2007年04月30日

生き甲斐

日本の若者たちは、『生き甲斐』を持つことを諦め、夢や希望さえも持てなくなっている、とある意識調査で出ました。
確かに、夢や希望は持たなくても、今の日本はなんとなく食べていける時代ではあります。

しかし、食べていけるだけで、何ひとつ生産性のない生活を送るのでは、人間としての価値はない、と断言したい!

かつて、強制収容所において、
捕虜に穴を掘らせて、それをまた埋めさせる。この無意味な単純作業を繰り返していくと、捕虜は気が狂ってしまった。
と、いう話を聞いたことがあります。

おそらく、生産性のない労働を繰り返し強制されることで、精神的に追い込まれてしまうのでしょう。

人には、生き甲斐・やり甲斐、というものが必要です。
ただ闇雲に、あれをやれ、これをやれ、と言ったところで、
そこに何らかの、生き甲斐・やり甲斐がなければ、効果は上がらないでしょう。
これは、勉強にしろ、仕事にしろ、習い事にしろ、さらには、人生にしたって、同じことだと思います。

日本の若者が腹いっぱいの食事をしている瞬間、後進国では、数え切れないほどの子供たちが餓死しています。
先進国の一人当たりの消費エネルギーは膨大なものであり、
日本で、ただ食べて何もしないまま生きているのなら、それは“生きているだけで罪”といえるでしょう。

遠い後進国の人々を愛せ、とは言わない。
せめて、身近な人々を愛して信じて生きて欲しい。
親・兄弟・友人・知人・先輩・後輩、そして自分自身を!

誰かを愛し、そして信じられるからこそ、
生き甲斐や夢や希望が湧き出てくるのではないでしょうか。

数日前、少年部のママから、メールをいただきました。
その中に「人との繋がりがあるから、人は生きていけるのですね」と書いてありました。
小生、同感であります。

身近な人を愛して、信じて、
その繋がりを大切にするだけでいい、
さっと、そこから、自分がどう生きればよいか、
その答えが見つかると思います。

大人たちは、若者たちの見本に、
そして、若者たちは、子供たちの見本に!


posted by 井上誠吾 at 09:33| 日記

2007年04月26日

みんなできるんだ!

できない子供なんていない!
小生、声を大にして叫びたい思いです。

日本の小学生は、米国・中国・韓国の小学生よりも、
『明確な将来の目標を持てない』
という調査結果がでました。

また学力低下も指摘されています。
世界に誇っていた日本の子供たちの学力がどんどん低下していっているというのです。

さらに数日前の新聞では、ある教育機関が、
学力テストは過当競争や序列化を招き、いじめや学力低下を招くので廃止を求める、との方針を載せていました。

『明確な将来の目標を持てない』
『学力の低下』
『学力テストによる競争や差別化』
この三点、子供より、今の大人社会にこそ問題あり!
小生、そう思っております。

『明確な将来の目標を持てない』ようにしたのは、
目標となる憧れの職業人がいなくなったからです。
「末は博士か大臣か」そういわれたのは遠い昔で、今や、博士や大臣たちが次々と子供たちの見本とならない醜聞を撒き散らしています。

『学力の低下』も同じようなもので、
教員免許や司法試験や国家公務員に合格する力はあっても、人としての道徳力、倫理力がなかったら、価値はない!
なぜこうも、ワイセツ教師や国家公務員の不正、弁護士や検事の犯罪、などが次々と出てくるのでしょうか。

『学力テストによる競争や差別化』も然り、
教育機関がそんなことを言っているから、
運動会で、順位を決めるのは差別になるから、全員一緒にゴールをしよう、と偏ったルールを生み出してしまうのです。

人は千差万別です。
頭のいい人、力の強い人、足の速い人、などなど、皆それぞれ違っているのだから、同じにする必要がない!

人として生まれてきたからには、
それぞれ、個としての力なり魅力が、必ず、その人の中に内在している筈です。
人は、それぞれ違うんです。
違うからこそ、魅力を感じるんです。
そして、その魅力を発揮すべく、人は、何かを成すために生まれてきたんです。

そんな一人ひとりであることに気付かせ、その芽を伸ばしてやることが、教育ではないでしょうか!

みんなできます!
できない子供なんていない!
子供たちに自信がつけば、将来の目標だって持てます。
そうすれば、それに向かって学力だって上がっていきます。
やろうと思えば、てきるんです。

それを潰しているのは、大人社会であります。



小生自身、一人の大人として反省を込めて、押忍!
posted by 井上誠吾 at 11:56| 日記

2007年04月23日

挫折のススメ

知人の後輩が曰く、
「僕は挫折を知らないんです。大学受験も、就職試験も、仕事も、ずっと壁にぶつかることなく、今日まで来れました」

挫折をバネにしたプラス思考の人間かと思っていたら、
「きっと僕は、このまま挫折を味わうことなく、一生を終えると思います」
さにあらず、でした。
そこそこの会社で働く彼は、そこそこの給料を貰い、そこそこの仕事をして、そこそこの彼女ができ、そこそこの結婚式を挙げ、本当に何一つ苦労をして来なかったらしい。

挫折のない人生、素晴らしい!
とは、小生は思いません。
むしろ、それって、面白い人生かい?
と、横槍を入れたくなりましたが、初対面の人なので、グッと我慢して、言葉を飲み込みました。

確かに、彼は、そこそこの人生を終えていくのでしょう。
しかし、小生から見ると、まったく魅力を感じない。
温室で育てられた花よりも、
崖っぷちで風雪に耐えている花のほうが美しい、と思う。

宮沢賢治の言葉を借りれば、
『東にいじめられいる子供あれば行って負けるなと励まし
西に子供を虐待する母あれば行って子供は宝だと叱り
南に自殺する人あれば行って死ぬ気でやれと勇気づけ
北に引き篭もる若者あれば外は面白いぞと声をかける』
となる。
今、世間を見渡せば、やることは沢山ある筈なのです。
自分の人生に挫折がないなら、自ら、社会の荒波に飛び出してもよいではないか。
そうです。
釈迦が王子の身分でありながら、東西南北の城門から外を見て、生老病死に苦しむ庶民がいることを知り、自分の栄華のすべて捨てて、庶民を救おうと旅に出たように!

現代人の多くが、何らかの挫折を感じて生きています。

しかし、挫折を恐れる必要はない。
挫折から得られるもの、学ぶものは数多くあります。
言い換えれば、挫折があるから、人生は面白い!
そう、挫折を楽しみながら、生きようではありませんか!

せっかくグッと我慢してたのに、最後に言っちゃいました。
挫折を知らない、その脳天気な彼に、
「君、一度でもいいから挫折をしろよ。そうすれば、もっと周囲の人たちに気を遣いながら話せるようになる」

わかるかな、わかんないだろうなぁ。
古い!
と、かの御仁から叱られそうなギャクで失礼!


挫折を吹き飛ばす心意気で、押忍!



posted by 井上誠吾 at 10:00| 日記

2007年04月22日

人は生かされている

今日は、投票日です。
そこで、前回の『生きる』から、『生』つながりで、
選挙で当選した議員こそ『人は生かされている』との思いで政治に取り組んで欲しい、と願いつつ書きます。

小生が“好きな”高杉晋作、
小生が“憧れている”坂本竜馬、
小生が“尊敬している”吉田松陰、
皆、幕末の世で、明治の夜明けを見ることなく、自分の役目を終えると、見事に時代に殉ずるように散っています。

彼らに共通しているのは、
『私心を捨てている』ことです。
だからこそ、激動の時代、を変えられた!

さて、今の、混沌の時代、では、
現役の大臣が水道光熱費を誤魔化したり、
天下り官僚が次々と団体を渡り歩き退職金を貰ったり、
不正行為、水増し請求、虚位報告、裏金作り、等々と挙げればキリがありません。
ある記事には、政治家や官僚たちに五百億円もの税金が搾取されていると載っていました。
それは氷山の一角であり、不正額は数千億円とも言われており、国政と同じことが、各地方自治体でも行われていることを鑑みれば、なんという呆れた不正国家なのでしょう。

人は生かされている!
当選した人たちは、人に選ばれたのだから、
このような気概で、世の中を変えて欲しい、と切に願うのであります。

人は、間違いなく、死に向かって生きています。
言葉を変えれば、何かを成すために生かされている、ということです。
政治に関わろうという人たちは、公僕を胆に銘じて、“国民のためになる何か”を成し遂げて欲しいものです。
そうです。
映画『生きる』の主人公が、癌を告知され、何もしなかった公僕の自分を反省して、困難を跳ね除けて、児童公園を完成させたように・・・!

人は、誰もが、皆それぞれに生かされている。
ただ老いて、朽ち果てていくのではなく、
長ずるにつれ、心が豊かになり、
周囲の人々に愛され、その分、善い影響をお返しして、
やり残したことのない、悔いのない人生だった、と確信できる生き様でありたい。
小生、それを理想としております。

人の生き方は千差万別、
しかし、死だけは共通にやってきます。
生かされている限り、
自分の可能性を強く信じて、
善い生き様、を貫きたいものであります。


これから投票に行きます。
この小さな一票が、世の役に立つ一票でありますように。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 13:14| 日記

2007年04月19日

生きる



「生きる、見たよ」
昨夜、友人から電話がありました。
『生きる』とは、黒澤明監督の名作であります。

教条的な黒澤作品をシニカルに批判する友人が、
「黒澤の説教臭さが嫌いなんだけど、生きる、は黒澤のヒューマニズムが見事に出ていたね」
と手放しで絶賛していました。
小生、ビデオを薦めていた関係から、批判されるのではと思っていたのですが、安心しました。

『生きる』、素晴らしい作品です。
見ていない人のために、あらすじを紹介します。

市役所に勤務する初老の課長が、ある日、癌で余命が少ない事を知り、絶望の日々を送る。
そんなある日、同じ課の若い女子職員と出会い、明るく自由奔放に生きる彼女の姿を見て、事なかれ主義で生きてきた自分を反省する。
そして、癌で残り少ない命を有意義に活かそうと、これまで無意味に受け流してきた役所の仕事に精を出す。
彼の目に留まったのは、汚水溜まり場を児童公園にして欲しい、という市民の切なる陳情書であった。
児童公園を作ろうと動き出した彼に、様々な困難が押し寄せてくるが、死を覚悟した人間には鬼気迫るものがあり、すべての難題を処理していく。
そして、三十数年間、何もしてこなかった市役所の課長が、ついに子供たちが遊ぶ児童公園を完成させる。
彼は、雪の公園で、やさしい歌を唄いつつ、静かに去り逝く。

笑い、涙、感動、が至るところに散りばめられ、
それらすべてが無駄なく構成された見事な作品です。
「立派な課長に続け」と通夜の席で誓い合う役所の後輩たちが、数日後には、元の何もしない役所人間に戻っているところなどは、シニカルに笑えるところなのですが・・・、
小生は、彼らも、死を間際にすると、立派な課長になりうる愛すべき小市民と見ました。
皆それぞれ、希望と可能性を持って生きるべきなんだと!

『生きる』・・・まだ見ていない人は是非、お薦めします。

映画の中の課長と同様に、
誰もが、死に向かって、今を生きています。
人は、それぞれ何らかの影響を周囲の人々に与えながら生きています。

その影響も様々です。
人を苦しめたり、殺したりする悪い影響もあれば、
人を楽しませたり、命を救ったりする善い影響もあります。

どうせ、死に向かって生きているのなら、
映画に出てくる課長のように、自分なりの“公園”を作り、善い影響を周りの人々に提供しつつ、人に喜ばれながら、死んでいきたいものです。

posted by 井上誠吾 at 13:07| 日記

2007年04月18日

報告です・春のお楽しみ会


以前に、
「4月7日に行いました『フリークルーズ』の即興演劇のことをイベントコーナーに載せます」と約束していましたが、
申し訳ありません!
管理人が忙しくて、暫く載せられそうにありません。
小生が載せられれば良いのですが。なにせ、文章を消したり、メールを失敗したり、保存が出来なかったりする人間ですから、無理なのです。

そこで、このブログに載せたいと思います。
以下、イベントコーナーとして、ご覧いただければ幸いです。





4月7日、お楽しみ会のメインゲストは、
演劇集団『フリークルーズ』の俳優さんたちです。

彼らは、お客さんから、テーマを貰い、そのテーマに沿って、即興的に芝居を演じていくという斬新な俳優集団であります。
通常は5人がフルメンバーですが、この日はスケジュールの都合により、4人のメンバーとスタッフ1人の編成で、道場にやってきました。

少年部や保護者の方々に、それぞれ思いついた言葉をメモ用紙に書いてもらい、そのメモ用紙を舞台上にばら撒き、一枚一枚、拾い上げては、その言葉から連想することを即興で芝居にして観せていくのです。
先ずは、『カラテ』と書かれたメモ用紙を拾って読み上げると、いじめられっこが強くなるために空手を習おうと道場に見学に訪れる。すると、その道場には、女性の指導員がいて稽古をしている、というシーンを、その場でドラマとして即興で演じていきます。
女性の指導員は「気合いというものは」と言いつつメモ用紙を拾い上げ、そこに書いてある『ベジタブル王国』の言葉を読み、「ベジタブル王国、ベジタブル王国」と“気合い”を入れて稽古をする、というようにドラマは展開していきます。

もう爆笑の渦です!
小生の拙い文章では、あの面白さを伝えることは非常に困難です。
百聞は一見にしかず、です。
とにかく、一度、見て貰えれば、爆笑間違いなしです!

それにしても、空手道場だけに、やたらと『カラテ』の文字が多く、『カラテ』『カラテ』の連続に指導員一同、閉口しつつ、苦笑しながら観劇をしていました。

ともかく楽しかった。
少年部も、保護者の皆さんも、誘われて見学に来たお客さんも、みんな大喜びで帰ってくれました。

写真は、道場所属のプロカメラマン・月森砂名さんが撮られたので、デジカメに撮るのをすっかりと忘れ、ここに載せられません。
いずれ、なんらかの方法で載せることにしたいと思いますので、ご容赦下さいませ。

フリークーズの代表の鈴木一成さんから、感謝のメールが届いておりましたので、紹介いたします。

──   ──   ──   ──   ──  ──
昨日は本当にありがとうございました。
皆さんに喜んでもらえてれば幸いです。
未来がある子供達に何か感じてもらえたかな?

素晴らしい時間を作っていただき感謝してます。
今後共、応援よろしくお願いいたします。
「誠真会館」ならびに皆様のご発展をお祈りします。

フリークルーズを代表して、取り急ぎお礼まで。

フリークルーズ 主宰
鈴木一成(ボビ)

──   ──   ──   ──   ──  ──



少年部の皆さん、保護者の皆さん、見学に来たお客さん、手伝っていただいた保護者の方々や一般道場生の有志の皆さん、指導員の皆さん、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました!





と、以上をイベントコーナーに載せる予定でした。
本文にも書いておりますが、いずれ、写真を含め、載せる予定でおりますので、ご容赦下さい。




posted by 井上誠吾 at 11:05| 日記

2007年04月15日

再び権腐十年

少し前に『権腐十年』を書きましたが、
何人かの方から、十年で辞められてしまうのですか?
との寂寥感あふれる質問を受けました。

人は退き際が大切です。
しかし、退き際というのは、時には非情なものです。
場合によっては、親しくなった人々と、涙の別れを覚悟しなければならない時もあります。
小生自身、そのような辛い経験があったことから、
なぜ、十年後に辞退するのかということを、
ここで再び、言葉を添えさせて頂きます。

確かに、小生は、
65才を迎えた時に館長職を辞退すると決めておりますが、空手の指導から離れる気持ちは全くありません。
新館長を支えながら、今まで以上に空手の指導は勿論、道場生の人たちとの交流を続けていくつもりでおります。

では、なぜ、自ら退くのか?
小生は、どのような組織でも、十年以上、同じ人が権力の座に居つづけるという事は、あまり褒められたものではない、
と固く思っております。

本人が意識するしないにかかわらず、必ず、何らかの驕りが生じてきます。
組織の長が驕り高ぶってしまえば、
その長に対して、誰も意見を言わなくなり、
せっかくの諌言や忠言も届かなくなり、
組織は停滞し、やがて、衰退していくでしよう。

ましてや、空手の世界は、押忍の世界、であります。
押忍とは、ややもすると、
上の者にとっては下を理不尽に押さえつける言葉となり、
下の者にとっては上への絶対的な服従の言葉ともなります。

そのようなことは、誠真会館においては絶対にあってはならないし、断じて許してはならないことなのです!

館長が偉いんじゃない。
本部長が偉いんじゃない。
支部長が偉いんじゃない。
指導員が偉いんじゃない。
そして、そんな役職が偉いと勘違いしてはいけない!

それは、空手組織としての“役職の価値”であり、
“人間的な価値”ではありません。

誠真会館では、
役職がある人が偉いんじゃない。
空手が強くて上手い人が偉いんじゃない。

人は、完璧な人など、どこにもいません。
昨日の自分よりも今日の自分、
今日の自分よりも明日の自分へと、
常に、このままではいけない、と懸命に努めている人、
そのような人こそが偉いのです。

館長を辞退しても、
生涯学習です。真摯に空手の道を全うして生きます。
きっと、そこには、65才の小生が、
明日の自分を輝かせようと、懸命に奮闘している筈です。

今から、それを理想としております。
どうか、ご理解下さいませ。

心を込めて、押忍!

posted by 井上誠吾 at 11:36| 日記

2007年04月11日

成功!


やった、保存に成功しました!
フフフフフッ、どうだ、パソコンめ!


ん・・・?
小生、さっきから、ナニやってるんだろう?

え?・・・早く、仕事しろですって?
はい。そうします。
posted by 井上誠吾 at 11:09| 日記

うちのパソコンはギャグが判る?

前回の『また失敗』をブログに移したところ、
前・前回の『権腐十年』が二つも載っていたのに、片方が消えてしまいました。

ど、どういうこと、パ、パソちゃん?
あんた、自分のこと、いろいろ言われたからって、頼んでもいない『権腐十年』の片方を消すことないでしょうに。
あのさ・・・パソちゃん、あんたが二つ残したから、『また失敗』の文章を書いたんだよ。
それなのに・・・これじゃ、『また失敗』から読んだ人、訳わかんなくなるよ。

ヤバイよ。
小生、またボケちまった、って思われちゃうよ。

そうか、それでいいわけだね、パソちゃんは?
もう、君という存在がわからなくなってきた・・・。




小生、パソコンに遊ばれております。
どうやら、小生のパソコンは、小生の期待を外して、皆さんを楽しませる技術を持っているようです。

さて、この文章をブログに移したら、どうなることやら・・・。
慎重にマウスを動かして、ブログに、保存!




posted by 井上誠吾 at 11:07| 日記

また失敗

またやってしまいました。
前回の『権腐十年』を重ねて載せてしまっていました。

どういうわけでしょう?
こんな時、いつもメールや電話で苦言や注意をいただく御仁たちが、なしのつぶて、です。
おそらく、またやっちまってるよ、と呆れて笑い飛ばされておられるのでしょうが・・・。

それにしても、パソコンは苦手です。
手順通りにやっているつもりなのに、文章は消すわ、メールは送れないわ、保存はできないわ、等々・・・、
パソコンは、手強い!

ま、失敗は成功の元です。
かのエジソンは、電球の実験で九千九百九十九回も失敗して、
「一万回も失敗すれば、もう充分だろう」
と友人に言われたところ、
「失敗じゃない。うまくいかない方法を一万通り発見した」
とポジティブに見方を変え、自分を発奮させたといいます。

失敗を恐れては、何事もできない。
逆に、成功した人のほとんどが失敗という概念がない。
そうです。
人というものは、失敗や挫折をプラス思考に捉えて、幾度となく繰り返すことで、成長していけるものなのです。

おおッ、なんという開き直り!
いけませんね。
謙虚に自己を見詰め直す姿勢に欠けていました。
小生、反省します。
これからは、パソコンとも真摯に向き合い、
どうして、小生のいうことを聞いてくれないのか?
どうして、小生のやる事と反対の事をやってくれるのか?
その辺のところ、膝を交えて話し合いたいと思います。

こらッ、パソコン。
あ、見てました?・・・失礼しました。真摯にいきます。

ねぇ、パソちゃん?・・・パソちゃんって?・・・すぐにシカトするのやめてくれないかなぁ・・・そうやってウンともスンとも言わないで、黙ったまま文章消すの、失礼だよ・・・メールを送るのもそう。今時ね、ネコだって、ペリカンだって、カンガルーだって、きちんと荷物送ってくれてるよ・・・保存なんか、うちの冷蔵庫はパソちゃんより安いのに、カチカチに保存してくれてるよ・・・パソちゃん、なんとか、いってくれないかなぁ・・・。

うーん。パソちゃんは分からん。あんたは、手強い!

小生、毎回、こんな具合に、
パソちゃんを気遣いつつ、文章をブログに移しているのです。
さて、今回の文章はどうなることやら、無事に載っていたら、パソちゃんに受け入れられた、ということなのでしょう。

マウスを動かして、ブログに保存、と!




posted by 井上誠吾 at 10:51| 日記

2007年04月09日

権腐十年

権腐十年──権力は十年もすると腐敗する、という格言です。

東京都知事選が終わりました。
“傲慢な石原”から、“謙虚な石原”を演じて、三期目の石原都政がスタートすることになりました。
小生は、政治の専門家ではありませんので、石原都政のあり方はマスコミに任せておいて、一人の庶民として、常日頃から思っていることを述べたいと思います。

政治や企業、各組織のトップに立つ指導者は、どうあるべきか?
小生は常々、
「個人を犠牲にした指導者は、真の指導者とはいえない」
と強く思っております。
上に行けば行くほど、偉くなればなるほど、下に手厚く、弱者に対して慈しみを持つべきであります。

しかし、上に立つ者は、往々にして、権力欲、名誉欲、征服欲に毒されていく傾向があります。
“驕る平家は久しからずや”です。
その諺の通りに、歴史上の指導者たちは見事に、その栄枯盛衰の姿を今日に証してくれています。

かくいう小生も、小さいながらも、誕生したばかりの誠真会館の指導者であります。
それゆえに、権腐十年の格言を強く意識しております。
今年、小生は55才なのですが、
実は、十年後の65才を迎えた時、館長職を辞退する決意を、今から固めており、機会があれば各指導員に伝えています。

誠真会館の目的は、道場理念にあります。
仁・義・礼・忠・孝・勇・信、七つの精神の実践です。
小生の役目は、その“精神の礎”をしっかりと固めることにあります。
これからの十年、心血を注いでいけば、その役目は充分に果たせると自覚しております。
あとは次世代に受け継いで貰い、誠真会館が社会的貢献を果たしていける組織として、その責務を全うしていただければ良いのであります。

人は、
社会的な価値よりも、人間的価値が大切であります。

今の世の中、
役職とか職業というもので、人の価値を定めてしまう傾向がありますが、それは人の価値ではなく、人の能力、と見たほうが正しいのではないでしょうか。
社会的な地位や役職や職業に就いた人は、その能力をフルに使って、社会的な貢献をする義務があると思っております。

大切なのは、
社会的な価値よりも、人間的な価値だと信じて疑いません。

謙虚であるべきです。
私心を捨てるべきです。
人への慈しみを持つべきです。
仁・義・礼・忠・孝・勇・信、
七つの精神支柱には、それらのすべてが内奥されています。

権腐十年。
石原都政が、十年を境にして腐敗しないことを祈ります。

posted by 井上誠吾 at 11:05| 日記

2007年04月08日

大成功・お楽しみ会!

昨日の7日、
演劇集団『フリークルーズ』の俳優さんたちに特別ゲストとして来館していただき、即興演劇を行いました。

結果、大成功です!

当初、5時30分開演の予定でしたが、
俳優さんたちのスケジュール調整のため、6時となり、
その空いた30分間は、小生と指導員たちによる演武を行うことに致しました。
しかし、前日の金曜日夜の段階で、見学者が急増し、これでは道場に入りきれないのではないかと危惧され、我々が行う演武のスペースさえ、確保できなくなりました。

そこで、急遽、少年部による臨時板割り演武会を行うことにしました。
小学生1・2年生に限り、ジャンケンで5名の候補者を出場させました。
見事に板を割った子もいましたが、
なかなか割れない子も、3名いました。

この時、小生、鬼になりました。
「割れるまで、何回でもやらせよう」と決意したのです。
姿勢が大事、呼吸が大事、
そして、何より、いつも稽古で言っていることですが、
「人の体はダメだと思った瞬間からダメになる。逆に、やれると思った瞬間から、やれる体になる」
それを思い出させつつ、励まし、再度、挑戦させました。

しかし、紅一点・女の子は割ることが出来ません。
痛みに耐え切れず、表情も不安なものへと変わっていきました。
手刀では無理だと判断し、拳を握らせ、鉄槌で、さらに挑戦をさせました。

小生、女の子の目を見詰め、
「先生を信じろ、割れると思ったら、割れる」
と声をかけます。
すると女の子は小生を信じてくれたのでしょう。
彼女の目に強い意志が宿り、力強く頷き返してきました。
その顔を見た時、
「次で割れる」
と小生は感じました。

次の瞬間、女の子の自信を込めた小さな鉄槌が、勢いよく振り下ろされ、板は真っ二つに打ち割られました!
同時に道場内に大きな感動の拍手が沸きあがったのは言うまでもありません。
女の子に続いて、割れなかった男の子たちも見事に成功!

5人の小さな挑戦者たち全員が板割りに成功したのです!

いつものことですが、
また、子供たちに教えられました。
「やれると思ったら、やれる!」
それを子供たちは見事に実証してくれたのです。

小さな挑戦者たちに、押忍!




尚、フリークルーズの即興演劇の事は、
イベントコーナーに載せますので、そちらを覗いてみて下さい。
管理人に文章は送信していますので、多少の時間をいただければ、有り難く存じます。



posted by 井上誠吾 at 12:14| 日記

2007年04月05日

春のお楽しみ会


当道場に演劇集団『フリークルーズ』が来ます。
なんと、特別・無料公演、を行ってくれます!

彼らは、
今年の7月に青山円形劇場での公演が決定している、
人気急上昇中の俳優集団であります。

小生と彼らとの出会いは、2年前でした。
Zepp東京で行われたイベント『仁義なき戦い』の舞台の台本・演出を小生が担当し、彼らがメインの役で出演してくれたことから、付き合いが始まりました。

何度か、彼らの舞台を観に行きましたが、
とにかく、面白い!
お客の要望に応じて、即興で、芝居を組み立てていくのですが、まるで、何度も打ち合わせや舞台稽古をしてきたかのように、その場で物語を作り、演じていくのです。

チームワークの見事さは言うまでもなく、
瞬間的に、無から有を生み出す創造力、創作力、そのセンスには脱帽いたしました。

とにかく、観れば判ります。
間違いなく、笑って、笑って、笑って、
そして、最後には、
得も知れぬ、じんわりとした感動が残るでしょう。

今回、道場では、桜の会を予定していましたが、
春のお楽しみ会として、彼らに特別ゲストとして、来て貰うことになりました。
これからブレイクする俳優たちを、
間近で観て、笑いと感動を味わって下さい!

場所は、西荻窪駅前・誠真会館。
日時は、4月7日(土)17時30分〜 
無料です。

このブログをご覧の皆様なら、ご来場、大歓迎です。
来られる場合は、人数確認が必要ですので、
03-3395-4338 誠真会館まで、ご連絡を下さい。

皆様、お楽しみに!

posted by 井上誠吾 at 11:15| 日記

2007年04月02日

人の組織

ある先輩からアリの世界の話を聞きました。

数年前に某テレビ番組で“アリの生態” の実験報告をしていたらしい。
その内容は『アリは働き者との印象があるが、三分の一が一生懸命に働き、あとの三分の一が適当に働き、残る三分の一は怠けて働かない』というのです。
つまり、その先輩は「“働き者”と思っていたアリだって、人間と同じように、適当に働いたり、怠けたりする者がいるということに驚いた」というのです。

話はまだ続き、
「面白いのは、一生懸命に働くアリたちのグループを別の場所に移すと、今度は、その働き者が揃っているグループの中でも、やはり、同じように三分の一が一生懸命に働き、あとの三分の一が適当に働き、残る三分の一が怠けて働かなくなった」というのです。

「人間の組織も同じようなもんだよ」
と、設計事務所を経営している先輩は、自分の会社と照らし合わせて、溜息混じりに苦笑していました。
小生も、なるほどと頷きながらも、
「しかし、人間には意欲とか、良心とか、向上心とか、そういうプラス思考的なものがあるから、その点においては、アリとは違ってくるんじゃないですか」
と言葉を添えました。

それにしてもです。
三分の一が怠けてしまうというのは、興味ある結果です。
確かに、街中で、会社員風の人々が、昼間から、パチンコ店やゲームセンターに入って行くのを見かけることがあります。
まさに、彼らは“三分の一族”に分類されるな、と納得せざるをえません。

しかし、人間はアリとは違い、
地球上で最も高等な知的生命体であるわけです。
だからこそ、自浄能力が働き、「このままではいけない」
と軌道修正が出来るはずだと信じております。

小生、自分の周りを見回して感じることですが、
庶民の中には、
時には怠ける人もいるでしよう、
時には適当に働く人もいるでしょう、
だからといって、他の人や、他の生物に対して、直接的に危害を加えたり、生命を奪ったりする蛮行に至る人は、どこにも見当たりません。

しかし、現代社会を見回せば、ムダな森林伐採・干潟埋め立て・ダム建設、さらにテロや紛争や戦争、等々、破壊行為は続いています。
それは、何故か?
人のエゴです。引いては権力者のエゴです。
国家や企業などの権力者から生み出されたエゴによって、そのような蛮行に至っている、と断言できます。

彼ら権力者のエゴからすると、庶民の“三分の一族”エゴなどかわいいもので、笑い飛ばせます。

政治や、経済や、組織の上に立つ者は、
私心を捨て、公のために生き、報じなければならない!
人間は、アリとは違うのだから、
上に立つ者が、そういう姿勢であれば、“三分の一族”が十分の一になり、百分の一になり、やがて、万分の一へと減少していくのではないかと思います。

武道の源である武士道の中に、
『私心を捨て、公に尽くす』との教えがあります。

小生、
胆に銘じて、
押忍、であります!

posted by 井上誠吾 at 11:48| 日記