2007年09月14日

退き際

人間、退き際が大事です。
突然、安部総理が辞意を表明しましたが、
今、辞任してどうする? と首を傾げるばかりです。

「美しい国づくり」
小生、この言葉の持つ意味においては、大賛成でありました。
戦後レジームからの脱却・新しい価値観で愛国心教育を行う、も反論者は多いけれど、小生は大賛成です。
しかし、高邁な理想を掲げていながら、中途半端な教育再生会議然り、任命した大臣たちの不祥事然り、その人身掌握力に問題あり、と苦言を呈してきたのであります。

辞任することと責任を取ること、は同意ではありません。
よく「辞めて責任を取れ」と言われますが、
小生は、そうは思っていません。

一国の指導者たる者、退き際の美学が問われます。

その退き際を見事に行ったのは、
徳川最後の将軍・徳川慶喜その人であります。
慶喜に関しては賛否両論いろいろな評価がありますが、
世界情勢と開国論を論じ、徹底して非戦の立場を通し、“退くことの勇気”を持った人だと思っております。
もし、慶喜が最後の将軍として、
薩長土率いる西軍と徹底交戦していたら、
さらに多くの尊い血が流され、
維新は大きく後退していたことでしょう。

封建時代の権力者にあって、
慶喜という人は、世界に類を見ないほど、私的な立場に固執せず、退き際を極めた人だと思います。

幕末の時代、
将軍慶喜は勿論、佐幕派・倒幕派を問わず、
日本という国がどうあれば良いのか?
当時の指導者たちは命を賭して行動していました。

混沌たる平成の現代、
「美しい国づくり」を謳ったその足元で、
大臣たちが次々と不祥事を起こし、
社保庁や自治体の公僕が、横領・着服を繰り返している。

「美しい国づくり」は、そんな今の日本にこそ必要なのです!
薄っぺらい美辞麗句で終わって欲しくない。
安部さんは、例え胃に穴があこうが断行すべきなのです。
悲しいかな、命を賭けて行動するまでの深い信念がないから、辞任に至ったのでありましょう。

かつての日本は、
世界に誇る「美しい国」だったのです。
その精神は、名もない市井の人々の中に残っているはずです。
人の道(倫)が、今こそ、問われています。
為政者にも、そして選挙権を持つ我々にも!

posted by 井上誠吾 at 10:52| 日記