2007年06月29日

どう生きる?

人間、本能的に自分が可愛い、のは理解できます。
しかし、それが行き過ぎると、周りの人に迷惑をかけたり、傷つけたりして、やがてそれが、自分に返ってきて、取り返しのつかない“人生の過ち”を犯してしまう。

偽造牛肉で揺れ動く生肉加工会社の社長を見ていて、
そんなふうに思いました。

先日、池袋の日本武道具ショップの角田社長とお会いして、
いろいろな話で盛り上がった際に、
角田社長より、千葉長作著の短冊をいただきました。
千葉長作とは、山岡鉄舟の門下生を経たのち、剣聖千葉周作の武門を継いだ明治時代の武道家です。

以下、その短冊に書いてある武道教範の気になる箇所を抜粋させていただきます。

『口に偽りを云わず身に私を構へず、内すなほに外かざりなく、禮儀正しく作法乱れず、貴きに詔はず卑しきを侮らず、富めるに誇らず貧しきを見捨てず、人を誹らず我を立てず、陰言中謀云ふべからず』

小生なりに現代訳させていただくと、

『嘘や偽りを言わずに、
自分勝手なことをしないで、
外見ではなく、素直なこころで、
礼儀作法を正しく行い、
偉い人に媚びへつらわず、
貧しい人を馬鹿にせず、
金持ちだからといって誇らず、
貧しい人を見捨てず、
人を非難せず、自分ばかりを主張せず、
陰口を言ったり、傷つけたりしてはいけない』

と、解釈いたしました。

まるで、親が子供を育てる“躾”にも似て、素直で簡単で判り易い指標であります。

小生、これが武道精神の源であり、現代に必要とされる武士道精神の真髄と見ました。
何も難しいことではなく、
「人は、こう生きるべきなのだよ」
と、語りかけているのがよく判ります。

生肉加工会社の社長然り、
NOVA、グッドウィル、ブックオフ然り、
社会保険庁はじめ、問題を起している公僕然り、です。

もし、彼らに、
この“躾”が深く理解できていたのなら、
“人生の過ち”を犯す事はなかったのではないでしょうか。

posted by 井上誠吾 at 11:22| 日記

2007年06月26日

ふるさと・母

小生の“ふるさと”は福岡の筑豊です。
小説『青春の門』や『東京タワー』の主人公たちが少年時代まで過ごした舞台となった炭鉱の町です。
遠賀川の川筋気質といって、酒と博打と喧嘩に明け暮れ、
九州では、筑豊ナンバーの車を見たら皆避けて通る、と言われる位に粗野で荒々しくも、人情のある町であります。

炭鉱の町とはいえ、
「うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川」
家から一歩出ると、唱歌『ふるさと』の詩、そのままで、うさぎも追ったし、小ぶなも釣れたし、
「ゆめは今もめぐりて 忘れがたき ふるさと」
であります。

小生、若い頃、室生犀星の詩に影響されていました。

『 ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして、悲しくうたふもの
  よしや、うらぶれて異土の乞食となりとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや 』

この詩を、上京した小生は何度も読み返し、一人前になるまで、どんなに帰りたくでも帰ってはいけない、と強く誓ったものでした。
当時、室生犀星に感化されて詩を書き、母宛の手紙として送ったことがあります。

『 ぽつんと都会の夕暮れの中
  ふるさとで夕餉をつくる母を想う
  あかね色に染まった湯気の向こうで
  コンコンとまな板の音を立てている母
  疲れてはいないだろうか
  心配かけてはいないだろうか
  湯気の向こうで母が笑った
  がんばんしゃい!
  ちょっぴり 勇気が出た
  ふと 孤独な都会の空を見上げれば
  ふるさとで見た同じ夕焼け空が
  あたたかく見守るように広がっている 』

この手紙の返信で、母から大量の荷物が送ってきました。
近くの山で採れた自然薯、一度だけ美味しいと言ったことのある干し魚、体に良いと母が飲み始めた健康茶、東京で買ったほうが新鮮に思えるキュウリ、布巾だか暖簾だか何だか判らない布きれ、等々・・・。
その中に『涙がでました』と詩に感動したらしい母の手紙が添えてありました。
もう、30年以上も前の話です。

そんな母が、軽い認知症にかかりました。
先日、同じ詩をおふくろへの手紙に書いて送りました。
30年前の愚息が、未だもって都会で奮闘していることを記憶に留めてくれることを願いつつ・・・。

育ててくれた母に感謝!

posted by 井上誠吾 at 10:48| 日記

2007年06月21日

日々の暮らしの中で

名声や地位や財産にのみ、心を費やして、
静かに、生を楽しむという余裕もなく、
一生をあくせくして暮らすのは、実に愚かなことだ。

このようなことを吉田兼好が『徒然草』の中で述べています。

折しも、NOVA、グッドウィル、ブックオフ、と急成長した企業の不正が続いていますが、三つの企業のトップに、この吉田兼好が述べた言葉がぴったりと当てはまります。

企業なのですから、利益を上げるのは当然です。
また、人間ですから、有名になりたい、出世したい、金持ちになりたい、と思うのは理解できるし、自分の夢や希望に向かって努力する姿は人として美しくもあります。

かくいう小生自身、
名声・地位・財産・すべてを手に入れた松下幸之助翁を大尊敬しております。
しかし、
それは、名声・地位・財産・を手に入れた幸之助翁ではなく、
丁稚から身を立て経営の神様とまで称されるに至った、その言動や思考に対して尊敬してやまない、ということです。

幸之助翁の語録をいくつか挙げれば、
「松下電器は人を作る会社です。あわせて電化製品を作っています」
「松下電器の使命は、物資を水道の水のように安く供給することです」
「金銭を動かしても金銭に左右され、節操を売るような人間になってはいけません」

どの言葉をとっても含蓄があります。
企業というものは、利益だけを追求せず、社会や人々のために奉仕すべきだ、との使命感や信念が伝わってきます。

その社会的な使命感や信念を企業のトップが見失うと、
今回、三つの企業が犯したような過ちに繋がってくるのではないでしょうか。

今や、松下幸之助翁も歴史上の人物、となりつつあり、
時代は物凄いスピードで未来へと突き進み、
あらゆる変化をし続けております。

さて・・・、
ちょっと、ここらで深呼吸してみませんか。
人は、この世に楽しむために生まれてきたのです。
あくせくしないで、静かに、生を楽しみ、こころに余裕を持ちたいものです。

時代に流されず、
名声や地位や財産に左右されず、
なんのために生まれてきたのかを考えてみる時間も必要ではないでしょうか。

黙想!
posted by 井上誠吾 at 10:22| 日記

2007年06月18日

なぜ家族間殺人?


また嫌な事件が連続して起こりました。
妻が夫を殺し、夫が妻を殺し、子供が父親を殺し・・・、
なんだか、こう書いているだけで嫌な気分になります。

それぞれの事件の背景には、
暴力や利害や憎悪が渦巻いているのでしょうが、
ここで、各事件について云々するつもりはありません。

ただ、“家族の崩壊”が殺人に至るところまできてしまっているのは悲しい現実であります。

家族崩壊といえば、50年以上前、名作・『東京物語』で、小津安二郎監督が見事に日本の家族崩壊を描いております。

物語は──、
田舎に住む老夫婦が、東京に出てきて、独立して生活する子供たちを訪ね歩きます。
しかし、子供たちは、それぞれ社会的で成功しているにもかかわらず、年老いた夫婦をあまりこころよく思いません。
老夫婦は子供たちの間を渡り歩きながら、家族とは、夫婦とは、子供とは、と葛藤し・・・最後に田舎に帰って、妻に死なれ、孤独となった老人は、人の一生とは何なのだろう・・・と思い返します。

随分と昔に名画座の小津安二郎特集で観た作品ですが、
ラストの老人の姿は、小津監督のローアングルのカメラ演出で、この上なく悲しい人生の孤独、を浮き彫りにしていたのを鮮烈に思い出されます。

それと、年老いた親に対して冷たいとはいえ、子供たちにも、それぞれ事情があり、滑稽な人間模様が描かれていたのは、映画の救いとしてあったように記憶しております。

50年以上前、
老夫婦に冷たい、という家族崩壊がすでにありました。
そして、今、
家族の崩壊は、肉親への冷たさ、を通り越して、殺人にまで至っております。

ここが問題なのであります。

おそらく、小津監督の『東京物語』は、
子供の冷たさをシニカルに捉えながらも、そうであってほしくない、というあたたかさが作品の中に込められていたように思います。

自分さえ良ければいい、という風潮は、
50年前といわず、有史以来、人間の醜い欲、として存在していたのは確かでしょう。

それを止める時代、が必要です。
このような事件が続き、誰もが良いとは思っていない筈です。
良識ある人々が、今こそ、気づくべきです。

日本には、美しい生き方の美学がある事を!


posted by 井上誠吾 at 09:52| 日記

2007年06月15日

いつから、こんな国に?



夫が保険金目的に妻や子を殺したからといって、
もう、驚かなくなりました。

子が親を、兄が弟を、小学生が同級生を、教師が生徒を殺したからといって・・・もう、驚かなくなりました。

驚かなくなったのは、他にもあります。

会社や法人団体が、
国や省庁や地方の自治体が、
次から次へと悪事を曝け出していますが、
またか、と呟くだけで、もう、誰も驚かなくなりました。

このままでいいわけがない!
驚くことに慣らされてしまってはいけない。

かつての日本には、
こんなことをしては、いけないとか、みっともないとか、
自己規制する生き方・倫(みち)がありました。

この倫(みち)が、
家庭から、地域から、会社から、団体から、自治体から、国から、無くなってきているのが問題です。

自分さえ良ければいい、
自分さえ儲かればいい、
という自己中心的な功利主義が蔓延してしまい、
人を、おもいやる、という精神が欠落しきっています。

少なくとも、この、おもいやり、を持つだけで、
親が子を、子が親を殺すという血生臭い事件は少なくなるのではないでしょうか。

その、おもいやりは同時に、
夫や妻、兄弟や姉妹、教師や生徒、上司や部下や会社のトップや団体組織のトップ、さらに政治家や官僚や国や省庁や自治体が、おもいやり、を持てば・・・、

毎日、またか、と呟くような出来事が、
少なくなってくるでしょう。

武道精神に『仁』という、精神支柱があります。
これこそ、おもいやり、なのであります。

posted by 井上誠吾 at 09:55| 日記

2007年06月12日

利・先義後利

ありがとうございます。
最近、少しブログの書き込みの日数が空くと、
「どうかしましたか?」「何かありました?」
との心配のメールや電話をよくいただきます。

空いた理由を書かせていただきますと、
日曜から今日にかけて、大阪での打ち合わせや知人のコンサートなどが続き、ホテルや道場に泊まり歩き、今やっと、三日ぶりに家に帰ったところなのであります。

皆様のご心配には、感謝の限りであります。
そのご心配を払拭するためにも、
前回、書き残してしまった『利』について、少々書き加えたいと思います。

武道の源である武士道は、利の追求を忌み嫌いました。
なぜか?
武士は支配者側であり、庶民の手本となるべき公人だったからであります。
もし、武士がその権力的な立場を利用して、欲望の赴くままに富も地位も名声もほしいままにしていたなら、武士道精神の徳目など、今日まで残る事はなかったでしょう。

武士道は、金銭の価値を“徳”などに置いてはいません。
人として、どう生きるべきか、という行動の美学を追求しているのです。

それに比べて現代の日本、
あまりにも、利潤や、実績や、数字ばかり、を追い求め過ぎてはいませんか?
数字、数字、数字!
そのために、子供から大人まで、その数字に追われ、自殺者を続出させているのが現状であります。

このままで、いいわけがない!

小生、「先義後利」という言葉が好きです。
先にすじ道があり、あとから利益がついてくる。

公人、つまり、公僕の皆さん!
政治家、官僚、公務員、教師の皆さんです。
汚職をやめましょうよ。
天下りをやめましょうよ。
談合をやめましょうよ。
いじめを無くしましょうよ。

皆さんが、すじ道を通して、利益を得るのであれば、
国民は文句はいいませんよ。

せめて、美しい国づくり、を目指しているのなら、
日本には、世界に誇るべき徳目があることを、
強く再認識してほしいものです!

posted by 井上誠吾 at 20:51| 日記

2007年06月07日

恥を知る

やっぱり載った。
というのは、以下の新聞記事です。
『社保庁の歴代長官が天下り先の法人を渡り歩き、3億円以上の報酬を得ていた実態が明らかになった』

小生、このような新聞記事がいずれ載るだろうな、と思っておりました。

ここで、ちょっと裏話を。
小生の知人に、特殊法人の職員がいます。
以下は、その知人から聞いた話しです。

天下りしてきた高級官僚が理事長の座に就き、その理事長が外出する際の事の顛末です。
エレベーターはその理事長の為に止められ、廊下もその理事長が通り過ぎるまで空けられ、駐車場もその理事長がハイヤーに乗り込むまで車の出入りが止められる、というのです。
まるで、現代版・大名行列の“殿様”扱いです。
“殿様”が外出する間の、警備費や人件費や時間の労費のムダは相当なものです。
しかも、ある日、“殿様”が出かけようとした時、私用電話がかかってきて部屋から出なくなると、その間、エレベーターも廊下も駐車場も、そのままの状態で何十分も待機を命じられた、というのです。

知人の職員は怒りを通り越した納得いかない顔で、
「理事長といっても、何か特別な仕事をしているわけではなく、短期間の就任で多額の報酬と退職金を受け取り、次の天下り先へと渡っていくだけなんです」
と苦笑していました。

歴代の社保庁長官だけではありません。
このようなことは、各中央省庁でも同じように行われており、
さらに全国の地方自治体でも行われている、というのです。

官僚や公務員のすべての人々が厚顔無恥とは言わない。
しかし、
権力を握った者が狂ってしまう構造悪がある、のは事実!
そして、一度、権力を握った者は、欲望の赴くまま良心の欠片もなく組織支配を続けている、のも事実!

公僕の長よ、恥を知りなさい、恥を!

お手本であるべき公僕の長が、これでよいのか!
未来ある子供たちに、醜い背中をこれ以上見せないでくれ!

と、声高に言っても、悪い奴こそよく眠る、ものです。
今、善良なる大人たちのやることは、何か?
次代を担う子供たちに“恥ずべき事”を教えてやることではないでしょうか。

武道には、その恥の文化の徳目が具わっています!

押忍!
posted by 井上誠吾 at 10:34| 日記

2007年06月05日

アレ?また変なのが?

7Zs・・・?
なんだろうと思ったら、直接入力ってヤツですか、
7Zs=やっと、でした。

以前のブログのタイトルにも、この変なのが出てきましたが、
今、やっと、理解できました。

7Zs・・・こいつ消したいけど、
また全部消してしまいそうだから、このままそっとしておきます。
パソコンに精通している人から見ると滑稽でしようが・・・、

笑ってやって下さい。
posted by 井上誠吾 at 12:24| 日記

7Zs やっとブログ更新!

この一週間、ブログを更新しようにも、管理者ページから先に入れずに、どうなっているんだろうと思っていたら、
今、入ることが出来ました!
な、なんで?
理由はまったく判りません。
本当にパソコンは苦手であります。

ともあれ、ブログ再開です。

再開早々、“自殺”という暗い出だしですが、
この文章は、農水大臣と元開発公団理事が自殺した翌日に書いて、載せようとして、載せられなかったものです。

お蔵入り、するところでしたが、晴れて、公開です。




タイトル・『美徳』

農水大臣と元開発公団理事が、自殺しました。

死者たちに鞭打つようなことはいいたくはないが、
『美しい国づくり』を目指す内閣にあって、灰色の部分を残したまま自分の人生に終止符を打ってしまったのは、美しくもなく、潔くもありません。

地位や名誉を得られても、あの世には持っていけない。
今、農水大臣も元開発公団理事も、
死んで初めて、そう気がついていることでしょう。

かつて西郷隆盛は、
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬという人は始末に困る。だが、この始末に困る人でなくては大事はできぬ」
と、幕末の剣豪・山岡鉄舟を評しています。

西郷率いる官軍が徳川幕府を倒す寸前の事です。
山岡鉄舟は、幕府側の恭順を伝えるため、命を賭して敵方の官軍本営にたった一人で乗り込むと、西郷との直談判を決行し、その結果、江戸は火の海になるのを免れ、江戸城は無血開城へと向かっていくのです。

西郷隆盛も武士なら、山岡鉄舟も武士!
敵同士でありながら、肝胆相照らした二人は、無益な戦争を避けて維新への道を開いたのであります。
前述の、「命も要らず、名も要らず──」は、
至誠の人・西郷隆盛をして、あのように賞賛させたのです。

公のために命を尽くす、これ、武士の誉れとされました。

かつて日本には、
公のために尽くす美徳がありました。
きちんとした躾を受け継いだ心やさしさがありました。
謙虚さ、質素さ、純粋さ、静かで強い心、がありました。

その美徳が、
国を動かす、農水大臣なり、開発公団理事なりに欲しかった。

今の日本、
物質的に豊かになった分だけ、
精神的に忘れてしまったものがあまりにも大きい。
人間性の欠片もない事件や事故が起るたびに、
そう感じておられる人は、数多くおられることでしょう。

武道精神の中には、
人として、忘れてはならない“精神の美徳”が、
厳然と内在されています!


posted by 井上誠吾 at 12:09| 日記