2008年01月18日

家族の情

前回のブログから、一週間と少し過ぎただけなのに、家族内の殺人事件がすでに何件か起こっています。
もう、この手の殺人に誰も驚かなくなってしまいました。

せめて、
家族の中にだけは、情が残っていてほしいのに、
悲しい現実です。
こんな時代をなんとかしなければなりません。

小生、成人した二人の子の父親です。
以下、父親としての経験からくる思いのたけを述べさせていただきます。

どんな親だって、最初は愛を込めて子育てをしていた筈です。
しかし、それが子供の成長と共に変化してきて、
子供が勉強しないだの、言うことを聞かないだの、隣近所に恥かしいだの、といろいろな問題が出てきます。
しかし、それらは、冷静に考えてみると、子供のためというより、親の見栄や欲望のためという場合が多々あります。
自己の理想や、世間体を気にしすぎて、子供のためではなく、いつのまにか、自分のための子育てをしている状態に陥ってしまっている自分に気がつくのです。

子供への愛が歪んで、
自己の見栄や欲望に支配された損得勘定へ走っては、
もはや、愛とはいえません。
その辺の親の感情を、子供は敏感に感じ取っている筈です。

しかし、たとえ万が一、愛がなくなったとしても、
人間として、最低限の情さえ残っていれば、なにも巷を騒がすような殺人事件にまでは至りはしないでしょう。

家族の中で、情を保ち続けるには、
信念に基づいた躾、が大事であります。

子供は、家族の一員として生まれた時から、無意識的に一番身近な両親の影響を受けています。
荒々しい家族の中で育てば、性格の激しい子供に育っていくでしょうし、
おとなしい家族の中で育てば、性格の穏やかな子供に育っていくでしょう。
稀に親を反面教師にして、親とは真反対の方向へ育つこともあるかもしれませんが、概ね子供は親に似てくるものです。

親の躾、は子供にとって大切な栄養分です。
時には、良薬の苦さのような厳しさだったり、
時には、深い包容力で包み込まれた信頼感だったり、
それらあらゆる形で表れた情が、子供を勇気づけ、やさしく逞しく育っていく原動力になっていく、ものだと思います。

見返りのない愛、にこそ、情が宿る。
さらに、愛あっての情であり、情あっての愛。
だと、小生は確信しています

ここまで書いても、情について、まだ書き足りません。
クドク、ナガク、シツコクならないうちに、
次回、
「地域の情・社会の情・国家の情」のタイトルへと繋いでいきたいと思います。

posted by 井上誠吾 at 12:51| 日記