2007年04月15日

再び権腐十年

少し前に『権腐十年』を書きましたが、
何人かの方から、十年で辞められてしまうのですか?
との寂寥感あふれる質問を受けました。

人は退き際が大切です。
しかし、退き際というのは、時には非情なものです。
場合によっては、親しくなった人々と、涙の別れを覚悟しなければならない時もあります。
小生自身、そのような辛い経験があったことから、
なぜ、十年後に辞退するのかということを、
ここで再び、言葉を添えさせて頂きます。

確かに、小生は、
65才を迎えた時に館長職を辞退すると決めておりますが、空手の指導から離れる気持ちは全くありません。
新館長を支えながら、今まで以上に空手の指導は勿論、道場生の人たちとの交流を続けていくつもりでおります。

では、なぜ、自ら退くのか?
小生は、どのような組織でも、十年以上、同じ人が権力の座に居つづけるという事は、あまり褒められたものではない、
と固く思っております。

本人が意識するしないにかかわらず、必ず、何らかの驕りが生じてきます。
組織の長が驕り高ぶってしまえば、
その長に対して、誰も意見を言わなくなり、
せっかくの諌言や忠言も届かなくなり、
組織は停滞し、やがて、衰退していくでしよう。

ましてや、空手の世界は、押忍の世界、であります。
押忍とは、ややもすると、
上の者にとっては下を理不尽に押さえつける言葉となり、
下の者にとっては上への絶対的な服従の言葉ともなります。

そのようなことは、誠真会館においては絶対にあってはならないし、断じて許してはならないことなのです!

館長が偉いんじゃない。
本部長が偉いんじゃない。
支部長が偉いんじゃない。
指導員が偉いんじゃない。
そして、そんな役職が偉いと勘違いしてはいけない!

それは、空手組織としての“役職の価値”であり、
“人間的な価値”ではありません。

誠真会館では、
役職がある人が偉いんじゃない。
空手が強くて上手い人が偉いんじゃない。

人は、完璧な人など、どこにもいません。
昨日の自分よりも今日の自分、
今日の自分よりも明日の自分へと、
常に、このままではいけない、と懸命に努めている人、
そのような人こそが偉いのです。

館長を辞退しても、
生涯学習です。真摯に空手の道を全うして生きます。
きっと、そこには、65才の小生が、
明日の自分を輝かせようと、懸命に奮闘している筈です。

今から、それを理想としております。
どうか、ご理解下さいませ。

心を込めて、押忍!

posted by 井上誠吾 at 11:36| 日記