2007年03月21日

無限大の可能性 その2

前回のブログは好評でした。
いろいろな方から、次のようなご意見を頂きました。
「一瞬を無駄にせず自分を磨きたいと思います」
「今やる事の大切さが心の中にすーっと入ってきました」
「井上節が戻ったけど、もう一ひねり欲しかったです」
「生きているこの瞬間を大切にしたいと思います」
「短い中にもダイナミックな展開があり素晴らしいです」
「ブログは、短くなくても、長くてもいいです」

皆さんに、しっかりと読んで貰っているんだなぁ、とあらためて心から感謝致します。(※ 最後の「ブログは長くてもいい」とメールをいただいたSUさん。返信のメールを送っているのですが、届きません。おそらく、小生のやり方がいけないのだと思うのですが、もし、よかったら、誠真会館のほうに電話を下さい)。

皆さん、私と面識のある方々ばかりで、人柄はよく、真面目で、世の中を色眼鏡で見るような人など皆無です。
だからこそ、「今、この瞬間を生きる」ことに共感されたのだと思います。
別に「もう一ひねり欲しい」とのSTさんに合わせるわけではないのですが、以下、追加したいと思います。



一瞬の無限大とは、宇宙の時空世界を意味していると思います。

釈迦は、宇宙は一つの偉大な生命体で、
万物は『成・住・壊・空』を繰り返している、と説いています。
つまり、成り、住んで、壊れて、空になる。
人はもちろんのこと、植物も動物も、地球も夜空に輝く星々も、すべてのものが、誕生し、存在し、崩壊し、空になる、ということです。

大宇宙の中の地球、地球の中の日本、日本の中の各地域、その小さな地域の中で生きているのが、我々です。

そう考えると、
今ある地位とか、栄光とか、絵に書いた餅かも知れない。
部長だって、リストラで解雇されるかも知れない。
社長だって、不況で倒産に追い込まれるかも知れない。
首相だって、失脚して辞任に追い込まれるかも知れない。
その逆に、
今、悲惨な状況にある人がいっきに好転して、地位とか、栄光とかを掴み取るかもしれない。
しかし、
そんな人の世の『毀誉褒貶』なんか、どうだっていい!

我々の、この一瞬とは、
地球が誕生し、人類が誕生し、その自然と人類の長い歴史の恩恵を受けて、“今”があるのです。
我々は、過去の人々の知恵と努力と汗の恩恵を受けて、生を享受しているのだから、当然、未来をしっかりと見るべき義務があるのです。
子供たちのために、孫たちのために!

地球が悲鳴をあげています。
子供たちも悲鳴をあげています。
“今”を生きる人々次第で、未来の明暗が大きく分かれます。

幸いにも我々日本人には、
宗教も、思想も、人種も、すべての垣根を越えた、
世界に誇れる『武道精神』が過去から伝承されています。

この一瞬を、未来に生きる子供たちのために、エネルギッシュに燃焼させていくべきであります。
誠真会館の根本目的は、
“武道精神の伝承”そこに置いています!


しかし、人間、ゆとりが必要です。
ハンドルに遊びがなければ目的地に行き着きません。
真面目な人ほど、この一瞬に頑張ろうとする。
だからこそ、
時には、悠久の宇宙の流れに身をゆだね、
のんびりと、ゆったりと、身の丈にあった、自分なりの未来を見つめる”時間”があってもよいのではないでしょうか。

その“ゆとり”の一瞬は、
豊かな人間性の“ゆとり”となり、
やがて、無限大の価値へと醸し出され、
未来の人々へと広がっていく。
それは、まさに、過去の人々の恩恵で、
今の我々が生かされているように・・・。
そう、信じております。


「もう一ひねり」あったかどうか判りませんが、
皆さんに共鳴していただければ、充分に嬉しく思います。


押忍!


posted by 井上誠吾 at 11:35| 日記