2007年09月04日

怒ると叱るは違う

少年部の保護者の方から、嬉しいメールが届きました。
「先日、先生がうちの子供に、『お母さんにそんな口の利き方していいのか! お母さんじゃなくて、自分が出来る事は自分でやれ!』と注意して下さった事、とてもありがたく思います。今の時代、祖父母ですら、お互いの嫁や婿の顔色を窺い、孫にさえ注意が出来ないように思います。また時々叱ってやって下さい」
と有り難いほど深いご理解をいただいたメールでした。

“怒る”には、個人的な感情や私憤が込められており、
“叱る”には、相手への成長の願いが込められています。

さて、我が道場にはゲーム大好きのニート君がおります。
訂正します。ニート君といえば、本人が、
「僕はニートじゃありません。働く気はあるんです」
と前向きでやる気の反論をしてきますから、ニート君呼ばわりは御本人様が不快でしょう。
そこで、愛を込めて、「プチ・ニート君」と呼ばせて頂きます。

で、このプチ・ニート君、先週の土曜日、やってくれました。
小生が・・・、
一日がかりで、何度も何度も書き直し・・・、
やっと完成した血と涙の結晶・『押忍の精神』の掛け軸!
こともあろうか、これに寄りかかり、破っちゃったのです。

プチ・ニート君、破った瞬間。
「ヤバイ!」と遁走しかけたそうですが、
先輩たちに説得され、小生の前に自首してきました。

小生、無残に変わり果てた『押忍の精神』を見て、あ然!

しかし、小生、怒りません。
次男坊に皮肉を込めて「木鶏の話」を諌言されたこともあり、
ここは・・・涙を呑んで、木鶏になりました。
いえ、正確には、開いた口がふさがらなく固まった、というのが正しいでしょう。

小生、こんな時こそ“叱り時”だ、心に決め、
「少年部さえも壁に寄りかからず、姿勢よくしているのに、大人の君が、壁ではなく、よりによって掛け軸に寄りかかるとは何事だ」
と叱ってやりました。
すると、
「こんなところに掛けてあるのがよくないんです」
とユニークキャラのプチ・ニート君が反論。
これには、小生もプチ切れつつも、私憤を抑えて、
“自分のやったことを棚に上げ、責任転嫁することの卑怯さ”
を噛んで含んで話してやりました。
道場内では、プチニート君の先輩や同期の道場生の皆さんが、愛情あふれる眼差しで、彼を見守っていました。

強く叱られたから、もう道場には来ないかな、と心配しておりましたら、
プチ・ニート君、昨日、稽古に現われました。
さすが、ユニークキャラです。こちらの心配をよそにケロッとしたものであります。
ともあれ、道場へ来て、稽古を続けていくことが大切です。
稽古を繰り返すことで、やがて、きっと、小生は勿論、先輩や同期の道場生の皆さんの期待に応えて、大きく成長してくれることでしょう。

な、プチ・ニート君。
きみ、このブログ、ゲームに飽きた時に、時々、見ているんだろう?・・・そうゆーこと、がんばれ。

最後に、冒頭の保護者の方への小生の返信文を載せたいと思います。
「そういえば、隣近所のコワイ叔父さんや叔母さんもいなくなりましたね。小生が“叱る”役目にまわり、子供たちを見つめていきたいと思っております」

小生、これからも叱り続けさせて頂きます。押忍!
posted by 井上誠吾 at 12:00| 日記