2010年06月20日

ある神童のその後

「子供の頃、神童と呼ばれていたのになぁ」   
三十年ほど前、小生の友人がそう呟きました。
2才年下の彼は、小生のことを兄貴のように慕っていました。

彼の子供の頃は、成績もよく、スポーツもでき、天才的な少年だったようです。
しかし、大人になると、様々な現実にぶつかり、いつしか平凡な人間に陥り、そして、仕事に行き詰まり、現状を嘆くようになりました。

小生は、神童とは無縁でしたが、
彼の置かれていた立場だけは理解しているつもりでした。
そして、
「人間万事塞翁が馬」
「禍福は糾える縄の如し」
等の諺をひいて、
「生きている限り、良いこともあれば悪いこともあるし、
逆境の中にこそ好機がある」
と励ましました。

しかし、彼は、その後──、
坂道を転げ落ちるように堕落していきました。
警察の厄介にもなり、小生は何度か面会に行き、叱咤激励しました。
そして、一度は、更生を誓ったのですが・・・、
すぐに酒に溺れ、体をぼろぼろにして、東京を離れ・・・やがて、彼の親から、若くして死んだ、との報せが届きました。

誰もが、
厳しい現実と闘って生きていかなければなりません!

彼は、自分との闘いに敗れたのです。
小生は、そう思っています。

なぁ、そうだろう?
あの世から、このブログを見ているんじゃないのか?
もう少し、弱い自分と向き合い、懸命に闘えばよかった!
そう思っているんじゃないのか?

小生・・・三十年ほど経った今でも、
時々、ふと、彼のことを思い出すことがあります。
死者に鞭打ちたくはありませんが、
生まれたからには、最後まで、自分の可能性を信じて、生き抜いてほしかった!
思い出すたびに、そう思います。

彼のように神童と呼ばれることなく、
子供の頃は鈍才と呼ばれた歴史上の人物は数多くいます。
代表的なところでは、
「泣き虫、夜ばぁたれ」と呼ばれた坂本龍馬。
「劣等性で問題児」扱いされた発明王のエジソン。

坂本龍馬もエジソンも、
自分の可能性を信じていなかったら、鈍才で終わっていたことでしょう。

すべての子供に可能性はある!

少年部たちの限りない可能性を信じ、
そして、その秘めた力を導き出すべく、
指導に全力を尽くしたいと思っています。
押忍!

posted by 井上誠吾 at 00:02| 日記

2010年06月10日

続・「武の国」の矜持

このブログはいろいろな人たちが見ておられるので、
「あまり過激なことは書かないほうが良いと思います」
と誠真会館の指導部の中から心配の声もありますが・・・。

あえて、「武」とは戈(ほこ)を止める、「争いを止める」という観点から、書かせていただきます。
指導部の方々、若干の暴走をお許し下さい!

一週間前、鳩山さんが辞任を表明したかと思ったら、
もう、菅さんの内閣が発足しています。
まるで、回転ドアーのような早変わりであります。

回転ドアーの外に出て行った鳩山さんは、
普天間のことなど忘れたかのように東工大の講演で、
「菅君が総理に指名されるまで、まだ総理でありまして」
と、自虐的な笑いを誘って、
「国家の一大事の時は、まだ私が仕事をしなきゃならん」
と、発言をしていましたが・・・、
鳩山さん、普天間の問題は、国家の一大事ですよ。

沖縄県民の意思を無視して、強引に日米合意をしたから、もう仕事は終わり、ではありませんよ。
総理大臣経験者の政治家として、普天間問題はあなたが遣り残した大きな仕事なのです。何を他人事みたいに言っているのやら・・・。

新総理大臣の菅さんは、
辺野古周辺に移設する日米合意を引き継ぐ考えのようですが・・・、
これでは、沖縄の人々は見放されたも同然です。
日本の平和は、沖縄を犠牲にして成り立っているのです。
このまま犠牲を押し続けて良いわけがない!

菅内閣で支持率が66%にまで上がったそうですが、
その期待感を、普天間問題に関する国民の理解の表れ、とすり替えてはいけません。
むしろ、この際、多くの国民の支持を背景にして、
米軍の抑止力をはじめ、集団的自衛権や個別的自衛権の問題を、国民を巻き込んで議論すべき時にきているのではないでしょうか。

ましてや、民主党は以前から「県外移設」を沖縄政策として盛り込んできているのです。
この問題は、憲法9条を含め、国をあげて大議論し、解決しなければならない大きな問題なんです。

強くなくては、優しくなれない!
戈(ほこ)を止める「武」の国である日本は、
「自分の国は自分で守る」
という、ごく当たり前な観点に立ち返り、
そこで、初めて米軍問題を論じていくべきなのです。

小生は思います。
日本という国は、真摯に歴史を振り返らなければならない。
歴史の中の埋もれた“真実”に辿り着き、これからどうするか、を議論しなければならない。
要は──、
戦争を仕掛けるような傲慢な国であってはならないし、
戦争を仕掛けられるような脆弱な国であってもならない!
原爆を落とされた国・日本が、
争いを止める「武」の国・日本の矜持を持ち、日本ゆえに成し得る平和中立国家を目指すべきだと思います!

菅さんが、自ら「奇兵隊内閣」と名付けたからには、
奇兵隊を結成した高杉晋作、
高杉の師匠である吉田松陰、
二人が死を賭して実践したサムライ精神も受け継いでほしいものです。

小生の尊敬する吉田松陰は、
「国家を治めるも、家族を治めるも、その要は仁愛にある」
と遺しています。
鳩山さんの「友愛」に共鳴した小生ですが、
その源は、吉田松陰の「仁愛」にあり、
誠真会館の「仁・おもいやり」は、戈(ほこ)を止める「武」から来ているのは言うまでもありません。

良い刀は良い鞘に納まる、と申します。
かく言う小生も、
こうして生かされている限り、
争いを止められるような強く優しい日本人になるべく、
生涯が修行と覚悟しております!

久々に、ナガク、シツコクなりました。
最後まで、拙文を読んでいただき、
感謝の押忍!


posted by 井上誠吾 at 11:13| 日記

2010年06月01日

「武の国」の矜持

武とは「戈(ほこ)を止める」、
「争いを止める」と書いて「武」であります。

一見すると、戦闘的な「武」のイメージがありますが、
まったく正反対の「争いを止める」という「平和の意味」が含まれています。

今年の1月頃、施政方針演説で、
鳩山さんが「命を守りたい」と言いました。
命を守るためには、おのれ自身が強くあらねばなりません。
まさに「命を守る」とは「武」である、といえましょう!

その鳩山さんが、普天間について、
「5月末までに決着つけ、国外か最低でも県外に移設する」
と宣言しましたが・・・、
今日は6月1日・・・鳩山内閣は約束を守れず沈没寸前です。

ある政治情報誌に、
「首相である僕が『国外か、最低でも県外に移設する』と言えば周りの誰かかやってくれる、と思っていた」
と鳩山さんの“お坊ちゃん”ぶりを揶揄した記事がありました。
なるほど、そうか・・・、
恵まれすぎた家庭に育った鳩山船長は、自分が舵取りしなくても船は動くもの、と思っていたのかもしれない。

小生は支持政党なし、世間でいうところの無党派層です。
そんな小生ですが、鳩山政権を批判する友人たちには、
「何億もの母親からの小遣いがあったから民主党が生まれたんだよ。『官僚のムダ使い』や『子育て支援』や『医療制度の見直し』や『対等な日米関係』なんかをやろうとしているんだから、もう少し長い目で見てやれよ」
と言ってきました。

しかし・・・もう、言えない。
鳩山政権が誕生して以来、このブログでも鳩山さんを陰ながら応援してきましたが・・・、
その裏を見極めず、安易に応援してきた自分が恥ずかしい限りであります。

安倍さんよりも、福田さんよりも、麻生さんよりも、
鳩山さんは、誰よりも、超がつくお坊ちゃんでありました。
心底から・・・残念!
こうして振り返ると「美しい国つくり」を主張した安倍さんには、耐えがたきを耐え抜いて、本懐を遂げてほしかった。

本来、戈(ほこ)を止める、武の国・日本が、
今や「美しい国」どころか「醜い国」に陥っています。

もし今、平和を尊ぶサムライ政治家がいたなら──、
「自国の安全は自国で守る!
その為には駐留なき安保を段階をおって現実化し、
先ずは米軍の施設は国外に移設し、近隣国の侵略に備え、
自らが、抑止力と個別的自衛力を強化し、
拉致された人々を救い出し、やがて、その個別的自衛力は、
経済交流を通じて、平和外交政策へと移行し、最終的には、武力という刀は鞘へ納め、平和中立国家を目指す!」

もう少し、サムライらしく時代劇調にいえば、
「我が家の安全は我が家で守る!
その為には用心棒との契約は少しずつ見直し、
先ず用心棒には家を出て頂き、外から睨みを利かして貰い、
自らが近所の乱暴者から喧嘩を売られない武術を身につけ、
誘拐された身内を救い出し、やがて、その武術は、
味噌や醤油などを交換できる付き合いへと活かしていき、
最後には誰とも喧嘩をせず、刀を鞘に納め、もし喧嘩をする輩がいたら、それを止める人間力を持つ!」

武とは「戈(ほこ)を止める」
自分の身は自分で守り、その上、周囲の争いも止める!
武の国である日本ゆえに、
そして、原爆を落とされた日本ゆえに、
真の平和を全世界に訴える必要があり、その立場にあり、
それが、「武の国・日本」の矜持である!
と確信しています。


posted by 井上誠吾 at 11:11| 日記