2006年12月14日

両親の無言の愛──その時、少年はいじめを受け入れた。自己主張が強く協調性のない少年VSいじめ派遣軍団の熱き闘い!

2時間ドラマのタイトルです。
あ、いえ、違います。あぶないあぶない、書いている本人がすっかり勘違いしてしまいました。
え?「なにが勘違いだ、ウケ狙いで書いてるクセに」ですって?
そんなあなた、ウケなんて・・・スミマセン、狙ってました。

と、また長文を予感させるクドイ前置きからスタートさせていただきます。
さて、小生のいじめです。
『両親がいたからです。両親の愛情を深く感じていたからです』
と、書いたところで、次号でしたね。
続けます。

以前にも書きましたが、少年時代の小生は“自己主張が強く協調性がない少年”で、周囲と打ち解けず、何かと問題児扱いされていました。
いじめの内容で、何が辛かったかと言えば、無視、でした。

当時、同級生から上級生まで仕切っている番長がおりました。
その番長が、遊びから悪事まで、何かにつけて小生を誘ってくるのですが、小生は行動を共にしようとはしませんでした。
理由は、群れるのが嫌だったからです。
番長にすれば、それが面白くなく、集団で無視するように指示を出していたのです。

“自己主張が強く協調性がない”ということは、言い換えれば“自分という存在を人に認められ仲良くして貰いたい”という逆説に至ります。
小生にとって、無視されることほど、寂しく、辛いものはありませんでした。

それでも、堪えている小生に対して、番長は、子分に喧嘩を売らせたり、暴言を吐かせたりするものですから、三日に一回は喧嘩をしていました。

誤解のないように言わせていただきますが、粗暴な振る舞いが好きで喧嘩をしていたのではありません。
むしろ、争いごとは嫌でした。
しかし、子供ながらにも、降りかかる火の粉は払わなければいけない、と思っていたのでしょう。身を守るための必死の闘いだったのです。

番長には常に苦戦を強いられていました。
戦績は、当時の大鵬と柏戸と似たようなもので、番長が大鵬で小生が柏戸です。つまり、圧倒的に“大鵬番長”が強かったのであります。
この番長との闘いは、中学まで何十回と、続いていくのであります。
番長には負けていましたが、あとの子たちとの闘いには必ず勝っていました。しかし、勝っていながら、泣くことが何回もありました。
どうして泣くのか、それは・・・、

こんな喧嘩なんかして、両親が悲しむだろうな。

と、両親の顔が、思い浮かぶのです。
その思い浮かんだ瞬間、なんだか知らないけど泣けてくるのです。
だから、いつも両親のことは、思い出さないように、思い出さないように、と心掛けながら喧嘩をするのですが、思い出さないようにすればするほど、反比例で思い出してしまうのてず。
そんな時は、勝ってる喧嘩を途中で放り出して、人目のつかないところへ駆けて行っては泣いていました。

なぜ、泣いてしまうのか?

今、ふり返れば・・・無言の愛、だと推察します。
そこに存在しているだけ、ただ、それだけでいい、無言の愛です。
両親の無言の愛、を感じていたから、こんなことしてていいのかな、と泣いていたのではないかと思われます。
では、
両親が、何か特別な情愛を子供に注いでいたかといえば、そうではなく、ごくごく普通の両親でした。

ただし、子供を信頼し、子供を誇りに思ってくれていた、ような気がします。
それは、小生が、嘘をつかない子だったからか、決めたことは頑張る子だったからか、自分の意見を持っている子だったからか、その辺は定かではありません。
しかし、親から信頼され、誇りに思われている、ということが子供ながらに感じられ、嬉しく思っていたのは事実です。
自分のことを心から理解し、心配してくれる親がいる。
小生は、それだけでよかった。
おそらく、それだけで、いじめを弾き飛ばすエネルギーが湧いてきていたのでしょう

風の便りでは、番長は、その後、大人になり、ヤクザになったと聞いております。そして「井上クンに会いたい」と言っていたとも聞いていますが・・・もう40年も会っていません。
いい体験をさせていただきました。
番長に感謝!

さて、他の“いじめの派遣者”の中には教師もいます。
この教師のいじめは、長くなりますので、次号にお伝えしたいと思います。

はい?「長くなってもいいから、今伝えろ」ですって?
確かに、今、教師のいじめが深刻な問題になり、ふとした教師の発言が生徒を自殺に追いやっているようです。
小生の体験が、現場の教師に届くことを願いつつ、お伝えすることに致します。

長くなりますので、疲れた方はコーヒータイムを!
はい?「そんなこと書くから、長くなるんだ」ですって?
スミマセン・・・先へ進みます。

では、その教師の話。
小生が中学2年の時の担任教師でした。
「俺は竹を割ったような性格だ」
という男気を感じさせる人で、実は小生、その“竹割り先生”の歯に衣着せぬカッコ良さに憧れていました。
しかし、その竹割り先生が、突然、
「おまえは二重人格か!」
と怒鳴りつけて来たのです。
「どうして二重人格なんですか?」と問うと、
「おまえの胸に手を当てて聞いてみろ」と、放課後ずっと職員室の中に立たせて、竹割り先生は部活へと去っていったのです。
それを見ていた中1の時の担任の女性教師が
「帰りなさい。あとは先生が○○先生(竹割り先生)と話をしてあげるから」
とやさしく帰してくれたのです。
この女性教師は中1の三者面談の時に、
「この子は集中すれば才能を発揮します」
と母親に言ってくれた先生でした。
外見は女性らしさを保ちながらも、廊下ですれ違うと「おう井上!」と声をかける男っぽさも併せ持つ素敵な“おなご先生”でした。

その後、竹割り先生は一変しました。
おそらく、おなご先生が彼女特有のやさしさと強さで、同僚の竹割り先生を諌めてくれたのではないかと推察されます。

一変したと言っても、誤解のないように。
悪い方に一変したのです。
竹割り先生は、おなご先生の眼の届かないところで、舌鋒鋭く、“口撃”を仕掛けてくるのです。なにせ、竹を割った上に歯に衣着せぬ人ですから、思ったことを飾らずにカラッと仰ってくれるのです。
国語の授業中に「この中に二重人格者がいる」とか。
竹割り先生は社会も教えており「嘘つきは泥棒と同じように社会にとって悪い」とか。
下校時のホームルームで「生活保護者は給食費は払わなくていいから」とか。

実は・・・この生活保護の言葉が最も効きました。
この頃、我が家は父親が病気がちで入退院を繰り返しており、生活保護を受けていたのです。
小生はそのことが恥ずかしくて恥ずかしくて溜まりませんでした。
そんな小生の心の内を知ってか知らずか、竹割り先生は歯に衣着せぬ言葉で、小生の心を竹を割るかのようにスパッと叩き割ってくれたのです。

以来、竹割り先生に冷たく監視され続け、次第に学校が嫌になっていきました。
しかし、不登校にはならなかった。

親の、無言の愛、があったからです。
親から信頼され、誇りに思われている、ということが、学校へ行って頑張ろうという勇気を与えてくれていたように思います。
そして、学校には、おなご先生もいました。
おなご先生は、廊下ですれ違うたびに「おう井上、頑張ってる?」と声をかけてくれていたのです。
その微笑みは美しく強く、まるで女神のように、小生に希望の光を注いでくれたものです。

未だに、竹割り先生がなぜ「おまえの胸に手を当てて聞いてみろ」と言ったのか理由が判りません。
なんとなく思い当たるのは、女子の告げ口です。
一度だけ、小生が番長と喧嘩しているところを女子に見られ、先生に言うなよ、と口止めした事がありました。
おそらく、竹割り先生は、普段はおとなしそうにしている小生が、裏では喧嘩したり、女子に口留めしたりしているという“現実”を怒ったのでしょう。
その“現実”を小生の口から言わせたかったのではないかと推察しております。

ともあれ、
憧れていた竹割り先生に嫌われ、キツイ言葉の“口撃”はショックでしたが、これもまた、いい体験をさせてもらったと感謝しております。

え?「なにが感謝だ。カッコつけるな、本音は恨み節のひとつも言いたいんじゃないのか」ですって?

確かに、恨み節の一つも言いたかった。
実際、卒業式が終わった時、復讐目的で、竹割り先生を襲おうと木刀とかバールとか得物を探して歩きました。
すると、そういう時に限って、両親の顔が浮かんでくるのです。やがて、何やってるんだ俺は・・・と反省し、事件にならずに済んだのです。
正直申しまして、大人になっても、竹割り先生への恨みは消えませんでした。
竹割り先生が出席する同窓会があったら、必ず出席して、毒のある恨み節を吐き付けてやる、と報せを待っていたくらいです。
一度、その同窓会のチャンスが訪れたのですが、仕事と重なってしまい、意趣返しは成就しませんでした。

やがて、時の流れが薬となって、小生を癒してくれました。
そして、様々な環境が小生を鍛えてくれ、いつしか竹割り先生に対する恨みは消えてなくなりました。

おそらく、竹割り先生は70才前半で、ご存命だと思います。
何かのツテを経て、このブログをご覧になるようなことがあったら、
「すまんな、竹を割ったような性格だから、スパッと忘れてた」
と、どうか、笑い飛ばして下さい。
それでいいのです。
小生のような生徒もいれば、竹割り先生に憧れる生徒も数多くいたのですから。
豪放磊落で大胆な先生に、繊細さを求めるのは酷というもの。事実、かくいう小生が繊細さにかけているのですから、文句は言えません。

ただし、小生のような生徒がいたということは、今もいるかも知れない。
その辺のところ、小生のこの思いが、通りすがりの現役の先生方の目に止まり、理解していただければ嬉しく思います。

振り返れば、小学3年から中学3年までのいじめられ体験は、小生の人生にとって、決してマイナスではなかったと思っています。
あの頃は、思い出すのも嫌なくらい、辛く苦しかったけど・・・あそこで死んでいたら、ただ辛く苦しむためだけに生まれてきたようなもので、虚しさだけが残ります。

釈迦は、「人は、人生を楽しむために生まれてきた」と説いています。
釈迦の説くところの「楽しむ」とは、何も一時的な享楽にふけることではなく、清も濁も、善も悪も、そして苦も楽も、全てをひっくるめて人生を楽しむ境涯を持ちなさい、ということなのでしょう。

小生、修行がまだまだ足りません。
酒、という享楽にめっぽう弱いし、いまだに自己主張はあるし、様々な煩悩を抱えた人間です。
それでも、亡くなった父や年老いた母の、無言の愛、に支えられて生きております。

諸々に感謝するのみであります!

追伸 また長文になりました。
なるべく、短く判り易いブログを目指し、学習していきますので、時間がある時にでも覗いて下さい。
posted by 井上誠吾 at 18:43| 日記