていったのです。
それを見ていた中1の時の担任の女性教師が
「帰りなさい。あとは先生が○○先生(竹割り先生)と話をしてあげるから」
とやさしく帰してくれたのです。
この女性教師は中1の三者面談の時に、
「この子は集中すれば才能を発揮します」
と母親に言ってくれた先生でした。
外見は女性らしさを保ちながらも、廊下ですれ違うと「おう井上!」と声をかける男っぽさも併せ持つ素敵な“おなご先生”でした。

その後、竹割り先生は一変しました。
おそらく、おなご先生が彼女特有のやさしさと強さで、同僚の竹割り先生を諌めてくれたのではないかと推察されます。

一変したと言っても、誤解のないように。
悪い方に一変したのです。
竹割り先生は、おなご先生の眼の届かないところで、舌鋒鋭く、“口撃”を仕掛けてくるのです。なにせ、竹を割った上に歯に衣着せぬ人ですから、思ったことを飾らずにカラッと仰ってくれるのです。
国語の授業中に「この中に二重人格者がいる」とか。
竹割り先生は社会も教えており「嘘つきは泥棒と同じように社会にとって悪い」とか。
下校時のホームルームで「生活保護者は給食費は払わなくていいから」とか。

実は・・・この生活保護の言葉が最も効きました。
この頃、我が家は父親が病気がちで入退院を繰り返しており、生活保護を受けていたのです。
小生はそのことが恥ずかしくて恥ずかしくて溜まりませんでした。
そんな小生の心の内を知ってか知らずか、竹割り先生は歯に衣着せぬ言葉で、小生の心を竹を割るかのようにスパッと叩き割ってくれたのです。

以来、竹割り先生に冷たく監視され続け、次第に学校が嫌になっていきました。
しかし、不登校にはならなかった。

親の、無言の愛、があったからです。
親から信頼され、誇りに思われている、ということが、学校へ行って頑張ろうという勇気を与えてくれていたように思います。
そして、学校には、おなご先生もいました。
おなご先生は、廊下ですれ違うたびに「おう井上、頑張ってる?」と声をかけてくれていたのです。
その微笑みは美しく強く、まるで女神のように、小生に希望の光を注いでくれたものです。

未だに、竹割り先生がなぜ「おまえの胸に手を当てて聞いてみろ」と言ったのか理由が判りません。
なんとなく思い当たるのは、女子の告げ口です。
一度だけ、小生が番長と喧嘩しているところを女子に見られ、先生に言うなよ、と口止めした事がありました。
おそらく、竹割り先生は、普段はおとなしそうにしている小生が、裏では喧嘩したり、女子に口留めしたりしているという“現実”を怒ったのでしょう。
その“現実”を小生の口から言わせたかったのではないかと推察しております。

ともあれ、
憧れていた竹割り先生に嫌われ、キツイ言葉の“口撃”はショックでしたが、これもまた、いい体験をさせてもらったと感謝しております。

え?「なにが感謝だ。カッコつけるな、本音は恨み節のひとつも言いたいんじゃないのか」ですって?

確かに、恨み節の一つも言いたかった。
実際、卒業式が終わった時、復讐目的で、竹割り先生を襲おうと木刀とかバールとか得物を探して歩きました。
すると、そういう時に限って、両親の顔が浮かんでくるのです。やがて、何やってるんだ俺は・・・と反省し、事件にならずに済んだのです。
正直申しまして、大人になっても、竹割り先生への恨みは消えませんでした。
竹割り先生が出席する同窓会があったら、必ず出席して、毒のある恨み節を吐き付けてやる、と報せを待っていたくらいです。
一度、その同窓会のチャンスが訪れたのですが、仕事と重なってしまい、意趣返しは成就しませんでした。

やがて、時の流れが薬となって、小生を癒してくれました。
そして、様々な環境が小生を鍛えてくれ、いつしか竹割り先生に対する恨みは消えてなくなりました。

おそらく、竹割り先生は70才前半で、ご存命だと思います。
何かのツテを経て、このブログをご覧になるようなことがあったら、
「すまんな、竹を割ったような性格だから、スパッと忘れてた」
と、どうか、笑い飛ばして下さい。
それでいいのです。
小生のような生徒もいれば、竹割り先生に憧れる生徒も数多くいたのですから。
豪放磊落で大胆な先生に、繊細さを求めるのは酷というもの。事実、かくいう小生が繊細さにかけているのですから、文句は言えません。

ただし、小生のような生徒がいたということは、今もいるかも知れない。
その辺のところ、小生のこの思いが、通りすがりの現役の先生方の目に止まり、理解していただければ嬉しく思います。

振り返れば、小学3年から中学3年までのいじめられ体験は、小生の人生にとって、決してマイナスではなかったと思っています。
あの頃は、思い出すのも嫌なくらい、辛く苦しかったけど・・・あそこで死んでいたら、ただ辛く苦しむためだけに生まれてきたようなもので、虚しさだけが残ります。

釈迦は、「人は、人生を楽しむために生まれてきた」と説いています。
釈迦の説くところの「楽しむ」とは、何も一時的な享楽にふけることではなく、清も濁も、善も悪も、そして苦も楽も、全てをひっくるめて人生を楽しむ境涯を持ちなさい、ということなのでしょう。

小生、修行がまだまだ足りません。
酒、という享楽にめっぽう弱いし、いまだに自己主張はあるし、様々な煩悩を抱えた人間です。
それでも、亡くなった父や年老いた母の、無言の愛、に支えられて生きております。

諸々に感謝するのみであります!

追伸 また長文になりました。
なるべく、短く判り易いブログを目指し、学習していきますので、時間がある時にでも覗いて下さい。
posted by 井上誠吾 at 18:43| 日記

2006年12月11日

ちょっと待った

今度は中学生が自殺をしました。
自殺連鎖です。死ねば楽になると思ってしまうのは、けっして良くない事です。
前号で、『両親の無言の愛──』を予告しましたが、急遽、次号に先送りさせて頂き、今回は、この中学生の自殺について語りたいと思います。

中学生は「絶対生まれ変わってやる。ほんとにごめん」と遺書に書いていたらしいのです。両親がいうには「今月に入ってバスケットボール部のレギュラーを外され、気にしていたようだ」とのこと。この記事を見て、暫し、唖然となりました。

以下、追悼の念を込めて、亡くなった中学生に言葉を送りたいと思います。



自殺した中学生君。

あのね、死者に鞭打つつもりはないけど、ハッキリと言わせて貰うよ。
君は罪作りなことをしてしまったよ。
「絶対生まれ変わってやる」
そう遺書に書き残したようだけど、君の両親はどう思うんだろう。
今度はほかの誰かの子として生まれ変わりたいわけ?

小生にも二人の子供がおります。
その子供たちがもし、同じような遺書を残して自殺したら、小生は自責の念に駆られて生き地獄状態に叩き落されるでしょう。

「ほんとにごめん」
という気持ちがあったのなら、あてつけるような死に方をしてはいけないよ。死ぬくらいの勇気があるんだから、恥ずかしくてもカッコ悪くてもいいじゃないか、どうして両親に相談しなかったんだ。

バスケット部のレギュラーを外されたことを気にしていたようだけど、外されたのは、君一人だけじゃないだろう? 外された人は沢山いる筈だと思うよ。
プロ野球を観てごらんよ。
大衆の面前でピッチャー交代させられてるよ。
「おれはまだ投げれる」
って思ってるのに、屈辱だよね。
でも彼らはその屈辱を乗り越えて、次の登板に向けて頑張ろうとするんだ。
文句も言わずにマウンドを去っていく彼らにはこの瞬間を耐え忍ぶというカッコ良さを感じる。

君もそうさ。外されたら、次に入れるように頑張れば良かったんだよ。
君だって、いきなりレギュラーを獲得したわけじゃないだろう?
レギュラーを勝ち取った時の喜びの大きさは、君が頑張った分の大きさと同じだったと思う。だったら、もっと大きな喜びを得るために、もっと頑張って欲しかったな。

外されたのは君のプライドを傷つけたのかな?
でもね、世の中、いろいろな意味で外された人が数多くいるんだよ。
もし、君が生きていた場合。
君の、その後の人生を語らせて貰うと──
まず高校受験で外されるかも知れない。そして、クラスメートとの恋で外されるかもしれない。大学受験も然り、そして就職も、やがて結婚、出産、子育て、リストラ、定年、再就職、老後・・・。
なんか切なくなってくるね。
生きていたら、君の人生には外される困難ばかりが待っていた。
君は、そのたびに死を考えることになる。
しかし、
この困難は、なにも君だけの問題ではなく、生きていく限り、全員に降りかかってくる宿命という、避けては通れない問題なんだよ。
みんな、同じなんだよ。

君はきっと、プライドある人だった、と推察します。
人間としてプライドを持つことは悪いことではないと思います。
でもね、死を選ぶプライドなんてありません。それはプライドではなく、個人の小さな自惚れです。

「絶対生まれかわってやる」
というけど、生まれ変わって、何かで外されたら、また死ぬのかな?
強く賢い人間に生まれ変わって、外されることなく、エリート街道を邁進していこう、という気概があるのだろうけど、それはそれで、また大変だと思うよ。
エリートであればあるほど、上に行けばいくほど、そのポストなりの苦悩や葛藤や責任は付きまとうんだよ。
君は、その重圧に耐えられるかな?
あのね、小生は、エリートになったからって偉いんじゃない、と思っている。
どういう人が偉いかといえば、『外されても負け続けても、そこから這い上がろうと頑張る人』が、偉い人だと思っています。

君、今、自殺して楽になったかい?
おそらく、後悔しているだろうね、『命』が・・・!
可哀想に、苦しいだろう、辛いだろう、痛いだろう、恐しいだろう。

小生は無宗教だけど、釈迦の宇宙観は信じています。
その釈迦の法話に「自殺したら黒縄地獄へ行き、熱い炎に焼かれ、鉄の刀が林立する地面につき落とされ、鉄の牙をもった犬にくわれ、その苦しみは千年も続く」とある。千年というのは人間界の千年より、もっと永い年月らしい。君の『命』は、その苦しみに堪えていかなければならないんだ。
可哀想に・・・。

仕方ないよ、自ら命を絶ったのだから。
自殺するということは、それほど罪が大きいということです。
永い年月をかけて、自殺したことを心から反省していくしかない。
どうか『命』の苦しみに堪えて下さい。
そうすれば、やがて、君の望み通り、絶対生まれ変わってこれる、と思うよ。
しかし、生まれ変わったら、例え何かで外されるようなことがあっても、もう二度と自ら死を選んではいけないよ。
両親に感謝しながら、自分のできる限界まで挑戦してみるんだ。
その頑張る姿に対して、両親は勿論、周囲の人々が君の奮闘を称えてくれるよ。

人の幸せは地位、名誉、財産だけでは、けっして計れない。
自分の周囲に、自分のことを心から理解し、心配してくれる人が何人いるかどうか、が幸せを計る上で大切なことだと思うよ。

君、今は霊魂となったのだから、小生の言葉が届くよね?
小生は、霊魂とかスピリチュアルとかの世界はよく判らないけど、死後の世界や生まれ代わりの宇宙観的な論理は信じられます。
君は、釈迦の説く永い年月を堪えて、きっと生まれ変わってくる。
そしたら、周囲の人が喜ぶくらいに頑張って生きてみよう!
さっと、いいことがある。
雨になれば晴れる、夜になれば朝がくる、冬になれば春がくる。嫌なことや悪いことのあとには、必ず良いことがやってくる。
そう信じて、生きていこう。
何も難しいことじゃない。みんな、同じなんだ。
同じように、生きて、死んで、を繰り返しているんだ。
だから、今を大切にすべきなんだ。

中学2年までの君の人生と、宇宙に存在する君の魂に。

合掌!



というわけでして、また長文になってしまいました。
亡くなった彼に、小生の思いが届けば嬉しいのですが・・・。

本当に、自殺の連鎖は止めなければいけません。
自殺者が3万人を超えています。見渡せば、困難だらけな世の中です。
しかし、死ねば、この世の苦しみの比ではない『命』が苦しむ無間地獄が待っています。
釈迦のあまたの法話の中に、
「ガンジス川の砂の数ほど生き物はいるが、人として生を受けるのは爪の上に乗る砂ほど稀なこと」
とあります。
それほど、人として生まれてきたことは価値がある、ということだと思います。
ふりかかる困難を弾き飛ばし、生きることを楽しみましょう!
posted by 井上誠吾 at 10:41| 日記

2006年12月09日

自殺の連鎖を止めたい。

女子高生が電車に飛び込み自殺をしました。
いじめとは関係がないのかもしれませんが、自殺の連鎖だけは止めなければいけません。そうは言っても、小生がここでいくら叫んでも止まるわけでもなく。せめて、このブログを覗いていただいている方々にだけは、切なる思いが届けばと願っております。
かく言う小生は、人に物言えるほど立派な人間だとは決して思ってはいません。短所もあれば欠点もある。否、おそらく、人並み以上に短所だらけ欠点だらけだと言っても過言ではないでしょう。

そんな奴が、なんでいじめについて物が言えるのか、と思う人もおられるかと思い、あえて告白します。

実は、小生もいじめられていました。
小学3年頃から中学3年までの間です。いじめを仕掛ける相手は様々です。番長、仲良しの友達、近所の子、女の子、教師等々、まるで“いじめの人材派遣”のように次々と派遣者が現れたものです。
その内容は、無視もあれば、告げ口もあれば、暴力もあれば、暴言もあれば、これまた“いじめのコンビニエンスストア”状態でした。

どうして、いじめの対象にされたのか? 
それはおそらく小生が“自己主張が強く協調性がない少年”だったからだと思われます。しかし、これ、見方を変えれば、“自分の意見を持った個性ある少年”と言い換えられるのではないかと、今なら言えるのですが・・・。

今回は、そんないじめられた体験者として物を言わせて貰います。
テレビでコメンテーターの人たちが「自殺する前に、親でも友達でも先生でも、身近な誰かに相談しなさい」と言っていますが、いじめられている当事者は、そう簡単に誰かに相談できるものではありません。
その理由として、以下が挙げられると思います。
1 いじめられている自分という人間が恥ずかしい。
2 こんなことで親に心配かけたくない。
3 先生に相談することは告げ口しているようで嫌だ。
4 身近な友達はいじめられているのをすでに知っているので、相談しようがなく、相談すれば友達が巻き込まれる。
これは、小生がいじめられていた当時に感じていた事です。
今、こうして思い返すだけでも、心底から、辛く、寂しく、嫌な体験でした。
しかし、自殺などは考えもしませんでした。

それは、なぜか?
両親がいたからです。両親の愛情を深く感じていたからです。

と、佳境に入ったところですが、以下は次号にさせて下さい。
は?・・・「何をもったいぶってるんだ?」ですって?
違うんですよ。小生のブログを読んだ方々から「クドイ、ナガイ、シツコイ」とご指摘を頂戴したものですから、最後まで、読んでいただく為には、この辺で一区切りしておいたほうがよいのでは、と思っておるのでございます。
では、失礼します。

あの・・・「クドイ」と思われるかも知れませんが、次号のタイトルだけ紹介させて下さい。
『両親の無言の愛──その時、少年はいじめを受け入れた。自己主張が強く協調性のない少年VSいじめ派遣軍団の熱き闘い!』
なんか視聴率が欲しくてたまらない2時間ドラマのタイトルみたいですね。
「ナガイ」と言われそうなので、この辺で。

あのぉ〜・・・最後に、もう一言だけ。
このブログはノンフィクションであり、登場する人物や団体等は実在のものであります。
と、また余計なこと書いてしまった。
でも、その、小生は、けっしてふざけているわけではなく、いじめに対して、真剣に語っているつもりですから、誤解のないようにお願い致します。
「シツコイ!」ですって?・・・退場します。
posted by 井上誠吾 at 13:01| 日記

2006年12月04日

空手・いじめ・この国のかたち

いじめが社会問題化しています。政府も緊急提言を出し、なんとか解決しようとしているみたいですが・・・。
政府の提言は8項目ありました。天邪鬼な小生は、気が付くと各項目に「違うだろ」とツッコミを入れながら新聞を読んでおりました。以下、新聞記事を要約しつつ、その時のツッコミを再現したいと思います。

1 『いじめは反社会的な行為として絶対許されず、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者である』
  ──ここでツッコミ「小市民を加害者扱いするわけ? 談合・賄賂・横領・裏金・無駄な外郭団体&公共事業等々、見て見ぬしているのは誰よ?」

2 『学校はいじめを起こす子供には指導、懲戒の基準を明確にし、社会奉仕、個別指導など、規律を確保するため全教員が対応をとる』
  ──再びツッコミ「懲戒?子供に制裁? あのね、社会奉仕というのは、やらされるんじゃなくて、自ら行うからこそ価値があるんじゃないの」

3 『いじめられている子どもには守ってくれる人や必要としている人が必ずいると指導し、小さなサインも見逃さないようにする』
  ──呆れてツッコミ「あのォ、こんなこと活字にして説明しなきゃ、今の学校の先生たちは、生徒に対して愛情というものを持ってなかったんですか?」

4 『教育委員会は、教師がいじめをしたり、放置・助長した場合は、その教師に対して懲戒処分を適用する』
  ──怒りのツッコミ「今度は教師を懲戒かい? 子供にしろ、教師にしろ、現場の当事者で弱い立場なんだから、その上の教育委員会とか文科省の構造悪の見直しをすべきでは?」

5 『学校は事態に応じ、校長、教員等でチームを作り、生徒間での話し合いも実施し、一人一人の子供との人間関係を築き直す』
  ──ア然のツッコミ「これも同じ。活字にしなきゃ、先生は子供と向き合わないんだ? 先生=聖職の時代に戻そうよ。頑張ってる先生はいる筈です。そんな先生は怒ったほうがいいですよ」

6 『学校はいじめを隠さず、校長や教員でチームを作り、いじめが発生するのは悪い学校ではなく、いじめを解決するのが良い学校、との認識に立つ』
  ──笑いのツッコミ「ハッハハハ。良い子悪い子普通の子のバラエティーのノリだな。あのね、安倍総理、美しき国づくりをしたいなら、世の先人、偉人、天才たちの声を真摯に聞いてみたら?」

7 『いじめは家庭の責任も重大である。保護者は、子どもと向き合い、ほめる、励ます、叱るなど親としての責任を果たす』
──下からツッコミ「家庭があり、地域社会があり、その上に国があるのなら、まずは国が姿勢を正し、家庭の範となる責任を果たして貰いたいなぁ」

8 『いじめ問題は、一過性の対応で終わらせず、教育再生会議としても、さらに真剣に取り組むとともに政府も一丸となって取り組む』
  ──最後のツッコミ「いいかげんにしてくれ。政府の高官から民間の見識者までが顔を揃えた上での教育再生会議ではなかったの。その締めくくりがコレかい?」

とまぁ、このような感じで、ブツブツと突っ込んでおりました。

小生、正直申しまして、このような政府の提言ではいじめがなくなるとは思えません。
第一、安倍さんを見ていると、小泉チルドレンへの対応そのものがいじめではないの、と思えてくるのですが。
それにチルドレンを育てたご本家の小泉さんも「政治家は使い捨てだ」と育て親とは思えない切捨てをなさっています。
どうも、国のトップに立つ人は「目的のためなら数を力に理不尽な押し付けをしてもよい」という感覚に陥るようです。これこそが“いじめの構図”なのではないでしょうか?・・・教育再生会議の皆さんは「国がいじめの模範になっています」と進言してはどうですか?
非常に残念です。これでは国民が納得するいじめ対策は出てこないでしょう。

いじめは人間社会がある限り、根絶することはないとは思います。
しかし、これ以上の自殺者を出さないように歯止めをかける施策と努力は怠りなく続けなければなりません。
先日、テレビでコメンテーターたちが「死んではいけない」と視聴者に熱い声で訴えていました。コメンテーターたちの自殺を止めたいという気持ちは判りますが、小生には表層的で説得力のない言葉としか受け取れませんでした。

小生なりに生意気を言わせて貰えば「死んだら卑怯だ」と叱ってやりたい。特に遺書でいじめた友人の名前を書いて死んだりしては、「今まで懸命に生きてきた君の短い人生に泥を塗るような死に様じゃないか」と叱り飛ばしてやりたいくらいです。

空手は武道です。その精神の源は武士道にあります。
かつての武士たちは切腹という美学の中で自殺を容認していましたが、その自殺の目的は「自らの誠実な生き様を証明する」ことにあったのです。真の武士とは「死に媚びるは卑怯」としておりました。武士の切腹という自殺には「自分が死ねば、いじめたアイツが困るだろう」という姑息な算術などはなかったのです。

そこで言わせて下さい。
いじめに歯止めをかけるのは、武道である、と!
武道の世界では稽古を通して、痛み、苦しみ、辛さ、恐さを体感することができます。そのような稽古を繰り返すうちに、いじめに負けない子、いじめをしない子、が育つのだと思っております。
武道並びに武士道の根本は「人が人として美しく強く生きること」と小生は認識しております。
各武道・各流派の推進者たちが、武道精神を根幹に置いて、日本中に各自の武道を発展させてこそ、いじめに歯止めがかけられるのではないかと思っております。
安倍さんは、美しい国づくりを目指しておられるようですが、政策に窮されたら、日本人が伝承すべき崇高な精神があるということに立ち返られてはいかがなものでしょうか。

というわけで、誠真会館では、武道精神を根本に置いて稽古を行っておりますので、一度見学に来て下さい。
「オイオイ、武道家が姑息な算術に走っているぞ」
とのお叱りの声が聞こえてきそうですので、表現を変えます。
日本の武道(柔道・剣道・弓道・合気道・拳法・そして空手などなど.)を教えている道場では、体と心を鍛える事を根本に置いている筈です。一度、近くの道場に見学に行って見てはいかがですか。
ついでに誠真会館もよろしく!
と、お約束の駄目押しをさせていただいたところで失礼させていただきます。

posted by 井上誠吾 at 11:10| 日記

2006年12月02日

はじめまして誠拳です。

「ブログは書いたほうがいいですよ」との周囲からの薦めで「よし書こう!」と張り切ったものの、さて、どう書いたらよいものやら、さっぱり見当がつかず、パソコンの前で迷い子の状態です。なにせ、恥ずかしながら、これまで他人様のブログなるものを見たことがないものですから・・・すると、また誰かが「ブログって言ったら、しょこたんブログですよ」て言うものですから、行ってきました。しょこたんブログ。参考にするぞ!・・・ところが、しょこたんブログのカワイイ世界から帰ってきた“せいけんたん”は西も東も判らないパソコン迷い子になってしまいましたとさ。チャンチャン。
って、終わっていいわけがない。なんとかしなくては、なんとか! 困った時には「そうだウルトラマンを呼ぼう」なんて向田邦子さんの脚本があったけど、54才も年コイといてウルトラマン頼みして、どげんするとか! と自分を叱りつつ、ここはやっぱり神頼み。神は神でも、松下幸之助という経営の神様であります。小生、困った時には、この神様の名言に幾度救われたことか。
ありました名言が「道は無限にある」ですって。迷い子の小生に道が無限にあるのは困るんですけど、小生は神様のいうことは素直に聞くのです。無限にあるということは、どの方向にでも思う存分行きなさいという事なり、と受け取りました。さらに幸之助様は「どんな困難な時でも、必ずいい方法がある、という自覚と信念を持てば何事もできる」とお告げであります。素晴らしい! 向田さん、ゴメン。やっぱり、ウルトラマン頼みより、幸之助頼み、だわ。
ということで、このブログでは、道を無限に広げて行きたいと思います。空手はもちろん、政治、経済、宗教、文化等々、あらゆる分野に対して、生意気かもしれませんが、小生なりの言葉を紡ぎ出していきたいと思っております。
よろしければ、気が向いた時にでも、ちょっこら覗いてみて下さい。
posted by 井上誠吾 at 13:39| 日記