2007年10月31日

寛容

すべてに感謝し、すべてを肯定し、すべてを受け入れたい。
いつも、そう自戒しているのですが、
思う気持ちとは裏腹に、ぶつかり合うことが多々あります。
それが人生というものなのかもしれない・・・が。

若い頃、泉谷しげるの『春のからっ風』が好きで、下手なギ
ターを片手によく歌っていました。
以下、今も大好きな詩です。

「春だというのに 北風にあおられ 
街の声に せきたてられ
彼らに合わないから 追いまくられ 
さすらう気は さらさらないのに
誰が 呼ぶ声に答えるものか
望む気持ちとは うらはら
今はただ すきま風を手でおさえ 今日の生き恥をかく

何でもやります ぜいたくは言いません
頭をさげ 詫びを入れ
すがる気持ちで 仕事をもらい
今度こそ まじめにやるんだ

言葉が 足りないばかりに
相手に自分を 伝えられず
分かってくれない まわりをうらみ
自分は 正しいと逃げ出す
誰が 呼ぶ声に答えるものか
望む気持ちとは うらはら
今はただ すきま風を手でおさえ 今日の生き恥をかく」

若かったあの頃の小生は、人とぶつかってばかりでした。
あれから、30有余年・・・少しも成長していない、
と反省するばかりであります。

今はただ、すべてに寛容でありたい。
そう自戒しております。

なぜか・・・?
理想に向かって走るのも大切だが、
意気に感ずる人々、信頼ある人々、があってこそ、
人としての、生き甲斐が生まれてくる。

そう思うからです。

さらなる道場での精進が必要です。押忍!


posted by 井上誠吾 at 11:54| 日記

2007年10月25日

相次ぐ偽装に思う

北海道の偽装牛肉事件で、元社長たちが逮捕されました。

偽装の発覚は、何も牛肉だけではなく、
『ブランド米』や『ブランド鶏』、また『赤福餅』や『白い
恋人』、さらに遡ると『不二家』『雪印』等々と、食品関係
各社は懲りもせずに次々と偽装商品を生み続けています。

その発覚のほとんどが内部告発であり、
正しい事と信じて勇気をもって告発したのでしょうが・・・。
雪印の不正を内部告発した下請け業者の西宮冷蔵は逆に行
政側から処分を受け、倒産に追い込まれました。
水谷社長は、どん底の生活の中で、街頭カンパなどで会社を
再建したものの、未だに業者間の圧力から、業績は伸び悩ん
でいるようです。

正しいことをやっているのに、報われない。
それが世間というものだ、とは思いたくはありません。
『義を見てせざる勇無きなり』
下請け業者の水谷社長は、勇気を振り絞って親会社を告発したに違いありません。
それが保護されず、逆に処分されること事態が道理の通らない話なのであります。

各会社の偽装・偽造が続いていますが、このままでは終わらず、もっと行っている会社があるのでは、と悪い予感を抱いてしまいます。
今、報道されているのは、氷山の一角に過ぎず、水面下では、内部告発したいけど出来ない人が、全国には数多く存在するのではないでしょうか。
しかし、会社の中での自分の立場があり、さらに、世話になっている上司や社長を裏切れないとか、共に汗を流してきた同僚を困らせたくないとか、妻や子供たちを路頭に迷わせたくないとか・・・葛藤だらけでしょう。
同情を禁じえません。
勇気を持って行動して欲しいと願うばかりであります。

企業の利益追求は当然のことですが、
企業側に、倫理や道徳観念について思考する余裕が必要です。
最近、CSR(企業の社会的責任)という動きがあることを
知りました。
CSRとはCorporate Social Responsibilityの略で、
企業で得た利益を社会還元する、のが目的らしいのです。
素晴らしい!
大いにやってほしいものです。

今、あらためて『先義後利』の大切さを感じます。
先ずは“すじ道”を先にして、“利益”をあとにしなければ、
真の繁栄には至らない、との考えです。

要は、組織のトップのあり方次第です。
組織をあずかるからには、さまざまな不満や欲求をもった
人々の声を受け入れ、個々の個性を生かし、包容しつつ、
人材を育て、目標に向かって全体を舵取りしていく。
それが肝要かと思います。

これ・・・実は、小生自身に言い聞かせていることです。
頑張ります。押忍!


posted by 井上誠吾 at 10:20| 日記

2007年10月23日

理想の社会

またしても官僚たちが問題を起しました。

前防衛省の守屋事務次官が商社との癒着疑惑がでたり、
厚生労働省幹部たちが肝炎患者リストを放置していたり、
防衛庁幹部たちが海上給油量を隠蔽していたり、
行政法人の役員の3割が天下りだと指摘されたり、
どうして、こうも官僚たちの諸悪が続くのか・・・?

小生が尊敬してやまない吉田松陰は、
『体は私なり、心は公なり。私を役して公に殉ふ者を大人と為し、公を役して私に殉ふ者を小人と為す』と。
つまり、『体はその人のものだが、心は社会や国家のものである。公のために捧げる徳のすぐれた人を『大人』といい、社会や国家を自分の都合で利用する人を『小人』という』
と言っております。

そこには、利己主義的な考えはなく、
人として生を受けた限り、己れは、どう生きるべきか?
との徹底した人生観があります。

問題を起した官僚たちが、昔から、悪事にまみれていた、
とは思いません。
大学を卒業して、省庁に入った頃は、国の為に役立とうと青雲の志を抱いた若者たちであった筈です。

それが、なぜ?
次から次へと、このような失態を続けてしまうのか?

これはもう、社会全体の問題だと思います。
自分さえよければ良い、というエゴイストな考えが蔓延し、
他者をおもいやる余裕さえなくなってしまった、
現代社会の“病”といえるでしょう。

国の未来への希望というのは、
今ある経済力でも、軍事力でもなく、
『若者たちの変革の意欲』にあると思います。

このままの世の中ではいけないのです。
今、大人たちが何とかしなければ、次世代の子供たちは、と
んでもないツケを押し付けられ、自律心さえも無くしてしま
いかねません。
「政も官も財も、どうせ、悪事にまみれているんだ、今更、
変えようたって、変わりゃしない」
と、思わせるような諦めの社会になってはいけない!

理想がとんなに立派でも、行動しなければ意味がありません。
誰かが言いました。
「人は理想を失った時から、年老いていく」と。

日本人が誇るべく武道には、
自律心を徳に高めた精神が内在しています。
それこそ、吉田松陰の生き様でもあると確信しています。

小生、理想を保ち、生涯精進です。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 12:11| 日記

2007年10月19日

亀田いじめ

「おまえ、いじめられっ子やろ、俺はいじめっ子や、いじめ
たるわ」と内藤選手を挑発した亀田の次男坊が、惨敗!

いじめっ子が、ある機を境にして、いじめられっ子に逆転
するのは、よくある話ではあります。
年上のチャンピオンに対して、そんな挑発をするような人間
なんだから、社会の制裁を受けるのは当然、といえます。

小生、何度も『コウキ君』の事を書いてきたため、
亀田兄弟のことをかなり嫌っている、と思っている人が多い
ようですが、それは誤解です。
好きでもないが嫌いでもなく、ただ、このままでは、いつか
駄目になるぞ、と慈愛に似た忠言をしてきたのです。

子供は親を選べません。
「子供のことは、いちばん判っている」
という親がいますが、そんな親こそ判っているようで、案外、
何にも判っていないものです。
一人の親の知識など、限りがあります。

亀田の父親が、まさにその一人です。
子供は、親の姿を見て、真似て、習って、成長していきます。
そこまでの親子鷹はよかったが、そのあと、信頼のおける他人が誰一人いなかったのが、よくない!
親として“千尋の谷に突き落とす”つもりで、理解ある指導者に預ければ、きっと彼らはやり直せるでしょう。

しかし、小生、亀田兄弟のことはけっして笑えません。
実は小生、かつては、喧嘩三昧、の日々を送っていました。

小さい頃から自己主張が強く、敵が多く、いじめられ、
大人になってからも何かと衝突し、問題ばかり起してきた。
小生を見たある先輩が、ギラギラして寄らば斬るぞ、て顔し
てるぞ、と忠告をしてくれた位、虚勢を張って生きていた。

逆に、だからこそ、内心では、
人との調和というものを人一倍に模索していた。
そう、思います。

今、その問題児が、この年になって、やっと言えます。
人は、勝ったり負けたり、嬉しかったり辛かったり、
成功したり失敗したりしながら、自分が傷ついていき、
初めて他人の痛みというものに気づく。
そして、他人と闘うのではなく、自分と闘う大切さを知る!
悪因は、他人ではなく、自分の中にあるのだから・・・。

葛藤や悩みのない人生に、成長などある筈がない!

亀田兄弟よ、いじけて、腐るんじゃないぞ。
朝青龍の時にも書いたけど、
暴れん坊の武蔵(たけぞう)が、沢庵和尚から城に幽閉され、書を学び人格を磨き、 剣聖・宮本武蔵になったように、
君たちも、きっと、できる!

と、まぁ、なんのことはない。
この言葉は、生涯修行、と小生自身に言い聞かせています。
空手の同志の皆さん、共によい汗を流しましょう!
押忍!


posted by 井上誠吾 at 15:58| 日記

2007年10月16日

再び・強いと偉いは違う

コウキ君の家族に処分が出ました。
その処分について、ここで云々するつもりはありません。
但し、強い、ということはどういうことなのか?
を、小生なりに述べさせていただきます。
以前、『強いと偉いは違う』のタイトルで面白おかしく書きましたが、今回は少々真面目にいきたいと思います。

世の中、強い事が偉い事、と勘違いしている輩が実に多い!
本当に強い人は、自分で強い、とは言わないし、
本当に偉い人は、自分で偉い、とは言わない。

その点、双葉山という大横綱は、本当に強くて偉かった!
勝ち続けても威張ることなく、
褒められても驕ることなく、
例え、負けても腐ることなく、
まさに、何事にも動じない“木鶏”の域を極めた人生の達人でありました。

朝青龍然り、亀田兄弟然り、
本人たちに非があるのは当然ですが、彼らを勘違いさせてしまった周りの大人たちが良くない!
管理者や監督者らがチヤホヤさせず、叱ってやるべきだ!
いくら横綱だろうが、いくらチャンピオンだろうが、
まだ若造なんだから、甘やかせては彼らのためにならない!

心底から叱ってやる大人が周りにいたなら、
朝青龍だって、亀田兄弟だって、もっと魅力的になる筈です。
別に優等生になれ、とは言わないが、
潔く、筋の通った“やんちゃ坊主”であったなら、
今のような状況に陥ることはなく、
魅力的なヒーローとして輝き続けられたのに・・・。
可哀そうに、朝青龍も亀田兄弟も、
このまま叱ってやる大人がいなかったら、
脳みそ筋肉の汚れたヒーローで終わってしまうでしょう。

礼儀に始まり、礼節を尽くして終わる。
日本人が誇るべき武道の教えです。
西洋のスポーツにはない、深い真理がそこにあります。
武道における鍛錬とは、
謙虚なまでの精神の鍛錬でもあります。
その修養で得た事は、処世・つまり、日々の生活に応用しなければならないのです。
人として誇りを持ち、恥かしい行為をしてはいけないのです。

“腕力の強さ”ではなく、
“潔く生きる強さ”が大切なのです。

小生も胆に銘じて、修行します。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 16:40| 日記

2007年10月12日

ボクサー哀歌

昨日の舞台は素晴らしい内容でした。
自分こそが一番強い!
と自分の実力を勘違いしている対戦相手を見事に倒して、
チャンピオンベルトを巻こうとする前に、
力尽きて倒れてしまう。

いや、実に素晴らしい舞台でした。

え?・・・何がですって?・・・いつものT御仁から、
否、以前、明言しましたので、はっきりと竹下医師から、
「亀田のことを書くなら、ひらめの刺身とムニエルのように書いて下さい」
と、ご注文の声が届きそうなので、少々、釈明を。

コウキ君の弟の話ではありません。誤解のないように!

舞台です。
芝居の舞台の話です。
小生の後輩に関根大学という俳優がおりまして、昨日、彼が出演する舞台を観に行ったのです。
貧しいけど、人情味あふれる地域から、ボクサーとして立ち上がろうとする青年を軸に、彼を取り巻く人間模様を描いたエンタテイメント作品です。

作・藤原健一 演出・菅田俊
劇団・東京倶楽部 『Blue・Bottle・蒼蝿(そうよう)』
という作品です。
小生、『蒼蝿』というサブタイトルが気に入りました。
まさに、掃き溜めのような地域で生きる蒼蝿だが、蝿だって懸命に生きる価値はあるんだ、との思いで闘っている。
地味だけど、メインタイトルにしても良いくらいに、好きなタイトルです。

演出の菅田俊さんはヤクザ映画やVシネマで活躍する俳優さんで、小生の知人でもあります。
知人といえば、菅田さんの他にも、メインの役で出演している町田政則や永倉大輔も知人、そして、主役の山口祥行は後輩、さらに関根大学、と舞台上では、知人だらけの俳優たちが熱演を繰り広げていました。

劇団・東京倶楽部とは、
菅田さんが師事した菅原文太さんの亡くなった御子息・菅原香織さんを偲ぶのための劇団です。
俳優として、これからという時に電車に撥ねられ亡くなった菅原香織さんが生前にやりたかった舞台を、彼の希望を叶えるべく有志たちが集まって、芝居を通して冥福を祈る。
それが、東京倶楽部の旗揚げ理由で、今回が七回忌にあたり、これを機に最後の公演となるようです。

殺伐とした義理も人情もなくなった現代にあって、
菅田さんを中心に義理も人情もある役者たちが集まって、
義理と人情がぎっしりと詰まった演劇を完成しました。
そこには、ボクサー哀歌、人間哀歌、があります。

舞台終了後、菅田さんが会場に向かって、
「将来有望な菅原香織という役者がいたことを一人でも二人でも判って欲しいのです。皆さん、お知り合いの方に声をかけて、残る公演に多くの方々が観劇に来られるようお願い申し上げます」
と謙虚な態度で頭を下げておられました。

時間がある方は、
東京倶楽部公演 10月14日まで
会場・新木場駅徒歩2分 1StRING(プロレス会場)
全席自由・4000円
興味のある方は、是非、ご覧になって下さい。



posted by 井上誠吾 at 12:44| 日記

2007年10月08日

涙の運動会

近所の小学校で運動会をやっていました。
運動会の定番曲であるマーチが、自転車を漕いで通り過ぎようとする小生の足を止めたのです。
暫し、運動会を眺めます。
小さな小学生の体が運動場を駆け巡る姿を見て、
懐かしい感覚が蘇ってきました。

小生自身が小学生だった頃・・・、
そして、小生の子供たちが小学生だった頃・・・、
運動会という祭りは、時空間を越えて、共通の懐かしさを運んでくるのかも知れません。

いろんな競技の中でも、徒競走が一番の思い出です。

スタート前。
走る順番を待つ間の、あのドキドキ感。
緊張から、その場を逃げ出したいくらいの不安が襲う。
誰が、一番になるのだろう?
一緒に走る顔ぶれを見回していく。
自分が何番に入るか、それが気になって仕方ない。
二番かな、三番かな、もしかしたら、四番かな・・・まさか、
ビリ?・・・みんな速い子ばかりだからなぁ・・・。
そんな小さな不安が、大きな恐怖に変わり、
やがて、心臓が破裂しそうなくらいにドキドキしてくる。
一番になった時だってあるんだ、思いっきり走れ!
と自分を励まして、スタートラインに立つ。
「ようい、ドン!」
駆け出した瞬間、
先ほどの不安も恐怖も吹っ飛んでしまう。
ただ、ひたすらに、ゴールに向かって真っしぐら!
力の限りを尽くして、走る、走る、走る!

徒競走ほど緊張したものはありませんでした。
その記憶だけは、今でも、鮮明に残っています。

だから、なのかも知れない。
父親となって、
子供が徒競走に出場する姿をビデオに撮る時。
頑張れ、頑張れ、と呟きながら、
ただ、ひたすら、懸命に走っている子供の姿を見ていると、
いつしか、涙があふれ出て、ゴールする時には、涙で我が子の姿も見えなくなり、カメラで追えなくなってしまう。

どうも、涙腺が弱いのです。
無条件で、なぜだか、泣けてくるのです。
ただ、ひたすら、頑張っている子供を見ているだけで・・・。

近所の小学校の運動会で、
見知らぬ子供たちが懸命に走っている姿を見て、
あの懐かしい感覚が、ジーンと蘇ってきて、だんだんと目頭が熱くなってきました。

ふと、そんな自分に気付き、
見知らぬ子供たちを見て泣いていては、怪しいオジサンだぞ、と涙を拭いながら、その場を立ち去りました。
背中から、追っかけてきました。
あの懐かしい運動会の定番のマーチが、
泣けよ、泣けよ、とばかりに・・・!

posted by 井上誠吾 at 11:38| 日記

2007年10月05日

相撲道という道(倫)・その2

相撲界が大きく揺れ動いています。
朝青龍問題から新弟子の死亡事件、と続き、相撲協会そのもののあり方が問われております。

以前にも、『相撲道という道(倫)』で書きましたが、
全国の“わんぱく相撲”に集まる子供たちのために、相撲協会は大改革が必要です。
子供たちの憧れの的である横綱が、それを管理監督する相撲協会が、この体たらくでは、子供たちの夢を潰すばかりです。

「いまだ木鶏足りえず」といった大横綱・双葉山を、これ以上、草葉の陰で泣かせてはいけない!

小生、相撲界の素晴らしさは、
“徒弟制度の修行を通して、心・技・体の相撲道を磨く”
そこにあると思うのですが、とうやら、古き良き伝統が厚い壁となり、逆に閉鎖的な悪弊が内部で燻るようになってしまっているようです。

横綱はもちろん、理事長や理事、つまり親方衆には、
その“道に通じた達観者”としての責任と倫理観が必要なのに、それがまったく感じられないのは哀しい限りです。

小生は基本的に、
相撲のことは相撲の世界に通じた人が行うべきで、外部から介入すべきではない、
と思っております。
しかし、このままでは、文科省や有名知識人とやらが介入せざる得なくなるでしょう。
おそらく、そんな連中が介入しても、何一つ、変えられることはないでしょう。
否、相撲協会は、
誰かに、変えられるのではなく、
自らが、変わらなければならないのです!
その為には、相撲道という道(倫)に照らして、
自らを省みて、自浄能力を発揮して、内部から、大改革をしていくべきだと思っています。

相撲には、西洋のスポーツにない道(倫)がある筈です。
それは、日本人の心を体現した生き方の美学ともいえる、
道(倫)であります。
多く外国人力士が活躍する今こそ、その生き方の美学が大切なのではないでしょうか。
国際化されれたから、日本的な美点が失われていった、では、相撲道という道(倫)が泣きます。
双葉山が泣きます!

厳しいばかりが、指導ではありません!
道(倫)の根本は何か?
小生は、仁、だと信じて疑いません。
仁、つまり、おもいやりや慈しみであります。

理事長や親方衆たちが“鑑”となり、その権力を正しく使い、
厳しい中にも、おもいやりと慈しみを保ち、心豊かな情操的な指導で後進を育てていくことが肝要です。
大改革とは、そのためのみに成されるべきです。

空手も同様、他山の石、としなくては・・・押忍!

posted by 井上誠吾 at 16:00| 日記

2007年10月02日

自転車事故にご注意を!

先日、自転車で裏通りを走っていたら、
突然、前方を自転車に乗った主婦が左折しながら飛び出してきました。なんと、それに続いて、自転車の子供たちが次々と飛び出してくるではありませんか!
小生、一旦、停止して、その子供たちを見守り、母親に注意をしようとしました。

お母さんらしき人は30才半ばくらい、前には3才くらいの子供を乗せ、ハンドルを少しフラフラとさせている。
そのあとに5才くらい、7才くらい、10才くらい、と子供たちがあとに続いている。
まるで、自転車に乗った“カルガモ親子”です。

小生、その微笑ましい光景を見て、注意しようとしたことも忘れて、思わず笑ってしまいました。
そして、一行を見守りつつ、あとに続くことにしました。

先頭をお母さんが走り、そのあとに子供たちが続き、最後に、小生がしんがりを守って走ります。
5才くらいの子供が道路中央に時々ハミ出したりするので、
「危ないよ」とか「車が来たよ」とか、後ろから声をかけながら同行しました。
知らない人が見ると、まるで家族だと思えるような光景だったでしょう。
しかし、このあと、この平和な“擬似家族”が思わぬ事態に!

またしても、突然、先頭の母カルガモが、左側から右側へと後方確認もせずに斜め横断したのです。
なんと、それに遅れまいと、子ガルガモたちも続きます。
「危ないよ」と思わず声をかけましたが、
母カルガモは前方を見たまま、まっしぐら!
子カルガモたちはフル回転でペダルを漕ぎ続け、
その横を時々、数台の車が走り抜けていきます。

小生、母カルガモに「お母さん、突然、横切っちゃ危ないよ。それに自転車は左です」と言っても、振り向きもしません。

まさか、変なおじさん、と勘違いされたのか、と思いつつも、「また車が来たぞ」と子カルガモたちに声をかけます。
すると、何を思ったか、母カルガモは、突然、四つ角を右へと曲がっていくのです。当然、そのあとを子カルガモたちがカーブを攻めるように続きます。
「危ない、ゆっくり曲がれ!」と声をかける小生!
突然、急ブレーキの音!
「危ないよ!」
と急停車したドライバーが叱った相手は、小生でした。
カルガモ親子に気を取られた小生は、四つ角に侵入してきた車に気が付かなかったのであります。

小生、「すみません」と頭を下げると、ドライバーはタイヤの音を鳴らして急発進すると、カルガモ親子にクラクションを浴びせかけながら走り去っていきました。

「危ないよ!」と声をあげる小生。
暫し・・・どうしたものか・・・?
と呆然と佇む小生でありました。

皆さん、ぐれぐれも事故にはご注意を!









posted by 井上誠吾 at 11:18| 日記