2008年06月27日

富める者たちよ!

「富めるに誇らず、貧しきを見捨てず」
と武士訓にあります。

原油の高騰が続き、
富める者はさらに富み、貧しき者はさらに貧しく、
そんな世界的な格差が更に拡大していきそうです。

ガソリンスタンドは勿論、運送業、漁業をはじめ、加工、食品等々あらゆる職種の中小企業に大打撃を与え、物価高騰が懸念されています。
このまま灯油が値上がると、東北や北海道の人々にとっては死活問題となる厳しい冬が待ち受けています。

世界の投資家たちによるニューヨークのマネーゲームが、
いくつかある高騰の原因の一つとして挙げられています。
先物取引で「安く買って、高く売る」、
投資家は勿論、彼らに資金提供している金融・企業らは、マネーゲームをしながら莫大な利益を生んでいるようです。
一説によると、マネーゲームに資金を流している国もあるらしいとの事・・・呆れるばかりです。

小生、経済のことはよくわかりませんが、
資本主義というものが、一部の連中が暴走するようなものならば、
「NO!」と叫びたい!

過熱して押し上げられた原油価格は、利幅が取れなくなり、やがて、利益確保のために売り手に回る、そうです。
つまり、この投機的な高騰は、いつかは修正される、と専門家は見ているようですが・・・。
投資家たちのマネーゲームに振り回された世界中の庶民たちは堪ったものではありません。

ちょっと言葉は乱暴かもしれませんが、
「おまえさんら、勘違いすんじゃねぇぞ。富を得たからといって、人間として成功したわけじゃねぇ!」
と鉄槌を下したいくらいです。

時に、物質的な豊かさは、
人によっては“精神の貧困”を生む場合があります。
村上ファンドだの、ホリエモンだの、あの連中を見ていると、
まさに“精神の貧困”そのものといえます。

己の利益のみを追求し、他を犠牲にするという生き方は、
恥としなければならない!

日本は「恥の文化」といいます。
その文化の源は、武士道から来ています。
新渡戸稲造は「武士道」の中で、
「恥はすべての徳、善き道徳の土壌である」
と書き残しています。
「恥をわきまえる」
その徳は、日本人の血脈として受け継がれているはずです。

小生、生意気かも知れませんが、庶民を代表して訴えたい。
この国の政治家や官僚に告ぐ。
「もし、君らが、“恥”というものを知っているのなら、
不祥事を繰り返す、自らの“体たらく”に終止符を打ち、
日本を代表する“サムライ”として、
マネーゲームを続ける投資家たちに“崇高な精神の鉄槌”を下せ!」

「富めるに誇らず、貧しきを見捨てず」
と!


posted by 井上誠吾 at 11:56| 日記

2008年06月19日

自分のことを理解してくれる人

人の幸せとは・・・?
周りに自分のことを理解してくれる人がいるか、いないか、
で決まる。
そう思っています。

宮崎勤死刑囚が、死刑を執行されました。
もう、45才にもなっていたのか?
20年前の、あの悲惨な事件が昨日のことのように思い出されました。

法務大臣が変わり、死刑執行が次々と行われる中、死刑制度のあり方が問われてはおりますが・・・、
何の罪もない子供を無惨に殺された遺族の気持ちを思うと、死刑は当然のこと。否、人を殺すと、このような恐い思いをするんだ、という、もっと別な形の極刑があっていいと思うくらいです。
それほど、宮崎勤の犯した事件は、悲惨で、残酷で、卑劣で、猟奇的な連続殺人事件でした。

あの事件当時──、
有名私立高校に通っていた普通の子供が、祖父の死をきっかけに、あのような犯罪に走ってしまったのは、なぜなのか?
マスコミは、宮崎勤の部屋から大量のビデオが見つかったことから、「おたく犯罪」と称して、連日のように大騒ぎしていました。
そして、子供を持つ親たちは、
「自分たちの子供が事件に遭わないように」
また、
「子供が犯罪に走らないように」
と、子育てに不安を抱くようになっておりました。

あの当時の我が家でも、小学生の二人の子供を持つ親として「どう育てていけば、いいんだろう?」
と、妻と共に不安を抱いた記憶があります。

宮崎勤の事件依頼、
似たような異常犯罪者が続出しているのは周知の事実です。
未だもって、何の解決策も見出せず、子供を持つ親たちにとっては、益々不安が募る社会状況にあります。

そして、今回の秋葉原通り魔事件。
犯人・加藤智大は「会社のせい、社会のせい」、
そして、「親のせい」にしています。
母親から「勉強しろと言われて嫌だった」「父親も厳しかった」などと理由をあげ、「あんなのは他人だ。関係ない」と突き放しておきながら「誰かに犯行を止めて欲しかった」などと、人との触れあいを求める自己矛盾を露呈しています。

母親が「子供に勉強しろ」というのも、
父親が「子供に厳しい」のも、
当たり前のことであります。
その当たり前の子育てさえもが通じない世の中になってしまったのか・・・。
そうは思いたくありません。

身近に、自分のことを理解してくれる人がいる!
それだけで、歯止めが効くし、子供は健全に育っていく。
小生、そう信じております。

道場において、子供たちは、
痛い、怖い、辛い、きつい、苦しい、に耐えて、日々の稽古を通して、小さな勇気を積み重ねつつ、頑張っております。
指導者として、そんな子供たちとしっかりと向き合い、
“理解してくれる人”であらねばならない!
そう感じる日々であります。

押忍!
posted by 井上誠吾 at 16:25| 日記

2008年06月10日

痛みを知る!──通り魔殺人に思う

秋葉原で通り魔殺人事件が起こりました。
今年に入って、品川区戸越銀座、茨城県土浦、と三件目です。
模倣犯が出ないことを願うばかりです。

手前味噌かもしれませんが・・・、
このような事件が起こるたびに、空手道場を含め、武道が果たすべき役割をつくづくと実感いたします。

空手の稽古には、
「痛い」「怖い」「辛い」「きつい」「苦しい」
が必ず付きまとい、
そして、更に、「忍耐」が求められます。

特に組み手の稽古は、
サポーター等の最低限の防具は付けているとはいえ、
なんの憎しみも恨みもない道場の仲間と、突き技・蹴り技を繰り出し、実際に激しく当て合いながら闘うのです。

そこには、平穏な日常にはない、非日常の別世界の空間が生み出されます。

幼年部であろうが、少年部であろうが、女子部であろうが、
一般部であろうが、壮年部であろうが、組み手は行います。
もちろん、年齢差、体力差、男女差があり、それによる区別をし、怪我のないように配慮しながら、稽古を行うのはいうまでもありません。

しかし、闘う本人にすれば、
日常では、けっして味わうことのない、強烈な“非日常”が出現するのです。

日常にはない、
「痛い」「怖い」「辛い」「きつい」「苦しい」
誰もが逃げたくなるような状況が出現するのです。
しかし、老若男女問わず、道場生たちは逃げずに、自らの稽古を通して“闘い”を実体験しています。
だからこそ、継続することで「忍耐」が培われていくのです。

いつも、道場でいうことですが、
強くなったからって偉いんじゃない。
級や段が上がったからって偉いんじゃない。
一番偉いのは、できない自分から逃げないで頑張る、こと!

道場で体験した“非日常”で得たものは、必ず“日常”の生活の中に活かされてくる!

今回の事件に限らず、最近の異常犯罪者の多くが、
実体験をせずに、“バーチャルに近い非日常” を出現させることで犯罪目的を遂げています。
もし、彼らの半生で、
「痛い」「怖い」「辛い」「きつい」「苦しい」
そんな自分との闘いを実体験し、「忍耐」が培われていれば、
このような残酷で悲惨な事件を巻き起こすことはなかった、と断言できます。

痛みを知る人は、人に優しい筈です。
誠真会館の創立目的は、
「強く優しい日本人になることを共に志向する」
にあります。

事件の背景が明らかになるにつれ、
そんな優しさを知った道場生を数多く排出し、社会に貢献できる組織であらねばならない、と覚悟するばかりです。

犠牲者の皆さんに黙祷!

posted by 井上誠吾 at 09:09| 日記

2008年06月02日

平和と武器 この国のあり方

このところ、クラスター爆弾の報道をよく目にします。

クラスター爆弾とは、空中で爆発し、子弾が数百メートル四方に飛び散り、その3割が不発弾として残り、それを拾った子供や民間人が犠牲になる、という非人道的な爆弾です。

先日、そのクラスター爆弾を全面禁止する国際会議が行われ、参加した110カ国が全会一致で禁止条約案を採択したとの事です。
この国際会議は──、
ノルウェー政府などの主導で始まり、国連の枠外で有志国が独自に軍縮を進めるべく、日本もその一員として参加してきたようです。

本来、このような平和外交の主導の役目は、唯一の被爆国である日本が担うべきだと思うのですが・・・、
日本の自衛隊もクラスター爆弾を所有しており、アメリカ・ロシア・中国の顔色を窺いつつ、ようやく重い腰を上げて、全面禁止へ向けて動き始めたようです。

クラスター爆弾、うんぬんではなく、
人道上、人を殺傷する爆弾そのものがよくないのは自明の理であります!
しかし、隣国の脅威があります。
北朝鮮のような国がある限り、非武装中立論、のような平和ボケしたことは言っていられないのが、今の日本の現状です。

ならば、日本はどうあるべきか?

かつて、刀という武器を持った武士たちは、
「刀を濫用するを非とし、かつ憎み、場合を心得ずして、刀をふるった者は卑怯者である」
と心構えていました。

これは見方を変えれば、平和論である、と小生は思っております。
武器を持つ者こそ、自重し、自戒し、使用を控え、しかし、いざ事があれば、外敵から国民を守る気構えを保つ。
武とは「戈 (ほこ)」を「止める」、
つまり「戦いを止める」ことが「武」であるのです。

人と人が、暴力で解決するのは、違法な行為です。
同じことが、国にも言い換えられます。
国と国が、暴力で解決するのは、違法な行為でなければなりません。

戦争だから、
「人を殺せば英雄」
となるのは、間違った価値観、とせねばならないのです!

武士道では、
刀という武器を持つからには“崇高な人格であること”が求められ、むやみに刀を抜くことを厳しく諌めました。
そんな精神文化を持つ日本人だからこそ、世界に向け、毅然とした態度で平和を主導すべきであります。

そのように、潔く、胆の座った政治家・官僚が現れることを望むばかりです。
しかし現実は、不正、汚職、利権絡みの天下り、と醜い行為を性懲りもなく繰り返す輩どもが跋扈する時代です。

このような時代だからこそ、
日本人は、思想や宗教を飛び越えて、武道・武士道の原点に帰るべきだ、と切に願うのであります。

小生、今日も、子供たちが、強く優しい日本人になることを願いつつ、彼らと共に道場で汗を流します。
押忍!

posted by 井上誠吾 at 09:13| 日記