最近、忘れものが実に多い!
少年部の話、
ではなく、小生の話です。
「忘れ物するなよ」
少年部には偉そうに言うくせに自分が忘れ物をしてしまうという自己矛盾、自己反省、自己葛藤の日々。
つい先日も──、
最近、忘れ物が多いため、
「今日は、コレを忘れないようにするぞ」
その日に必要な物を机の上に置いていたのですが・・・、
家を出る時には、忘れ物をしないために“机の上に置いていたこと”、それ事体を忘れて出かけている。
最悪です。
呆れています・・・自分に。
そこで考えました。
忘れものついでに、嫌なことも忘れよう!!
人間の脳は、
「嫌なことは忘れ、楽しいことは覚えている」
と、某学者が言っていた。
いや、待てよ。
「嫌なことは覚え、楽しいことは忘れている」
だったかな?
ん?
どっちだ?
ああ゛〜ッ、
某学者が言ったのは、どっちだったかも忘れておるわいッ、
このバカ者は!
しかし、よく忘れる脳で、よく考えてみると
この世は、嫌なことが多いのだろうか・・・?
それとも、楽しいことが多いのだろうか・・・?
と素朴な疑問がわいてきます。
「人間は、地獄というこの世に生まれてきた」
と、ある作家が言った。
しかし、
「人間は、遊び楽しむためにこの世に生まれてきた」
と、釈迦は説き、さらに、
「地獄界もあれば、仏界もある」
と、釈迦は説いている。
すべてが、まさに、言いえて妙“法”であります。
おそらく、
嫌なことも楽しいこともある。それがこの世なのだから、忘れることも必要なんだよ。
すべて受け入れ、強く“生きろ”ということなのでありましょう。
忘れてはいけないことは、
嫌なことから逃げたり、
楽しいことのために人を陥れたりしないこと。
案外、そんな単純なことかもしれません。
あッ・・・!
明日のことでメールするのを忘れていました。
なんで、こんな単純なことを忘れてしまうのやら・・・。
とほほ。
2009年11月21日
逃げずに闘う!
よく道場で、
「自分から逃げるな!」
と、子供たちを叱咤激励することがあります。
折りしも、英国人女性の死体を遺棄し、整形までして、2年7ヶ月も逃げていた市橋容疑者が逮捕されました。
連日、事件の続報を見るたびに、
この男、いったい、何のために生まれてきたのやら・・・、
そう思います。
両親が医者という裕福な家庭に生まれ、
頭もよく、明るく、人気もあった少年が、なぜ、このように変貌してしまったのか・・・。
小生なりに、
「逃げる」という行為そのものが、
彼のすべてを具現している、と思っております。
大学受験に失敗し、
親子の共通の夢であった医者になれず、
生まれて初めて「敗北」を喫した!
その「敗北」の瞬間から、彼の「逃げる」という習癖は、
始まった、と推測いたします。
この「敗北」から「逃げる」という習癖を持っていたのは、
なにも市橋容疑者だけではありません。
近年、世間を騒がせた、
「秋葉原通り魔事件」の容疑者も然り、
「土浦駅連続殺傷事件」の容疑者も然り、
子供の頃は優秀だったのに、受験や就職に失敗した頃から、「敗北」を喫し、自分から「逃げる」うちに、歯車が狂っていき、大事件を巻き起こしてしまう。
これらの事件の背景には「勝てば良い」という競争社会の歪みがあり、そこに問題があるのは事実でありましょう。
しかし、自分の思い通りにならないから、それを世間のせいにし、さらに他人のせいにして、何の罪もない無関係の人を殺してよい筈がない!
断じて、許せない!
被害者とその家族の無念さを思えば、極刑やむ無し、との憤りを覚えます。
道場では、
「勝つことがすべてではない!」
と指導しています。
試合で負けることは勿論、
スパーリングで負けることも然り、
基本や移動や型の技が覚えられないことも然り、
それゆえに、昇級審査を受けさせて貰えないことも然り、
むしろ、勝つことより、負けることが多い、のが空手かも知れません。
しかし、「それでいいんだ」と確信しております。
痛い、辛い、恐い、苦しい、悔しい、それらから逃げず、
乗り越えていくからこそ、辛抱する力が育まれるのです。
今の自分は、
「逃げているか」それとも「逃げてはいないか」、
それを一番知っているのは、本人です。
あえて、勝ち負け、を問うならば、
「弱い自分から逃げずに闘う」
その闘う姿こそ、
「勝者」といえるでしょう。
逃げずに闘おう、押忍!
「自分から逃げるな!」
と、子供たちを叱咤激励することがあります。
折りしも、英国人女性の死体を遺棄し、整形までして、2年7ヶ月も逃げていた市橋容疑者が逮捕されました。
連日、事件の続報を見るたびに、
この男、いったい、何のために生まれてきたのやら・・・、
そう思います。
両親が医者という裕福な家庭に生まれ、
頭もよく、明るく、人気もあった少年が、なぜ、このように変貌してしまったのか・・・。
小生なりに、
「逃げる」という行為そのものが、
彼のすべてを具現している、と思っております。
大学受験に失敗し、
親子の共通の夢であった医者になれず、
生まれて初めて「敗北」を喫した!
その「敗北」の瞬間から、彼の「逃げる」という習癖は、
始まった、と推測いたします。
この「敗北」から「逃げる」という習癖を持っていたのは、
なにも市橋容疑者だけではありません。
近年、世間を騒がせた、
「秋葉原通り魔事件」の容疑者も然り、
「土浦駅連続殺傷事件」の容疑者も然り、
子供の頃は優秀だったのに、受験や就職に失敗した頃から、「敗北」を喫し、自分から「逃げる」うちに、歯車が狂っていき、大事件を巻き起こしてしまう。
これらの事件の背景には「勝てば良い」という競争社会の歪みがあり、そこに問題があるのは事実でありましょう。
しかし、自分の思い通りにならないから、それを世間のせいにし、さらに他人のせいにして、何の罪もない無関係の人を殺してよい筈がない!
断じて、許せない!
被害者とその家族の無念さを思えば、極刑やむ無し、との憤りを覚えます。
道場では、
「勝つことがすべてではない!」
と指導しています。
試合で負けることは勿論、
スパーリングで負けることも然り、
基本や移動や型の技が覚えられないことも然り、
それゆえに、昇級審査を受けさせて貰えないことも然り、
むしろ、勝つことより、負けることが多い、のが空手かも知れません。
しかし、「それでいいんだ」と確信しております。
痛い、辛い、恐い、苦しい、悔しい、それらから逃げず、
乗り越えていくからこそ、辛抱する力が育まれるのです。
今の自分は、
「逃げているか」それとも「逃げてはいないか」、
それを一番知っているのは、本人です。
あえて、勝ち負け、を問うならば、
「弱い自分から逃げずに闘う」
その闘う姿こそ、
「勝者」といえるでしょう。
逃げずに闘おう、押忍!
posted by 井上誠吾 at 23:04| 日記
2009年11月12日
人間力
森繁久彌さんが大往生を遂げられました。
大御所の逝去は、さまざまな報道がされているので、
小生は、それらとは違った角度から、森繁さんを語ってみたいと思います。
小生、森繁さんとは、何度かお目にかかっております。
最初は、30年ほど前、
友人の役者が森繁さん主役の舞台・「屋根の上のバイオリン弾き」に出演していたことから、観劇後に楽屋を訪ねた時でした。
遠い廊下の先で、マネージャーらしき人たちと何やら立ち話をされている姿を拝見しました。
舞台の上とは違った“素の森繁久彌さん”に品格のある、ほのぼのとした人間性を感じた事を覚えております。
その後、撮影所のメイク室やセットへ移動される森繁さんを幾度か見かけましたが、やはり飄々たる風貌に品格を漂わせておられました。
そして、20年ほど前、お話をする機会が訪れました。
小生が書いた脚本・「仙人のいたずら」というテレビドラマに出演していただいた時でした。
森繁さん演ずる「仙人」が、大都会で不遇に生きる庶民を見て、ほんの少しの「いたずら(手助け)」をして、生きる勇気と希望を与える、というドラマです。
余談ですが、当時、まだ無名だった唐沢寿明氏や渡辺いっけい氏も出演しており、すでに売れる兆候を感じさせる演技をしておりました。
さて、森繁さんの話。
プロデューサーから、主役の仙人を森繁さんが引き受けて下さると聞いた時には「えッ!?」と固まりました。
大御所の出演決定に驚きと嬉しさ、そして、信じられないとの感情がないまぜになり、二の句が出ない状態でした。
スタジオでプロデューサーから森繁さんを紹介された時、
正直申しまして、お年を召されたな、と思いました。
しかし、品格にはますます磨きがかかり、辺りを圧倒する重厚なオーラを感じました。
小生、曲がりなりにも、40年近く芸能界に関わってきて、
数多くの大スターを目の前で見てきましたが、スター性は感じても、オーラというものを感じた事はありません。
もしかしたら、小生の感覚が鈍くできているからかもしれませんが・・・、
そんな鈍感野郎が、森繁さんを見て、オーラを感じたのです。
否、今思えば・・・、
あれは、オーラというより、もっと土臭いもの、
そう、“人間力”とでも形容すべく、
目に見えない、生きて闘ってきた人間の持つ“力”、
と、表現したほうが正しい気がします。
空手を修行する身としては、
人々を威圧するような力は必要ない、
ほのぼのとした、優しさ溢れる“人間力”を培い、
人々に、生きる勇気と希望、を感じさせられるようになりたい、そんな思いに至っております。
森繁久彌さん、
お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ご冥福を祈り、合掌!
大御所の逝去は、さまざまな報道がされているので、
小生は、それらとは違った角度から、森繁さんを語ってみたいと思います。
小生、森繁さんとは、何度かお目にかかっております。
最初は、30年ほど前、
友人の役者が森繁さん主役の舞台・「屋根の上のバイオリン弾き」に出演していたことから、観劇後に楽屋を訪ねた時でした。
遠い廊下の先で、マネージャーらしき人たちと何やら立ち話をされている姿を拝見しました。
舞台の上とは違った“素の森繁久彌さん”に品格のある、ほのぼのとした人間性を感じた事を覚えております。
その後、撮影所のメイク室やセットへ移動される森繁さんを幾度か見かけましたが、やはり飄々たる風貌に品格を漂わせておられました。
そして、20年ほど前、お話をする機会が訪れました。
小生が書いた脚本・「仙人のいたずら」というテレビドラマに出演していただいた時でした。
森繁さん演ずる「仙人」が、大都会で不遇に生きる庶民を見て、ほんの少しの「いたずら(手助け)」をして、生きる勇気と希望を与える、というドラマです。
余談ですが、当時、まだ無名だった唐沢寿明氏や渡辺いっけい氏も出演しており、すでに売れる兆候を感じさせる演技をしておりました。
さて、森繁さんの話。
プロデューサーから、主役の仙人を森繁さんが引き受けて下さると聞いた時には「えッ!?」と固まりました。
大御所の出演決定に驚きと嬉しさ、そして、信じられないとの感情がないまぜになり、二の句が出ない状態でした。
スタジオでプロデューサーから森繁さんを紹介された時、
正直申しまして、お年を召されたな、と思いました。
しかし、品格にはますます磨きがかかり、辺りを圧倒する重厚なオーラを感じました。
小生、曲がりなりにも、40年近く芸能界に関わってきて、
数多くの大スターを目の前で見てきましたが、スター性は感じても、オーラというものを感じた事はありません。
もしかしたら、小生の感覚が鈍くできているからかもしれませんが・・・、
そんな鈍感野郎が、森繁さんを見て、オーラを感じたのです。
否、今思えば・・・、
あれは、オーラというより、もっと土臭いもの、
そう、“人間力”とでも形容すべく、
目に見えない、生きて闘ってきた人間の持つ“力”、
と、表現したほうが正しい気がします。
空手を修行する身としては、
人々を威圧するような力は必要ない、
ほのぼのとした、優しさ溢れる“人間力”を培い、
人々に、生きる勇気と希望、を感じさせられるようになりたい、そんな思いに至っております。
森繁久彌さん、
お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ご冥福を祈り、合掌!
posted by 井上誠吾 at 09:37| 日記
2009年11月07日
改めるに憚ることなく
「朝令暮改」という四字熟語があります。
朝に出した命令を夕方にはもう改めること、の意味です。
コロコロと方針が変わり、けっして良くない意味合いが込められていますが・・・、
この「朝令暮改」を真っ向から、「良し」とした歴史上の人物がいます。
小生が尊敬する米沢藩中興の祖・上杉鷹山公であります。
鷹山公の事は、このブログで何回も書いてきましたが、
破綻寸前の米沢藩に婿養子として入り、艱難の末、藩を再興し、のちに、アメリカの35代大統領のジョン・F・ケネディに、もっとも尊敬している日本人」と、言わしめた人物であることを再度述べさせていただきます。
さて、その鷹山公、
貧困に苦しむ米沢藩の民衆を救うために奔走するのですが、財政再建が思うようにいかず、
「朝に出した命令を夕方には改めなければならない」
そのような状況に幾度となく陥ります。
しかし、その度に、
「過(あやま)ちては、改(あらた)めるに、憚(はばか)ることなかれ」
と、側近たちに口癖のように言います。
つまり、
「過ちと分かったら、体面を気にせず、改めればよい」
として、自分の間違いを素直に反省し、朝に出した指示とは違う指示を夕方には出していったのです。
とかく、上に立つ者が、「朝令暮改」でコロコロと方針や指示を変えるようでは、指導力や決断力がない、と見られがちです。
事実、そんな“ブレる”鷹山公に対して、反対勢力の家臣たちは、あからさまに糾弾してきます。
しかし、鷹山公は、自分の小さな体面など気にせず、ただひたすら“民衆のことのみ”を考え、
「自分が間違っていたら、素直に反省し、考えを改める」といった姿勢を崩さず、改革を推進していき、苦しみあえぐ米沢の民衆を救い、蘇らせていったのです。
その根幹には、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」との名言を残した鷹山公の「あきらめずに成し遂げる強い意志」があったればこそでしょう。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という言葉があります。
世界的な大不況の中、
かつてケネディ大統領に尊敬していると言わしめた鷹山公の「民衆を救うための活きた哲学」
の中にこそ、普遍的、かつ根本的な解決策が見出せるのではないでしょうか。
国を動かす政治家や官僚は当然、
会社や組織の上に立っている者も然り、
自分のための言い訳などはいっさいせず、他者のために、
「過ちては、改めるに憚ることなかれ」
との歴史上の金言に学び、行動する時代が到来している、そう思います。
そして、小生自身もまた、
空手の指導に携わる者として、
この金言を胸に、己れを律していきたいと思っております。
押忍!
朝に出した命令を夕方にはもう改めること、の意味です。
コロコロと方針が変わり、けっして良くない意味合いが込められていますが・・・、
この「朝令暮改」を真っ向から、「良し」とした歴史上の人物がいます。
小生が尊敬する米沢藩中興の祖・上杉鷹山公であります。
鷹山公の事は、このブログで何回も書いてきましたが、
破綻寸前の米沢藩に婿養子として入り、艱難の末、藩を再興し、のちに、アメリカの35代大統領のジョン・F・ケネディに、もっとも尊敬している日本人」と、言わしめた人物であることを再度述べさせていただきます。
さて、その鷹山公、
貧困に苦しむ米沢藩の民衆を救うために奔走するのですが、財政再建が思うようにいかず、
「朝に出した命令を夕方には改めなければならない」
そのような状況に幾度となく陥ります。
しかし、その度に、
「過(あやま)ちては、改(あらた)めるに、憚(はばか)ることなかれ」
と、側近たちに口癖のように言います。
つまり、
「過ちと分かったら、体面を気にせず、改めればよい」
として、自分の間違いを素直に反省し、朝に出した指示とは違う指示を夕方には出していったのです。
とかく、上に立つ者が、「朝令暮改」でコロコロと方針や指示を変えるようでは、指導力や決断力がない、と見られがちです。
事実、そんな“ブレる”鷹山公に対して、反対勢力の家臣たちは、あからさまに糾弾してきます。
しかし、鷹山公は、自分の小さな体面など気にせず、ただひたすら“民衆のことのみ”を考え、
「自分が間違っていたら、素直に反省し、考えを改める」といった姿勢を崩さず、改革を推進していき、苦しみあえぐ米沢の民衆を救い、蘇らせていったのです。
その根幹には、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」との名言を残した鷹山公の「あきらめずに成し遂げる強い意志」があったればこそでしょう。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という言葉があります。
世界的な大不況の中、
かつてケネディ大統領に尊敬していると言わしめた鷹山公の「民衆を救うための活きた哲学」
の中にこそ、普遍的、かつ根本的な解決策が見出せるのではないでしょうか。
国を動かす政治家や官僚は当然、
会社や組織の上に立っている者も然り、
自分のための言い訳などはいっさいせず、他者のために、
「過ちては、改めるに憚ることなかれ」
との歴史上の金言に学び、行動する時代が到来している、そう思います。
そして、小生自身もまた、
空手の指導に携わる者として、
この金言を胸に、己れを律していきたいと思っております。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 23:43| 日記