2007年08月29日

木鶏の話

小生、二人の愚息たちと、『朝まで生テレビ』も顔負けの論戦を交わす事が多々あります。
先日も、休暇で帰ってきた次男といつもの論戦が始まり、
「木鶏は大事だよね」と反論されました。

次男の言う、木鶏とは、中国古典の話です。

『王が、調教の名人に軍鶏を10日ほど預け、「もう良いか」と聞くと、名人は「空威張りして駄目です」と答え、さらに10日経って聞くと「相手を見ると興奮して駄目です」と答え、さらに10日経って聞くと「相手を見下していて駄目です」と答えた。それから、さらに10日ほど経って聞くと「相手を見ても平静を保ち、まるで木彫りの鶏のようで、徳が充実し、天下無敵です」と答えた』

戦前、69連勝を果たした大横綱・双葉山は、
心の師と仰ぐ安岡正篤(思想家)から、この『木鶏』の話を聞いて感動したそうです。
そこで、連勝を破られた時の心境を「いまだ木鶏たりえず」と電報で送ったのです。
しかし、破れた際の土俵上の双葉山は、平静を保ち、騒然たる館内衆目の中、普段通り土俵に一礼し、いつもと変わらない表情で花道を下がっていったといいます。

素晴らしい!
双葉山こそ、徳が充実した天下無敵の大横綱でしょう。

さて、今日の午後にも、朝青龍が帰国するとのことです。
みんなが巡業している時に腰痛の診断書を出し、母国でサッカーをやっていた横綱・朝青龍。
なんの釈明もなく、このまま帰国して良いのでしょうか。

大横綱・双葉山は草葉の陰で泣いていることでしょう。
朝青龍は、解離性障害と診断されたそうですが、
双葉山にも障害はありました。
少年時代に右目を負傷し、ほぼ失明状態で、さらに事故で右手の小指に後遺症が残っていたのです。
それでも、そのことを人に洩らさず、相撲道を邁進し、孤高の大横綱として、多くの関取たちに模範を示していたのです。

相撲界にいる朝青龍なら、双葉山の話は知っている筈です。
このまま帰国させるのではなく、親方なり、相撲協会なりが、朝青龍という若者のために、愛という慈しみを込め、
道(倫)を説いてやることが大切なのではないでしょうか。

かくいう小生ではありますが、
実は、次男坊が「木鶏は大事だよね」と言った背景には、
クドク、ナガク、シツコイ独断的な小生の話に、業を煮やした次男坊が、子供の頃から聞かされてきた「木鶏の話」を思い出し、皮肉を込めて、父親を諌言した瞬間だったのです。

日頃の反省の意味も込めて、
小生の場合、「生涯、木鶏たりえず」でしょう。
しかし、悟ろう悟ろうとして悟り乞食、になるよりも、
生涯修行の途上の中で、未熟のまま人生の幕を閉じたほうが小生らしい、と思っております。

しっかり修行をさせていただきます。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 11:58| 日記

2007年08月24日

「ありがとう」のひと言

嬉しい知らせを聞きました。
当道場に所属する小学2年生の少年の話です。

先日、少年の父親の会社で、
『お父さんの職場訪問』という催しがあったそうです。
日頃、お父さんが、どんな職場で、どのような仕事をしているか、を子供に見せようというものです。
“働く父親の姿を子供に見せる”というのは素晴らしい企画だと思います。

初めて父親の働く姿を見たその少年は、
一通り、職場内を見学して廻り、その帰り際に、
「ありがとうございました」
と、職場の方々にペコリと頭を下げたそうです。

礼に始まり礼に終わる。

「道場で覚えた礼儀は、道場だけでなく、家でも、学校でも、隣近所でも、同じように使えなくてはいけない」
小生、少年部には事あるたびに言っておりますが、
まさか、このように、家でもない、学校でもない、隣近所でもない、道場から遠く離れたところで、しかも、お父さんの職場訪問という普段とは異なった環境の中で、きちんと“実践”してくれたのです。

「これも空手を習っているおかげです」
と、ご自身も道場生であるお父さんは、小生に感謝の気持ちを伝えてこられましたが、
とんでもありません。
こちらこそ、こんな嬉しいことはなく、
きちんと応えてくれた少年に「ありがとう」であります。

人は、一人で生きているわけではありません。
自分の周囲の人々からの物心両面、様々な恩恵を受けているからこそ、生きていられるのであります。

そんな周囲の人々に
「ありがとう」
と素直に言えることは、最も大切なことだと思います。

しかし、どうでしょう?
「ありがとう」と言ってしまったら、まるで損してしまう、かのように思っている傲慢な人々を見かける事はありませんか?

「ありがとう」という感謝の気持ちをなくしてしまうと、
人は、ついつい愚痴っぽくなったり、不平や不満が募ったりして、人を怨んだりするのではないでしょうか。
やがて、自分ばかりでなく、他人も傷つけ、なんの希望もない、暗く陰湿な環境に自らを陥れてしまうのではないでしょうか・・・。

ありがとう、の一言は、
周囲の人々に不愉快な思いをさせないばかりか、
自分自身さえも豊かにしてくれる筈です。

道場での「ありがとう」が、
家で、学校で、隣近所で、各地域で、各社会で、大きく広がっていくことを望んでおります。

押忍、ありがとうございます!

posted by 井上誠吾 at 09:52| 日記

2007年08月20日

やる気、で乗り切る!

子供の頃──夏休みが終わって、二学期が始まる時、
なんとなく、“学校に行きたくない気分”を味わった覚えがあります。

道場では、今日から、その“二学期”が始まります。
すでに、保護者の方々からの情報によると、
なんとなく、“道場に行きたくない気分”を味わっている少年部がいるようです。

人は誰でも、本能的に辛さや苦しさから逃れたいものです。
そんな時もあっていいんだ、と思っています。
しかし、その反面、“逃れてはいけない”と自覚したからには、“やる気”を持って挑むべきだ、とも思っています。

実は、小生、手前味噌ではありますが、
若い頃、この“やる気”で、貴重で不思議な体験をしています。
それは千葉総裁が主催するJACに合格し、俳優を目指して、日々稽古を重ねていた頃のことです。
マット運動、トランポリン、現代アクション、時代劇殺陣、キックボクシング、少林寺、空手、とメニューは盛り沢山。

高校の頃、空手をやっていたものの、あまりにも過酷なメニューに打ちのめされ、何度か嘔吐したこともあります。
連日、稽古、稽古、稽古!
筋肉痛に筋肉痛を重ねながら、体はボロボロ。
もう、駄目だ、と弱音を吐きかけた時、
「こんなことで潰れたら、人生、すべてが潰れる」
と、得体の知れない恐怖感に襲われたのです。

要は、自分との闘いです。

潰されてなるものか、と気を静め、意識を変えながら、
ゆっくりと深呼吸をし、自分を奮い立たせました。
すると、あんなに疲れきっていた肉体が、
苦しい、辛い、痛い、を一気に飛び越え、こんなにエネルギーが残っていたのか、と思うほど、動いてくれたのです。

そう、動いてくれた、という表現が正しいでしょう。
ボロボロに疲れてはいるけれど、活き活きと動いてくれた。

それは、“やる気”が、疲れた肉体を凌駕する瞬間でした!

あの力はいったいどこから出てきたのか?
理屈で言えば、エネルギー源はブドウ糖、ブドウ糖は筋肉のガソリン、分解するには酸素が必要、そこで深呼吸をしたからエネルギーを得られた、ということになるのでしょうが・・・、

あの時は、そんな理屈などでは説明のつかないものでした。
やる気、は“ここまで瞬時に人を変える”という
不思議な神がかり的な“体感”でありました。


小生、今でも“やる気”こそ、
人を変える根本だと信じております。

道場の夏休みが終わり、
小生自身が、やる気、を持って、挑みたいと思っております。
少年部は勿論、道場生の皆さん、
再び良い汗を流しましょう!

押忍!
posted by 井上誠吾 at 09:32| 日記

2007年08月15日

戦争を知らない子供たち

62回目の終戦記念日を迎えました。
「もはや戦後ではない」と言われたのは、昭和31年。
今や平成と改号されて、早や19年。
人々の中で戦争は遠い歴史の一ページになりつつあります。
 
もはや、戦争の記憶は風化されてしまったのか・・・。

かくいう小生もまた戦争を知らない子供たちの一人です。
しかし、父親から戦場の悲惨な話しを聞き、反戦フォークやジョンレノンの『イマジン』に影響を受けながら育ち、少なからずも、戦争は意識の片隅に存在していました。

折しも、第九条をめぐり、改憲か護憲か、で意見が闘わされています。
何をしでかすか判らない危険な隣国や、日米関係を考えると、改憲も止む無しか、とも思ってしまうのですが・・・、
例え、改憲するにせよ、被爆国・日本は、
「戦争は絶対にしてはいけない!」
との姿勢を貫き通すべきです。

ようやく、イラク侵攻が間違っていた、と米国民は気付き始めたようです。
しかし、日本政府は、未だに、イラク戦争支持の政策を取り続けています。

世界を見渡しても、
平和を推進すべき宗教や思想が、
本来の役割を果たさず、醜い争いを引き起こし、
人々を戦争に駆り立てているのが現状です。
本来、宗教や思想は人間の幸福を探求しているものだと思いますが、
平和の推進ということにおいては、功罪相半ばしているのは紛れもない事実でありましょう。

世界中の名もない庶民たちは、
武力で他国を侵略し、繁栄していく国が正しい、
とは、誰一人として思っていない筈です。

被爆国・日本には、誇るべき信念があります。
小生に言わせれば、勿論、それは武道=武士道、です。

『武』とは、戈(ほこ)を止める、という意味です。
双方の争いを止めるのが『武』という力なのです。

日本人は、『武』という人の倫を活かすべきです。
戦争をしない、
させない、
しかけない!
世界に誇るべき“勇気ある民族”であるべきなのです。


戦争で犠牲者になった皆さんに、黙祷。

posted by 井上誠吾 at 08:28| 日記

2007年08月13日

都会の中のあたたかい村


『 秋深し 隣りは何を する人ぞ 』
松尾芭蕉の俳句です。

秋が深くなると
なんとなく寂しくなり
隣りの人の生活の物音などが聞こえてきて
何をしている人なのだろう?
と想像してしまう

と、このような意味ではないかと理解しております。

さて、東京の片隅で、小さな写真展が終わりました。
先日のブログで紹介いたしました、『西荻ドミノ』と題した写真展であります。

写真展の会場にカメラマンの小川哲史さんのコメントが貼られていましたので、要約させていただきます。

「私は八年前に上京し、西荻窪に住み始めた。
 田舎で育った私は、自分が経験したことのない濃密な“村”のような雰囲気を感じ、西荻窪に魅せられていった。
 この街に住む一人一人にスポットをあて、連続させていくことにより、その“村”的な人間関係の魅力を写し出したいと思った。
 田舎から出てきて、家族や友人と離れて暮らし、東京に孤独を感じている人がいたら、こんなにあたたかい人の輪が、すぐそばにあることに気づいて欲しい」

以前、小生も『ふるさと・母』というタイトルでこのブログ
に書きましたが、上京した者の持つ孤独感が手に取るように
伝わってきます。

小川さんは、
「これからも、この輪を広げていきます」
と語っておられました。

隣りは何をする人ぞ・・・、
誰だって、人恋しさ、というものはあるでしょう。
しかし、その反面、
隣りは何をしている人か判りゃしない、
という冷たい人間関係が存在しているのも都会の現実です。

東京の片隅“西荻窪村”から、
あたたかい人の輪が広がっていき、
殺伐とした都会を、
あたたかく彩って欲しいものです。



追伸。
『西荻ドミノ』の写真展の模様は、イベントコーナーに載せたいと思っております。
よろしかったら、覗いて下さい。




posted by 井上誠吾 at 11:42| 日記

2007年08月09日

西荻ドミノ

一人のカメラマンが写真展を開きます。
名前は、小川哲史さん。
タイトルは『西荻ドミノ』です。

西荻窪の地域の活性化を願って、
商店主たちに知人を紹介してもらい、
「ドミノ式に友情の連鎖」をしていく、という発想のもと、写真を撮り続け、今回、写真展を開くことになりました。

場所は、
杉並区桃井4丁目『西荻地域区民センター・1F』
(桃井4丁目交差点・交番の横)

期間 8月10日(金) 12時〜19時
11日(土) 10時〜19時
12日(日) 10時〜19時
入場料は無料です。

小生も写真取材を受け、その写真が展示されるそうです。

紹介をしていただいたのは、
若い頃に空手をやっていたと仰るゼネラル物産の大山社長であります。

昨年の10月、小生が、西荻窪の駅周辺で道場を開くべく、物件探しをしていた時、何軒目かに飛び込んだ不動産会社の社長が、大山社長だったのであります。

「あんたはいい人だ。きっと道場は発展する」
と初対面の小生ごときを、社長は大いに気に入って頂き、
物件探しはそっちのけで、武道精神話しに花を咲かせ、
「道場を開いたら、孫を入門させます」
と約束してしまうほどの人柄の良さ!
結局、物件の方は大山社長ではなく、これまた人柄の良い『三幸ハウス』の方々の紹介で駅前に道場を開設する運びになったのです。

開設と同時に、大山社長は、約束どおりに男の子の孫を入門させ、最近、その下の妹まで入門し、兄妹揃って頑張ってくれております。

続いて、小生が紹介したのは、
ライブハウス『奇聞屋』の店をプロデュースされた、
音楽家の吉川正夫さんです。

この『奇聞屋』は、
小生の友人の俳優集団・フリークルーズの面々が即興演劇の会場として、お世話になっている店であります。

大山社長との出会いや吉川さんのことなども文章に書き、写真に添えてありますので、
もし、お時間がありましたら、お出かけ下さいませ!

posted by 井上誠吾 at 18:54| 日記

2007年08月05日

時代を掴む

若い頃、深夜のラジオ番組から流れるビートルズやフォークに夢中になっていました。
そんな時、ふと耳に残る歌謡曲がありました。

『白いサンゴ礁』 ズーニーブー 
『真夏のあらし』 西郷輝彦
『また逢う日まで』 尾崎紀世彦 
『街の灯り』 堺正章 
『五番街のマリー』 ペドロ&カプリシャス
『あの鐘を鳴らすのはあなた』 和田アキ子

どの歌も、曲と詩がマッチしており、思わず口ずさみたくなるものばかりでした。
作詞は、誰がしているのだろう?
阿久悠か・・・いい詩を書く人だなぁ。

あれから、40年近く過ぎ・・・、
その阿久悠さんが亡くなりました。

阿久悠さんの詩には、
夢中になっていた井上陽水や吉田拓郎とは、また一味違った新鮮な魅力が感じられました。
歌を口ずさむと、詩から紡ぎ出されてきた映像が目前で広がっていくような高揚感さえ味わえました。

その後も、
『舟歌』 八代亜紀
『津軽海峡冬景色』 石川さゆり
等の詩は、日本人の原風景を醸し出すような情念の詩であり、余りの素晴らしさに言葉もなく聞き入った覚えがあります。

時代が求めている“空気”を確実に捉えた詩。
そんな深みを感じます。

晩年、阿久悠さんは、
「最近は時代が変わり、言葉が失われていく危機感がある」と嘆かれていた、と聞きます。

政治家たちの、
「なんとか還元水」「女は産む機械」「原爆投下はしょうがない」「アルツハイマーでもわかる」「絆創膏は大したことありません」などなどの発言。

まったく、日本の指導者たちは言葉を知りません。
阿久悠さんは、時代を掴んだけれども、
政治家たちは、誰一人として時代を掴みきれていないなぁ。
そんなふうに思います。

「♪ 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり ♪」

阿久悠さんは、小生の青春時代に大きな影響を与えた人であります。
小生、未だ、道に迷うことばかりではありますが、
迷いつつも、一歩ずつ、目的地だけは見失わず、歩き続ける覚悟でおります。

ご冥福をお祈りしつつ、合掌!

posted by 井上誠吾 at 09:17| 日記

2007年08月02日

相撲道という道(倫)

横綱の朝青龍に処分が下されました。
2場所出場停止・減俸30%・4カ月の自宅謹慎、
とのこと。

小生思うに、横綱・朝青龍という個人の若者のためにも、相撲協会の発展のためにも、もっと厳しい処分をして欲しかった。

先ず、朝青龍という若者のために言わせて貰うと、
彼は、これまでも数多くの横綱らしくない言動が問題視されてきたのにも拘わらず、不問に付されてきたこと。
今現在、一応、反省しているらしいのですが、
本当に事の次第を真摯に受け止め、反省しているのなら、
この一件を“人生最大の試練”と受け止めるべきです。

その覚悟があれば、どのような処分でも受けられる筈です。
例え、「大関に降格、6カ月謹慎」ともっと厳しい処分にされようが、初心に帰って、自己を鍛え直すべきです。

剣聖・宮本武蔵にも暴れん坊の時代がありました。
武蔵(たけぞう)と呼ばれていた頃、沢庵和尚から、亡霊が出るという城の天守閣に3年間も幽閉され、その間、書物を読み、自己を見詰め直したのです。
あの時期があるからこそ、武蔵は剣聖の域にまで到達できたのです。

それに比べたら、4ヶ月の謹慎は甘い。
彼が入門したばかりの頃は、関取の付き人として、自由な時間などなかったはずです。4ヶ月くらいの謹慎は我慢できない期間ではない。
外国人として、日本人でも辛い修行に耐え抜いて、横綱まで登りつめたのだから、
どのような処分でも受ける覚悟で反省して欲しいものです。

続いて、相撲協会の発展のためとは、
小生流に言わせて貰うと、「全国の『わんぱく相撲』に集まる子供たちのため」、これに尽きます。

朝青龍ファンの子供たちは沢山いる筈です。
相撲協会は、このような横綱を生んでしまった組織の構造悪を見直し、指導体制を大改善すべきだと思います。

今回の事件だけでなく、八百長疑惑などの不祥事が常につきまとっているのだから、
この際、大改革をし、未来ある子供たちに誇るべき組織作りに努めるべきです。
『わんぱく相撲』は好ましいが、
『わんぱく横綱』は好ましくありません。

暴れん坊だった武蔵(たけぞう)を、沢庵和尚が剣聖に導いたように、相撲協会に燻し銀のご意見番が存在することを期待しています。

明るく元気な“わんぱく”たちが、
未来の朝青龍を目指しているのです。
相撲協会は大人の組織として、しっかりと子供の未来を見据えるべき時であります。

相撲は、日本が誇るべき『相撲道』という道です。
本来、横綱とは、若いうんぬんではなく、心技体を会得した人の道(倫)に到達した人であるべきなのです。

改革を願って、押忍!



posted by 井上誠吾 at 13:54| 日記

2007年08月01日

自律心

「昨今の時事報道で、書きたいテーマが数多くあります」
と、7月12日のブログで書いております。
実は、次から次へとあまりにも書くことが多過ぎて、ここで、機を逸するとテーマに新鮮味がなくなりそうな気がしてきました。
今回、一つにひっくるめて総括してみたいと思います。

アルツハイマー発言をした漫画オタク外相。
顔に絆創膏を貼って記者会見するお子ちゃま農水相。
教育再生会議を放り出して出馬したヤンキー・センコー。
懲りずに発覚していく万引き地方公務員。

と、あったのですが、
ここにきて、更にまた、以下の書きたい題材が、

仮病で巡業を休み母国でサッカー遊びするやんちゃ横綱。
選挙権もなく過去に投票もしてなかった女子アナ新人議員。
車内に3時間も園児を放置して死亡させた保育士。

と・・・呆れます。
いったいぜんたい、なんちゅう人たちなんだ!

もう、怒りを通り越して、呆れるしかありません。

全員、自覚が足りない!
何を考えて、その世界で生きているんだ、おまえさん方は!

すこしは、人の痛みのわかる人間になろうよ。
おまえさん方は、一体なんのために生きているんですか?
それぞれが、今の、その立場になれた背景には、
支えてくれた人、応援してくれた人、育ててくれた人、
数多くの恩人たちがいるのではないのですか?

少しは、自覚を持って生きなさい!
と、怒鳴りつけてやりたいくらいです。

せめて、それぞれの立場から見て、
自分がやっていいことと悪いことくらいは、
判断がつきそうなものです。
なのに、信じられないほど無責任な事をやってのけてしまう。
それぞれが社会的な立場にあるんだから、必要以上に気を遣うべきなのに、それがまったく出来ていません。

武士道精神の徳目の中に、“自律心”があります。
『自分で自分を律するこころがあれば、そのこころの奥深いところで、やる気が生まれ、人として、約束を守り、情を持ち、私に奉じず、公に奉じる精神に至る!』

小生、すぐに武士道に行き着いてしまう嫌いがありますが、
総括すると、どうしても、ここに至ります。

なぜ、武士道、なのか?
今の日本人が、忘れてはならないものが、武士道の中に数多く内在されているからであります。

皆さんは、昨今の時事をどう見られていますか?

小生と同感でおられるならば、嬉しく存じます。
押忍!

posted by 井上誠吾 at 10:41| 日記