2010年10月23日

子供たちのやる気


指導の際、
やる気がなく、気合いが出ていない少年部には、
「何のために空手をやっているんだッ!」
と、叱ることが多々あります。

さらに、
「気合の気は、弱気の気でもある。どうせ稽古をするんなら、強気の気・勇気の気・本気の気、を出してみろよッ!」
と、発破を掛けます。

道場に来て、何の緊張感もなく、集中もせず、
只、だらだらと時間をやり過ごすだけの稽古では、
本人のためには何一つ良いことはありません。
そこで、指導する側も、それこそ本気で子供たちと向き合い、つい思わず激しい口調となり、檄を飛ばすのであります。
「やる気はあんのかッ!」──と。

実は昨日、
低学年クラスの二人の子の“やる気”に目を見張りました。

二人に共通しているのはスパーリングが大嫌いな事です。
スパーリングの時間になると、二人共あからさまに表情がこわばり、涙さえ浮かべてしまうのです。
「気持ちなんだよ、やる気を出してみろッ!」
と、叱咤激励するものの・・・、
いざスパーリングが始まると、すぐに泣き出し、ボコボコにやられながら、後ずさりしていくのが常なのであります。

しかし、昨日は、やる気のスイッチが大きく入りました。
一歩も退かず、自分から突きや蹴りが次々と出し、いつも泣かされている相手を逆に追い込むほど前に出ているのです。
そして、二人共、最後まで一度も泣くことはなかったのです!

正直申しまして、感動しました!
そして、さらに嬉しいことに、
次の時間の高学年クラスでも、子供たちが“やる気”を見せてくれたのです。

実は、数日前の稽古で──、
5・6年生たちが技のキレもなく、なんとなく惰性でやり、“正拳突きの連打”になると、補強に近いほど辛いものだから、まったく気迫がなく、
「そんな稽古をしてんなら、空手なんかやめてしまえッ!」
と、一喝したことがあったのです。

基本・型・移動・スパーリング、
と、空手の稽古はある意味においてルーチンワークですから、
手を抜いてやろうと思えばいくらでも手を抜けます。
高学年ともなれば、小賢しい知恵も付いてきて、気合いを入れるか入れないかの“さじ加減”で、如何ようにも稽古内容の充実度が変わってくるのです。

ところが、昨日の5・6年生たちは違っていました。
「空手なんかやめてしまえッ!」
あの言葉が効いたのか、気合いが入っていました。
補強に近い“正拳突きの連打”など、叱られてなるものかと、
自分の力をすべて吐き出すほどの迫力で、
あたりに物凄い汗を飛び散らしながら突いていました。

昨日、子供たちの“やる気”を二度も見せられ、小生自身が感動を貰いました。
やる気満々でスパーリングに挑んだ低学年の二人!
全力で稽古に打ち込んだ5・6年生たち!

あのような“やる気”を見せてくれると、
心底から、指導者冥利に尽きる、というものです。
彼らの頑張りに、押忍!

posted by 井上誠吾 at 23:37| 日記

2010年10月16日

許しあってるかい!

思えば、
「あいつだけは許せない!」
というセリフをいったい何回聞いたことでしょう。

映画や演劇で俳優が吐いたセリフではありません。
ごく普通に生きている人の、ごく普通の会話の中に出てくるセリフであります。
小生自身、58年間生きてきて、友人・知人・先輩・後輩・等々、いろんな人々から、この言葉を聞いた覚えがあります。
「あいつだけは許せない!」・・・と!

先日、友人と居酒屋で飲んでいた時でした。
「俺らぁよ、あいつだけはブッ殺しても気がすまねぇんだ!」
と、少し離れた席で酔客が叫んでいました。
40年配のサラリーマン風の男性です。
いったい誰をブッ殺したいほど許せないのか?

理不尽な命令をする上司なのか?
言うことを聞かない生意気な部下なのか?
それとも、自分を蹴落として出世した入社同期生なのか?

一緒に飲んでいる友人らしき男性も困惑気味に聞いていましたが・・・やがて、酔客は妙に穏やかになっていきました。
おそらく、飲んだ酒が“名薬”となり、不満を吐き出すことでスッキリしたのではないか、とその席に目をやると・・・、
どうやら、その友人が素晴らしかったようです。
温厚そうな眼差しで、何度も頷きながら、不満や愚痴を聞いてあげているではありませんか。
“名薬”は酒ではなく、友人の“聞き上手”だったようです。

世知辛い世の中であります。
「あいつだけは許せない!」と思う人物が一人や二人いてもおかしくはありません。
何を隠そう、小生も一人や二人はいます。
その逆に、小生自身が一人や二人の恨みを買っている可能性もあります。

否、小生などは我が強いゆえに一人・二人ではなく、何人いてもおかしくないのかもしれません。
思えば、58年の人生をふり返れば・・・人に迷惑をかけたり、不快に思わせたり、今日まで、なんど生き恥を晒してきたことか・・・ただただ反省あるのみです。

誰もが、人に恨まれて生きていたくないものです。
また、誰もが、人を恨んで生きていたくないものです。
確かに、今の世の中、腹の立つ“輩”は、数多くいますが、
なるべくなら、人を恨まず・恨まれず、人におもいやりをもって生きていきたいものです。

そういえば、あの“聞き上手”の友人、
褒めすぎかもしれませんが、なんとなく、慈悲深い風貌を備えていたような気がしてきました。

釈迦は「慈悲」を説きました。
「慈悲」とは──、
「生きとし生きるもの全てに対する無限の愛」です。

「許しあってるかい!」
どのような相手でも、穏やかに懐深く受け入れたいものです。
とは言いつつも・・・、
小生など、そう簡単に出来ないゆえに、武道を通して、生涯に渡っての修行が必要になってくるのであります。

押忍!


posted by 井上誠吾 at 23:39| 日記

2010年10月04日

高い志

下記の検察官僚たちに、
「志」というものがあるのでしょうか。

大阪地検特捜部検事による証拠改ざん事件で、
フロッピーディスク改ざんで逮捕された検事に続いて、上層部の検事たちも逮捕されました。

検察が検察を取り調べる。
司法の最高権威である検察エリートたちによる全面対決の様相を呈してきています。

逮捕された前特捜部長は、
「検察にとって恥の上塗りになる」
と供述したようです。

「恥の上塗り」とは、どういう意味なのか?
小生、考えすぎなのかも知れませんが・・・、
「俺たちを逮捕すれば、お前たちの不正も表に出すぞ」
と言っているように聞こえるのですが・・・。

まったく、検察丁内部で、なんと幼稚な権力争いをしているんだ、とあきれてしまいます。

所詮、エリート官僚なんて、こんなものなのでしょう。
国民の生活の豊かさのためよりも、省庁内の権力争いに勝つために働いているようなものです。
権力争いに勝った者は、莫大な退職金を手に入れ、天下りをし、そこでまた莫大な退職金を手に入れ、その“渡り”を何度か繰り返して、国民の血税を吸い尽くす。
民主党政権になっても、形を変えて、この“天下り”の構図は、しぶとく残っており、完全に立ち消えることはないでしょう。

なにが、「恥の上塗り」だ!
お前さんたちのことを「厚顔無恥」というんだ!
少しは、高い志を持ってくれよ!

ああ、情けない!
官僚にも政治家にも期待したいのに、この体たらくです。
心底から、怒りが込み上げてきます。

もう“この国を動かす大人たち”には、期待するほうが間違っているのかも知れません。

また手前味噌になりますが、
誠真会館は、高い志を持って活動しています。
「仁・義・礼・忠・孝・勇・信」
この精神支柱を根本に、指導者たちは、日々自己を研鑽しています。

本来、国を動かす為政者たちこそ、
この精神を保って、事を成さなければならないのです。
しかし、残念ながら、期待できない状況にあります。

ならば、誠真会館は弱小ではありますが、
国に代わって、高い志を持って、
「強く優しい子供たち」
を育てていきます!

誠真会館の少年部から、
将来、数多くの人材が輩出され、
未来の日本が「強く優しい国」になるべく、
今日も、子供たちと向き合い、稽古に励みたいと思います。

押忍!




posted by 井上誠吾 at 10:29| 日記