2008年08月16日

指導者とは

指導者次第で、栄えもすれば、滅びもする!
これは国でも、会社でも、組織でも、各部署においても、
同じことがいえるでしょう。

昨日は、終戦記念日でした。

平和の祭典・オリンピックの開催期間中に、
日本は、終戦記念日を迎えたのです。
戦争が終わって、63年も過ぎてしまいました。
小生の自戒も含め、わが国の戦争が風化しつつあります。

悲惨で残酷な争い事など、風化するほうがよいのでしょうが、
そこに、尊い人々の命が奪われてしまったという現実は、
けっして風化させてはならないのです。
正しい戦争など、ある筈がないのだから・・・!

「何のために負けたんだ!」
と、誰かの言葉が、小生の記憶に残っています。
テレビなのか、新聞・雑誌・本なのか、それとも、友人・知人なのか、まったく思い出せないけど・・・、
素晴らしい言葉です!

戦争に負けたのは、何のため?
空襲をされたのは、何のため?
原爆を落とされたのは、何のため?

それは、二度と戦争を起こさないため!
原爆を落とされた国ゆえに、声高に、毅然と、
戦争の悲惨さを訴え続けるべきです。

しかし、指導者たちは学習していない。
平和の祭典・オリンピックの裏で、中国では、およそ平和とは無縁の争いが起こり、尊い血が流されています。
ロシアとグルジアの戦闘では、クラスター爆弾が投下されたとの報道も流れています。
そして、忘れもしない、アメリカは「大量破壊兵器の保有」を理由に掲げ、イラクに戦争を仕掛け、多くの血を流しました。

戦争を仕掛ける側は、必ず何らかの「大義」を設けてきます。

何が「大義」だ。
人の命を奪っていくものに「大義」などあってたまるか!
「大義」の仮面の裏には、醜いばかりの私欲・国欲が蠢いているだけじゃないか!
と、怒りが込み上げてきます。

日本は勿論、すべての国々の、
指導者の責任が、厳しく問われるべきであります。

「命もいらず,名もいらず,官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり,この始末に困る人ならでは,艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
山岡鉄舟は、西郷隆盛をして、こう感嘆させました。
その鉄舟の私欲なき下働きがあってこそ、勝海舟は江戸城を無血開城することに成功したのです。

武道の「武」とは、「戈(ほこ)を止める」を意味します。
つまり、争いをなくすこと、平和であります。
空手の指導者として、日本の武道空手の繁栄が、平和の一助になることを願ってやみません。

posted by 井上誠吾 at 10:28| 日記

2008年08月09日

光と影 汚れなき庶民

北京オリンピックが華々しく開会されました。

今回、開会式の総合演出を「HERO」や「LOVERS」などの娯楽大作映画をヒットさせているチャン・イーモー監督が担当すると知り、興味を持っていました。
さきほど、開会式のダイジェスト版を見て、
さすが、チャン・イーモー監督だな、と視覚的なスケールの大きさに感心しました。

しかし、
その華々しい“光”の裏には、暗く重い“影”を宿しています。
チベット問題、テロの問題、四川省大地震・・・そして、五輪期間中、出稼ぎ労働者を強制的に帰省させる事、等々。
華やかなパフォーマンスを見ながら、それらの件で苦しむ人々の姿が、ついつい脳裏をよぎってしまいます。

祭典の途中で「和」の人文字が浮かび上がっていましたが、
果たして、この国のトップから庶民までもが、心底から「和」を実感しているかどうか?
と、皮肉の一つも言いたくなってきました。

小生が、チャン・イーモーという名前を知ったのは、20年くらい前でした。
「古井戸」という映画で主演と撮影を担当し、なんという存在感のある俳優で、なんと力強い映像を創り出すカメラマンなのだろうと衝撃を覚えたものでした。

その「古井戸」という映画は、
水のない山奥の村で、極貧の家族が水を得ようと、様々な困難や犠牲を払いつつも、最後には井戸を掘り当てる。
という物語でした。

四川省の被災地では、まさにあの映画と同じように、極貧の中で、水を求め、食を求めて苦しんでいる人々がいます。
それを思うと、
チャン・イーモー監督には罪はないが、
国の威信をかけた華々しいオリンピックの祭典が、
欺瞞に満ちたメッキの祭典のように、
感じられてなりません。

しかし、一週間ほど前のニュースで、
強制的に帰省させられる出稼ぎ労働者の男性が、
「仕方ない、オリンピックは田舎でテレビを見て楽しむよ」
と笑って、列車に乗り込んでいた事。
さらに、
四川省の被災地で水や食べ物にも困っている筈の女性が、
「オリンピックは私たち中国人の夢だから」
と、こちらも笑って、被災の後片付けをしていた事。

二人の庶民の笑った顔は、
なんとも健気で、美しく強く、魅力あるものでした。
そんな、汚れなき庶民に、メダルに勝る幸ある栄光があることを祈るばかりです。

祭典に集った各国の為政者たちが、
パフォーマンスの影に潜む“闇”の矛盾に目を向け、
世界の庶民に対して、やさしい「和」の善政を施してこそ、
オリンピックというものが、真の「平和の祭典」として光り輝くのではないでしょうか。


posted by 井上誠吾 at 12:50| 日記