2007年10月16日

再び・強いと偉いは違う

コウキ君の家族に処分が出ました。
その処分について、ここで云々するつもりはありません。
但し、強い、ということはどういうことなのか?
を、小生なりに述べさせていただきます。
以前、『強いと偉いは違う』のタイトルで面白おかしく書きましたが、今回は少々真面目にいきたいと思います。

世の中、強い事が偉い事、と勘違いしている輩が実に多い!
本当に強い人は、自分で強い、とは言わないし、
本当に偉い人は、自分で偉い、とは言わない。

その点、双葉山という大横綱は、本当に強くて偉かった!
勝ち続けても威張ることなく、
褒められても驕ることなく、
例え、負けても腐ることなく、
まさに、何事にも動じない“木鶏”の域を極めた人生の達人でありました。

朝青龍然り、亀田兄弟然り、
本人たちに非があるのは当然ですが、彼らを勘違いさせてしまった周りの大人たちが良くない!
管理者や監督者らがチヤホヤさせず、叱ってやるべきだ!
いくら横綱だろうが、いくらチャンピオンだろうが、
まだ若造なんだから、甘やかせては彼らのためにならない!

心底から叱ってやる大人が周りにいたなら、
朝青龍だって、亀田兄弟だって、もっと魅力的になる筈です。
別に優等生になれ、とは言わないが、
潔く、筋の通った“やんちゃ坊主”であったなら、
今のような状況に陥ることはなく、
魅力的なヒーローとして輝き続けられたのに・・・。
可哀そうに、朝青龍も亀田兄弟も、
このまま叱ってやる大人がいなかったら、
脳みそ筋肉の汚れたヒーローで終わってしまうでしょう。

礼儀に始まり、礼節を尽くして終わる。
日本人が誇るべき武道の教えです。
西洋のスポーツにはない、深い真理がそこにあります。
武道における鍛錬とは、
謙虚なまでの精神の鍛錬でもあります。
その修養で得た事は、処世・つまり、日々の生活に応用しなければならないのです。
人として誇りを持ち、恥かしい行為をしてはいけないのです。

“腕力の強さ”ではなく、
“潔く生きる強さ”が大切なのです。

小生も胆に銘じて、修行します。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 16:40| 日記