2008年01月10日

家族

「家族」とタイトルを書いて、
ふと、以前にも、このタイトルで書いた覚えがあるぞ、
と過去のブログを振り返ってみると、ありました。
なんと、丁度、一年前・1月9日に「家族」のタイトルで書いておりました。
その冒頭部分だけを拾ってみますと、

『兄が妹をバラバラに切断して殺害しました。
──(中略)──
このような事件が、毎日のように報道されています』

と、書いていたのです。
そうです。あれから一年が経ったのです。
予備校生の兄が妹をバラバラに殺害した、あの事件から・・・。
奇しくも、一年後、同じタイトルで書こうとしていることに奇妙な驚きと符合性を感じます・・・、
しかし、
よく考えれば、符合性などではなく、
それほど家族間の殺人事件が頻繁に起こるような世の中になってしまった、ということなのでしょう。

今回、なぜ、「家族」のタイトルで書こうとしたのか?
それは、
『アパートの焼け跡から、刃物傷のある3人の母子が遺体で見つかり、18才の長男が逮捕された』
との事件が起こったことにあります。

背景には家族の「愛」に相反する「憎」があったのでしょうか。
この「愛」や「憎」については、去年の1月9日のブログに書いておりますので、ご面倒でも覗いていただければご理解が得られ、重複することなく、手間が省け、有り難く存じます。

そこで、今日は、家族の「情」について書きたいと思います。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」
と夏目漱石は情について書いていますが、まさにその通り!
明治の文豪・漱石の時代から、人の世の情というのは、そのようなもの、と納得せざる得ないものがあります。
しかし、小生、それで良しとは思いません。

昔から、家族間の殺人事件はありますが、
近年のように、動機が理解できない“理由なき殺人”が連続して起こっていたでしょうか。
若い頃に、松本清張の『鬼畜』や、
中上健次の『青春の殺人者』(蛇淫・実在の事件を題材)、を読んで、ぞっとした覚えがありますが、
「事実は小説より奇なり」で、
今や、松本清張や中上健次の想像を超えた、理解不能なおぞましい事件が続発する時代に突入しております。
これは、現代社会が抱えた大問題であります。

社会全体で、「情」が疎かにされるようになった。
小生、そのことが大きな要因だと思っています。
と、ここまで書いて・・・、
うーん、久々に、ナガク、クドクなりそうな気がしてきました。
申し訳ありません。
「情」については、まだ書きたいことが多々ありますので、次回へと繋げさせて下さい。

一年前も同じようなことを書いていますが、
次回のタイトルは、「家族の情」ということで約束させていただきます。
押忍!

posted by 井上誠吾 at 11:33| 日記