2009年04月13日

親と子の絆 一個の人間

親しくしている作家が言いました。
「親と子というものは、所詮は他人なんだ」

冷たい言葉に感じますが、さにあらず、
「所詮は他人」ということは、
「赤の他人」ということではなく、
血は繋がってはいるが、一個の人間として、「他人」として、互いに尊重し、認め合うことが必要だ、と言っているのです。

さらに、その作家は、
「最後は一人で死んでいくのが人間の宿命(さだめ)なんだ」
とも続けました。

小生、突き放したような言い方の中にも、人間の真実を鷲掴みにした荒々しさを感じ、深く頷いていました。

「人は一人で生まれて、一人で死んでいく」
だからこそ、例え親子でも、
一個の人間として、互いに甘えることなく、
「孤独に耐えながら、強く生きていく力」
を身につけなければならない。

しかし、親子だからこそ、
血の繋がった人間ゆえの温かみを失わず、
親が子を、子が親を、心配する心だけは失ってはいけない。
そう思います。

生前、父が言ったことが思い出されます。
「いくつになっても子供は子供たい」
もう30才も過ぎ、二児の父親になっていた小生に、そう言ったのであります。
久々に帰郷し、酒席で生意気な事を口走った小生を、やんわりと父がたしなめた瞬間でした。
何かと、すぐに暴走してしまう息子を心配しての言葉だったのです。
30才過ぎて尚、親に心配かけている自分が情けなく、腹立たしかったことを、昨日のことのように思い返されます。

あれから、四半世紀の時が流れ、
長男も30才を過ぎ、次男も30才に近くなり、あの頃の小生と同年代になってきました。
「いくつになっても、子供は子供」
父と同じ思いで、息子たちを見つめている自分がいます。

親離れ子離れ、は互いに必要なことです。
しかし、かたや、
親と子の「普遍的な絆」という温かさは、色あせることなく存在し続けることも事実でありましょう。

親と子が歩む長い人生にあって、
一個の人間として、互いに尊重しあい、認め合う。
そして、
互いを心配する「絆」さえあれば、例え、どのような大問題が発生しようが、解決の道はおのずと開けてくる!

小生自身、そう信じて、息子たちと向き合っています。

posted by 井上誠吾 at 10:04| 日記