2009年01月10日

空手とは

「何のために空手をやるのか?」
小生の友人から、つい最近、そのような質問を受けました。

小生、迷うことなく
「強く、優しい自分になるため」
と答え、さらに、
「その思いの丈が道場生に伝わり、道場生から家族や隣近所の人々に伝わり、さらに地域や社会に、善の連鎖となって広がっていくことを願っている」
と、いつもの熱弁を振るっていました。

友人とは、そのような話になる前に、
“今の政治のあり方、今の官僚のあり方、今の企業のあり方”
等々を議論していただけに、
「強く、優しい、とは、弱者に手厚い、ということなんだよ。そんな知的精神が、哲学が、首相に、政治家に、官僚に、企業のトップにあれば、日本は必ず良くなるし、日本をモデルケースに世界も良くなっていく。そう信じているよ」
「相変わらず一直線だな」
小生の性格を知っている友人は、そう苦笑しました。

青臭いかもしれません。
そしてまた、あまりにも単純かもしれません。
しかし、こんな混沌とした時代にあっては、小難しい論理より、一途な“思いの丈”こそが大切であり、その覚悟こそが、世の中を変える原動力になるのではないでしょうか。

誠真会館の空手は、社会に有益でなければならない!
「強く、優しく!」──空手で培ったものを社会に役立ててこそ、空手をやっている価値がある。
そう確信しています。

小生自身、そのような思いの丈がなければ、
打ちひしがれて、立ち上がることも出来ず、這いつくばったまま、愚痴だらけの中で、ただ生きているだけ、の人生を送っているかも知れません。

自分の小さい殻を、
突き破り、超越する使命感があれば、
窮地に立たされても、苦労は苦労でなくなり、
むしろ、その苦労を、喜びにさえ転化することができる!

冒頭の友人が、ぽつりと言いました。
「そうか・・・強く、優しくか」
友人の顔からは、いつしか小生に対する苦笑は消えて、
「日本人には、案外、そんな魂みたいなものが必要な時代かも知れない」
と、理解する微笑みへと変わっていました。

小生、「案外、は余計」
と、ツッコミつつ、心の中では、
共鳴の、「押忍!」、を返していました。

posted by 井上誠吾 at 10:44| 日記