2007年07月13日

謙虚・誠実・責任感

『謙虚』『誠実』『責任感』──、
小・中学生の頃、習字の時間になると、みんな書いていたような記憶があります。

天邪鬼な小生は、子供ながらに、なんか嘘っぽいな、と感じつつも、いざ書くと『努力』『青雲』と五十歩百歩で、ちょっと気取って『宇宙』辺りだったように記憶しております。

さて、近頃、政界・官界・財界で、晩節を汚す、人々が続出しております。
『九仞(きゅうじん)の功(こう)を一簀(いっき)に虧(か)く』と言う諺があります。
長年の努力で完成近くまで築いてきたものを、わずかな失敗のために無駄に終わらせる、ということです。

辞任した大臣たち然り、
返納を要求されている長官たち然り、
古本や介護や英会話や偽装牛肉などの創業者たち然り、
それぞれが、見事に、九仞の功を一簀に虧き、晩節を汚してしまっています。

皆、若い頃は、それぞれ社会に役立つ人材として羽ばたこうと純粋に働き、その努力の結晶が、結果として、それぞれの組織の指導者として君臨するようになったのだと思います。
では、なぜ、晩節を汚してしまったのか・・・?

小生、思うのですが、
指導者としての彼らに──、
『謙虚』『誠実』『責任感』というものがあったら、おそらく、晩節を汚すことにはならなかったに違いありません。

彼らも、子供の頃、この三つの言葉は習字で書いたことがあるのではないでしょうか。
小生と同じように、嘘っぽいな、と感じていたとしても、
大人になるにつれ、実は素直で判り易い、この『謙虚』『誠実』『責任感』こそが大切だと気付くようになった筈だと思います。

そんなふうに考えると、
彼らは、何のために生まれ、
何のために働き、今日の地位を築いてきたのでしょう・・・?
『九仞の功を一簀に虧く』ため・・・?
『晩節を汚す』ため・・・?

釈迦は、「人はこの世に楽しむために生まれてきた」と説いています。

彼らの人生はまだ終わっていません。
元大臣として、元長官として、元社長として、
『謙虚』に、『誠実』に、『責任感』を持って、
国民のために、消費者のために、元社員のために、
残る人生の、時間も財産も生命も、苦も楽も、すべてを賭けて償って欲しい。
そうすれば、素晴らしく尊い人生に変わり、
悠然とした最期を迎えられるのではないでしょうか。

ちなみに『九仞の功を一簀に虧く』は、武士たちが学んでいた四書五経の中の“書経”に出てくる言葉であります。

押忍!
posted by 井上誠吾 at 18:08| 日記