2007年01月31日

教育再生会議といじめについて──『指導者とは』

完全復活、ではありませんが、登場します。
いろいろな方から、電話やメールや直に声をかけて頂き、ブログを楽しみにされておられる方が多いことに驚いております。 
そのような皆さまの応援の声に押され、
“少しだけ”書かせて頂こうと出てまいりました。

さて、『教育再生会議といじめについて』であります。
このテーマを掲げたものの、あまりにも書くことが多すぎ、
おそらく膨大な長文になるでしょう。
そもそもが『子供の教育問題といじめ』という大テーマこそ、誠真会館を創立した目的である訳で、長くなるのは必然であります。

というわけで、これからは、毎回、小出しに分けて、
時には全く異なるテーマも織り交ぜながら、長いスパンで『教育再生会議といじめについて』の大テーマに向き合っていきたいと思います。

そこて、今回のサブタイトルを、
『指導者とは』
に、させていただきました。

先ずは、
教育再生会議の提言項目の中から、
小生が納得した三項目を挙げたいと思います。

一、塾に頼らなくても学力がつくようにする。
二、教育格差を絶対に生じさせない。
三、優れた民間人を校長などの管理職に登用する。

以上の三つは確かに納得がいきます。
但し、天邪鬼な小生ですから、以下のような意見を付け加えたくなるのをお許し下さい。

一と二、ですが、本当にその通りにやって欲しい!
しかし、その前に、日本経済を立て直さないと、この問題は解決不可能です。
もちろん、国家の指導者・アベさんは、経済と教育は車の両輪として推し進められるのでしょうが・・・出来るかな、不安だなぁ。

三、は大賛成です。
子供の教育には、確かな指導者が必要なのです。
民間の各業界には、その道に精通した、人として優秀な方々が沢山おられます。
一芸は道に通じる、の諺があるように、その道で極められた方々は、子供たちの教育者として足りうる技術と教養と道徳観を充分に兼ね備えられておられます。
市井の中には、数多くの人材が沢山おられる筈です。

ある偉人曰く、
「無名の人のなかにこそ偉大な人物がおり、信頼できる勇者がいる」・・・と!
アベさん、是非とも実現して下さい。

但し、再生会議のメンバーの中に、
居酒屋チェーン店を東証一部上場企業までに成長させ、学校経営まで乗り出したW氏が入っているのが気になります。
W氏は、すでに明治時代から続く名門校○○館を再興すべく理事長として辣腕をふるっておられますが、
まさか、
ご本人自らが、“一芸は道に通じる” 者と、自薦で登用されるようなことはありませんよね、アベさん?

今回の教育再生会議のメンバーの中には、企業の社長が多いのが特徴ですが、
「教育界への市場原理導入も目的の一つ」というアベさんの思惑からすれば当然でしょうが、
こぞって、メンバーの方々が、政府主導の重要職に登用されるということがないように祈ります。

さて、提言の中には、
授業の時間数を1割増加させる、
という項目もありました。

これが、ゆとり教育の見直しの答えですか?

申し訳ないが、学者や文化人から実業家まで、あれだけのメンバーが揃っていながら、「授業時間数の増加」・・・ですか?

これだけでなく、
その他の提言にも、反論をしたいのですが、
以前に書いた『空手・いじめ・この国のかたち』と重複するものが多々ありますので、ここではやめておきます。

先日も書きましたが、
ゆとり教育とは、窮屈ではない、ということです。
国家が、上から「こうしろ」と押し付ける内容では、教育再生には結びつかないと思います。
今、悲鳴をあげているのは、教育の現場、です。
国家の指導者が、下に目を向けずして、上意下達の改善を図ろうとしても、良い方向に行く筈がありません。

小生、空手においても同様の考えでおります。
ややもすると、指導者の言葉に「押忍」「押忍」と接していると、あたかも、指導者の方が人間として上で、習っている自分のほうが人間として下のような感覚に陥ってしまう。

これは、絶対に間違いです!
小生は、上意下達を行う組織や人物を見ると、徹底的に嫌悪してしまいます。

再び、ある偉人曰く、
その偉人は、門下生に対して、
「教えることはできません。共に講究していきましょう」
と言っています。
その偉人は、国家でも組織でも、人の上に立つ者は、常に謙虚でなければならない、と言っているのです。

アベさん・・・、
国も、同じだと思いますよ。
上から、物を言っている段階では、何事も成されることなく終わってしまいますよ。
政治家や公務員は、公僕なのです。
その分でけ、あなた方は民間人に比べると、充分に保障されている筈です。
あなた方の存在は、国民のためのみにあるべきなのです。
そういう気持ちになって働くことが、「美しい国づくり」の“原点”ではないのでしょうか。

最後に、三たび、ある偉人曰く、
「政府を相手にしたのが一生の誤りであった。今後は必ず民間の人々と案を練って、もう一度、やりなおしてみよう」
と、これは門下生にあてた言葉です。

この半年後、その偉人は処刑されました。

しかし、
その門下生たちの手により、
偉人の“理想とする国づくり”は、
見事なまでに、成就されていったのであります。

その偉人とは、
小生が尊敬してやまない、
明治維新の大指導者・吉田松陰、その人です。

吉田松陰という人こそ、
武士として、人間として、
美しく、強い、生き方を、全うした人物はいません。

教育界に市場原理導入、思惑は、判りますが・・・。

小生、美しい国づくり、というものは、
先利後義、ではないと思っています。
先に国益を考え、あとから民衆のことを考えよう、
では、美しくなどなりません。

先義後利、です。
先に民衆のことを考え、のちに国益を考えることが、
美しい国づくりに結びついていくのではないでしょうか。

国でも、
会社でも、
組織でも、
下に対して、手厚く、あることが、
繁栄に結びつく、と小生は信じきっております。
そのことは、すでに、
歴史が物語っている、ことでもあります。




あッ、もうこんな時間だ。
やっぱり、ナガク、シツコクなりました。
これでは、完全復活、ですね。

次回も、小出しにテーマを分け、
『教育再生会議といじめについて』に、
向き合っていきたいと思います。

今、書こうと思っているタイトルは、
『武道精神と学校教育』です。
堅苦しそうですが、面白おかしく書く予定ですので、
どうか、
皆さま、また覗いてやって下さい。

感謝を込めて、押忍!



posted by 井上誠吾 at 11:08| 日記

2007年01月28日

ん?


お待たせしました、のタイトルの前に変なのがありますが、あれは何なのでしょう?
小生も書いた覚えがありません。
消したいのですが、以前、ブログを丸ごと消した苦い経験があり、このまま残したいと思います。
未熟さ全開、です。笑ってやって下さい。
posted by 井上誠吾 at 16:28| 日記

6jqp \\\ お待たせしました


──とは言っても、
本格的ブログ復活ではありません。

お知らせです。
イベント情報に少年部稽古始めの写真を載せました。

保護者の皆様、大変、お待たせ致しました。

これまで何度も管理人に写真を送信したのですが、
どういうわけが、管理人に届かず、
今日も駄目だろうな、と思いながら、送信したところ、
なんと!
管理人から、届いたとのメールが入りました。

「やれば出来るじゃないか、誠吾君!」
大人の小生が、パソコン幼稚園の小生を、
おもわず褒めた“ひとり言”です。

それで、今、送れなかった理由が判りました。
どうやら、フォルダごと、そのまま送信していたみたいです。
パソコンて、フォルダごとは送れないんですね。
勉強になりました。

でも、なんで、フォルダごと送れないのだろう?
その辺のことは、多分、一生かかっても判らないかも知れません。



ところで、
山本KIDが負けたようですね。
YAHOОのニュースによると、救急車で運ばれたとの事。
どういう負け方をしたのやら。
ま、仕方ない。残念です。
しかし、
次は何の試合に挑戦するのか知らないけど、
「全員倒す!」とか、
「優勝しかない!」とか、
心構えとしては良いのだけど、
そういうことは、口には出さないほうが良い!

対戦相手がいるからこそ、試合がなり立つのだから、
闘争心は、自己の中に修めて、
どこまでも謙虚に、試合に臨んで欲しいと思います。

本当に強い人は、吼えたりはしません。



取り急ぎ、少年部の写真の報告です。
次回は、予告したタイトルで本格復活を致します。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 16:16| 日記

2007年01月25日

教育再生会議に思う


教育再生会議の第1次報告が出されました。
アベさんは、この報告内容は100%だと評価しましたが、

残念ながら、絵に描いた餅です。

確かに、昨年末に出した緊急提言よりは、多少ですが、評価できる点があります。
しかし、
現実味がなく、
具体性にとぼしい、
と、感じてしまうのは、何故でしょう。

先ず、
これでは、現場の先生はどう子供と向き合えば良いのか判らないのではないでしょうか。
それに、この項目を実現できない場合の教育責任はいったい誰が持つのでしょう。

今、疲れているのは子供だけではありません。
教師も疲れているんです。
中には、病んでいる人もいるんです。
教師にならなかったら、病むこともなかっただろうにと同情を禁じえません。

ゆとり教育って、なんなのですか?
ゆとりとは、窮屈ではない、ということですよ。
子供にとっても、
そして、教師にとっても、
『窮屈ではない教育の現場』
が必要なのです。

小生、思うに、
と、ここまで書いて、次回にさせて下さい。

え?・・・うまいなぁ、引っ張るだけ引っ張っといて、次回に繋げるとは、それでなんでいいホンが書けないんだ・・・ですって?
ほっといてくれ。

というわけで、
小生、現在、ホン作りの真っ最中でして、
本来なら、ここに出てくるつもりはなかったのですが、
教育再生会議の第一次報告があったものですから、
ついつい、これは書き込まなければ、ここまで書いてしまったのであります。
そもそも、
これは完全復活のブログではなく──、

はい?・・・またナガクなっているぞ、ですって?

こ心配ありがとうございます。
では、ここで失礼させていただきます。

あッ、最後にシツコク次回の予告をさせて下さい。

タイトルは、
『教育再生会議といじめについて』
です。

つづく

posted by 井上誠吾 at 08:42| 日記

2007年01月20日

感謝の気持ち


何人かの方々に、
「最近、ブログ休んでいますね」とか、
「病気でもしたんですか?」とか、
「何かあったんですか?」とか、
「まさか、ネタがつきましたか?」とか、
などなどのメールやお言葉をいただきました。

ご心配かけて申し訳ありません。
このところ、脚本のほうが忙しく、書く時間がないのです。
なにせ、小生のブログは、
クドク、ナガク、シツコイものですから、
気がつくと、結構な時間を割いていたりするのです。

来週あたり、本格復帰しますので、
もう暫く、お待ち下さい。

皆さまのお気遣いに感謝しております!

押忍!

posted by 井上誠吾 at 11:53| 日記

2007年01月10日

人・美と醜 大切な品格

1月5日か6日頃に書いたものを消してしまいましたので、
なんとか、思い返しながら、書き直しました。
前回との違いが多々あると思いますが、その違いも楽しみながら、読んでいただけたら幸いです。



美しい国作り、をアベさんは主張されています。
しかし、その言葉とは裏腹に、アベさんの周辺には美しくない人たちが次々と暴かれていっております。
まったく、実に嘆かわしい。

人は美と醜を併せ持って生きているものなんでしょうね。

年末に大手保険会社の会長さんとお会いして、楽しい会話をさせて頂いた事は報告しましたが、その時に、
「清濁併せ呑み、時には、毒を食らわば皿まで」
と、会長さんは仰せられました。
「清濁併せ呑み」とは、
善人だろうが悪人だろうが、受け入れてやる。
「毒を食らわば皿まで」とは、
毒を食った以上は死ぬのだから徹底してやる。またあるいは、悪事に悪事を重ねる、時などにも使いますが、この時の会長さんは前者を意味されたのだと思います。

会長さんは、人の上に立つ者は、
「清濁併せ呑み、時には、毒を食らわば皿まで」
そういう覚悟でいなければならない、と仰せられたのです。

会長さんには、組織の長としての強い責任感と部下への深い慈愛を感じます。
以前にも書きましたが、会長さんは、知・情・意、のバランスを内奥されており、品格というものが漂っています。
生意気を言わせていただきますが、
常に、人に対して真摯な気持ちで向かい合われ、下に手厚く実践され、責任を全うされて来られたからこそ、あのような品格を醸し出されているのではと推察いたします。

品格といえば、
このところ、小生、売れない脚本家ではありますが、
千葉真一総裁との脚本作りの打ち合わせでNHKに行くことが多いのです。
今、大河ドラマ『風林火山』の収録中で、つい先日、撮影の合間に、千葉総裁の紹介で、武田信玄役の歌舞伎俳優・市川亀治郎さんと話す機会がありました。

市川亀次郎?
と、知らない方も多いと思います。
正直申しまして、小生も紹介されるまで、知りませんでした。
歌舞伎の舞台が多く、映像作品はこの『風林火山』が初めてなのだそうです。

短い会話を交わしただけで、
この市川亀次郎さんに、品格を感じたのです。
梨園の品格、とでもいうのでしょうか。

そういえば、
歌舞伎の方々には、同じように品格を感じるな、
と思いました。

小生だけでしょうか・・・、
売れている俳優や活躍中のスポーツ選手には、オーラがある。
しかし、品格は感じられない。
活躍している政治家や総理大臣には、オーラがある。
しかし、品格は感じられない。

その点、どうでしょう。
歌舞伎の世界とか、皇室関係の方々には、品格がある。
と思いませんか?

しかし、一般の方々の中にも品格を感じさせる人は数多くいます。
街を歩いていて、男女問わず、品があるなぁこの人、と感じる人とすれ違うことが時々あります。

それは、どういうことなんでしょう?
男としての品格、
女としての品格、
人間としての品格・・・。
品格は、持ちたいものです。

華のある人。
覇気がある人。
オーラのある人。
そして、品格のある人。

小生、品格のある人に敬意を表し、憧憬を感じております。

『国家の品格』、という本がベストセラーになりました。
小生も、大いに期待して、買って読みましたが、残念なことに、深い感動も影響も得られませんでした。
ただし、武士道の復活の訴えには、大いに共鳴をしました。

同感です。
国家に品格がなくなった今こそ、武士道の復活が必要です!

武士道に生きた人には、
人としての生き方が美しく、品格があります。
小生の尊敬する、吉田松陰然り、
武士道に生ききった、土方歳三や河井継助然り、
彼らは、
美も醜も、清も濁も、併せ持ち、
死を恐れずに、
己れの信ずる至誠の道を貫き通しました。

その生き様にこそ、
小生は、人の品格というものを感じるのであります。

どんな人でも、品格は内在していると思います。
武道精神には、
仁・義・礼・忠・孝・勇・信、
このような精神支柱があります。
ひとつひとつの文字の中に、
品格を生み出す“種”が内在していると思います。

かく言う小生は、
美・清少なく、醜・濁多く、併せ持っておりますゆえ、
生涯に渡って、空手の修行が必要になってくるのであります。

押忍!


posted by 井上誠吾 at 09:36| 日記

2007年01月09日

消えた?

今、ブログに入力されているか確認をしたところ、
な、なんと!
前回書いた、
『人・美と醜 そして品格』
だったかな、そのタイトルのブログが、全部消えていました!

小生、よくやるんです。
シナリオも締め切り直前で消してしまったことなど、
一度や二度ではなく・・・とほほ。

また思い出しながら、書きますので。
失礼します。
posted by 井上誠吾 at 16:46| 日記

家族


兄が妹をバラバラに切断して殺害しました。

事件は、それだけではありません。
息子が母を、父が息子を、息子が父を、娘が母を、夫が妻を・・・殺しました。
今年になって、まだ9日しか経っていないのに、
このような事件が、毎日のように報道されています。

肉親が肉親を殺す。
こんなに切なく、虚しく、哀しく、そして悲惨なものはありません。

そこに至る以前には、愛情があった筈です。
少なくとも、生まれたばかりの子を抱いてあやしたこともあっただろうに・・・、
少なくとも、親から玩具のひとつも買って貰ったこともあっただろうに・・・、
少なくとも、互いに愛し合った新婚時代の良い思い出もあっただろうに・・・、

時の流れは、残酷に人を変えてしまいます。
美しい愛から、醜い憎へと。
悲しいかな、世に生きる人々の中には、
どのような良い関係であったとしても、時の流れの中で、
やがては色褪せ、憎悪を生み出し、
破壊の道へと突き進もうとする人がいるものです。

しかし、それで、いいのでしょうか・・・?

愛ゆえに、憎しみが生まれる。
この理屈は、充分に理解できますが、
愛ゆえに、殺意が生じる。
この理屈は、到底、理解できるものではありません。

愛情、
といえば、こんな話があります。

離婚を決意したある夫婦が、
「パパとママは・・・別れることにした」
と、娘に話したところ、
「パパとママは・・・ずっと愛情があったと思う・・・でも今は、愛が取れて、情だけが残ったんだね」
と、娘が言ったという。

素晴らしい!
娘が、両親を愛し、理解し、
そして、両親も娘に愛情を注ぎ、大切に育ててきたからこそ、このような言葉が出てきたのだと思います。

愛は取れても、情だけは残るものです。
親子にしろ、夫婦にしろ、些細なことで、親子喧嘩や夫婦喧嘩に発展することは、よくあることです。
どこの家庭だって、大なり小なり波風が立っているものです。

え? おまえの家庭は波風が立ち過ぎだ、ですって?
そうなんですよ、我が家はいったん口論が始まると、朝まで生テレビ状態で、もの凄い激論に・・・、
あのね、余計なお世話です。

小生、我が家を弁護するわけではありませんが、
多少の波風は、あったほうが良いと思っています。
波風はずっと続くものではありません。
やがて、波も風もおさまり、静かな凪を迎えた時、
前よりも、一層の“絆”を感じるのではないでしょうか。

家庭には、
愛情、もあれば、
愛憎、もあると思います。
家庭の中では、
“愛”と“情”と一緒に、“憎”も渦巻いている、
と思っています。

その“愛”も“情”も“憎”もひっくるめて、家庭というものが存在しているのだと思います。

妹を憎らしい、と思う“瞬間”があって当然です。
同じように、父を、母を、息子を、娘を、妻を、夫を、憎らしい、
と思う“瞬間”があっても当然だと思います。
人間なんですから。

例え、愛、はなくなったとしても、
情、は残してほしい、
人間なんですから。

しかし
“憎”だけは、そう思う“瞬間”だけで充分です。
いつまでも、残して欲しくはありません。
人間なんですから。
忘れる特技も持ち合わせている筈です。

先ほどの離婚した夫婦の話ですが、
あの娘の言葉を借りて、
「パパとママ」を「家庭に」変えると、
「この家庭には、ずっと愛情があったと思う・・・でも今は、
愛が取れて、情も取れて・・・憎だけが残ったんだね」

短編小説の怖いラストみたいになってしまいます。

いつまでも、憎だけを残していては、
その人にとって、
良いことなど何もないのではないでしょうか。

さて、“情”について、
もっと、書きたいことはあるのですが、
長くなりそうなので、この辺で、失礼させて頂きます。

え? 今回は随分とあきらめが早いな、ですって?

実は、このブログは、小生が想像する以上に、多くの方々に読まれているようなのです。

一応、皆さん、社交辞令でしょうが、
メールとか、電話とかを頂き、
「感動しました」とか
「楽しみにしています」とか
「マスコミが報道しないところを突いている」とか
「ひらめ料理を刺身とムニエルの両方で楽しめ、和食もフランス料理も作れるテクニックはおいし過ぎ」とか訳のわからない褒め方もあり、嬉しい限りです。

しかし、皆さん、共通して、
「ナガイ!」
と、仰るのです。

ですから、この辺で失礼します。
あの、ひらめ料理を褒めていただいた方、その後、メールが来ないのですが・・・、
小生の文章に食傷気味なのかな?
それとも、ほかの中華的ブログに浮気中かな?
激辛の批評を待ってますよー。

あ、今、このブログをご覧の、あなたの声、が届きました。
「ナガイ!」

失礼しました!


posted by 井上誠吾 at 16:34| 日記

2007年01月01日

押忍の精神・年の初めに誓う



新春のおよろこびを申し上げます。
全ての人々にとりまして、
良い年でありますようお祈りいたします。
本年も宜しくお願い申し上げます。


年の初め、を迎え、
小生、押忍の精神で、この一年を乗り切ろうと覚悟しておるところでございます。

以下、誠真会館、が解釈するところの、
押忍の精神、を紹介します。


耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び
一心に気を静め 押さば引き 引かば押す
どのような困難にありても 心頭滅却せよ
これすなわち 押忍の精神なり
自己の人生において これを涵養し 全うする


なぜ、押忍の精神か・・・。

日本は勿論、世界も然り、
人類社会は未曾有の危機に直面しています。

日本社会の迷走ぶりはいうまでもなく、
海外に目を向ければ、
血みどろの内戦や紛争やテロ、
さらに経済面でも、
世界が同時不況に突入する危険さえ孕んでおり、
多くの人々が、
将来に漠然とした不安を抱えながら生きております。

今こそ、
地球規模の社会秩序が必要な時ではないでしょうか。

人間は、いかに生くべきか?
その答えが、武道精神にあります!

仁・義・礼・忠・孝・勇・信、
という七つの徳が武道精神に内在しております。
仁とは、おもいやり、です。
義とは、すじ道、です。
礼とは、うやまい、です。
忠とは、まごころ、です。
孝とは、善行、です。
勇とは、挫けない心、です。
信とは、欺かない生き方、です。

この七つの徳は、
宗教や民族や思想という垣根を飛び越えた、
人類社会が共有し、共鳴しあえる“徳”である、
と自負しております。

日本が誇る武道には、
我々人類に共通する永遠の真理が内在しているのです。

日本という国が、武道を必要とする時代に入っています。
同じように、世界もまた武道を必要とする時代に突入しつつあります。

この武道精神を根本に置く空手道が、
世界に広がっていくことにより、
少しでも平和的貢献の一助になるのではないか、
と心底から信じ、また願っております。

それには、空手界の大同団結が必要です!
自分の団体だけが発展すれば良い、
という狭い思考は、
おそらく、各団体のトップにおられる方々にはないでしょう。
日本で生まれた空手です。
その精神は、世界に誇れるものです。
必ずや、大同団結をする日がくる、と信じています。

小生が、このような話をすると、
例え、空手に関係した人でも、
夢物語だ、とか、
理想的過ぎる、とか、
結論を出される方がいます。

悲しい限りです。
それでは、少年・少女たちに夢や理想を語れない!

夢も、理想も、限りなく大きく持って、
その実現へ向けて、
ただひたすらに生きていく姿にこそ、
尊い価値があるのです。

小生、夢も理想も保ち続けます。

この小さな小さな町道場主の“初夢”が、
やがては、何年後かに、
大きな大きな“正夢”になることを信じて、
今年一年、
押忍の精神、で乗り切る覚悟であります。

黙想!


posted by 井上誠吾 at 16:16| 日記