2012年06月28日

素朴さ



ご無沙汰しております。
いつもこのブログを見ていただいている皆さん、
更新が遅れて申し訳ありません!

館長の立場で述べていた「誠拳閑話」から、
小生個人のつぶやきとして「井上誠吾のひとり言」に変えたというのに、なかなか「ひとり言」なるものが書けず、最近は“報告ブログ”みたいになっており、反省しております。
しかし、「ひとり言」のネタは山ほどありますので、原点に返りまして、その「ひとり言」をボソッと言わせてもらいますと──。

「それにしても、今どきの政治家には呆れるばかり」
幼稚園の子供でも、
「嘘をつきません。約束は守ります」
との大切さを知っているのに、
マニフェストで約束したことはやらず、
約束していない消費税を勝手に上げてしまう。

確かに、国の借金を思えば、増税はやむを得ないと思うが、
身を削ると約束したんだから、そっちが先じゃないの。

彼らにも、純粋な子供時代があっただろうに、
組織悪やら、権力悪やら、薄汚れたしがらみに染まり、
「国民のため」という大義をでっち上げ、詭弁を弄する大人になってしまう。

政治家の皆さんよ、
あんたらにも幼稚園くらいの孫や子供がいるんじゃないの。
嘘はつかず、約束ぐらい守ろうよ。
「お爺ちゃんみたいにウソついちゃダメよ」
てね、反面教師にされちまうぞ。



おっと、いかんいかん!
タイトルの「素朴さ」から脱線してしまった。
そこへ戻るため、次なる二つの報告をさせて下さい。

今月の前半と中旬に、岡山県と富士河口湖に行ってきました。
岡山県は岡山支部を委ねている黒江浩史氏の結婚式。
富士河口湖は合宿の下見。
「素朴さ」で書きたかったのは、その岡山県と富士河口湖で出会ったお二人の事です。

先ず岡山県から。
黒江氏の新妻の理恵さんはもちろん、親戚や友人の方々にも素朴な人柄を感じたのですが・・・、
中でも、黒江氏のお父上の人柄には頭が下がる思いでした。

息子の結婚式に遠くから来ていただいた、
との親心からでしょう。
伝統的建造物が残る倉敷美観地区の案内役をしていただいたのであります。
重要文化財の立ち並ぶ中、美術館から博物館から民芸館から、次から次へと広大な範囲を汗を流しながら、郷土史案内役よろしく、お気遣いいただきました。
同行した中で一番若い加藤邦顕本部長が「歩き疲れました」というくらいに巡り巡ったかと思います。
一生懸命に案内される、その素朴な人柄に感じ入りました。

続いて、富士河口湖足和田ホテルの支配人。
少年部たちが、どのような体験をしたら喜ぶか、をテーマにいろいろな場所に案内していただきました。
ホテルの業務もあるだろうに、この日はずっと付きっきりでご自分の車で案内され、途中、富士吉田うどんをご馳走になりながら、各地を巡りました。

ホテルに戻り、帰京の途についたのが18時近く。
長時間をかけて、子供たちが喜ぶのは何か、を一緒に考え、行動し、付き合っていただきました。
黒江氏のお父上同様に、この支配人もまた一生懸命に案内され、その素朴さに感じ入りました。

人に喜んで貰いたい、という“素朴な行動”は魅力的です。
自分も、あのようにあらねば・・・と勉強になりました。



次回からは、
なるべく報告ブログ色から、
「ひとり言」へと移行していきたい、と思っています。
それでは、
本日、最後のひとり言。

「今どきの政治家に素朴な人って、いるのかな?」


井上 拝



posted by 井上誠吾 at 10:44| 日記

2012年06月01日

神波史男先生を偲ぶ会


誠真会館の主催として、
名誉顧問の「故神波史男先生を偲ぶ会」を5月14日、
奥様の神波節子さんを招いて行いました。

神波先生は酒が大好きな方でした。
かつて小生とは、二日か三日に一回は会っては飲み、取り留めのない話に及び、なんど朝まで飲み明かしたことか。
「神波さん」というのが気が引け、「お父さん」というと、「お父さん言うな」と言うし、「先生」というと「先生言うな」と言うし、
どんなに酔っても怒ることなく、温厚で、笑顔が素敵な方でした。

本来なら、誠真会館葬として行いたかったのですが、
この2・3年は、ほとんど道場で“体を鍛える”ことはされず、もっぱら居酒屋で酒を片手に”“肝臓を鍛える”ことに専念されておられたので、神波先生を知る黒帯だけに声を掛け、ささやかに行いました。
参加者は、黒帯が7人。
小生と神波先生が常連としていた庄やの店長と従業員。
奥様を入れて総勢10人であります。

思えば、2006年の秋でした。
小生は神波先生に日本酒を注ぎながら、
「誠真会館という道場を立ち上げます。顧問になって下さい」
と半ば強引に顧問になっていただきました。
それは顧問になって頂く事で、「先生」と呼びたかった事。
さらに、
神波先生の博愛で博識、且つ反骨精神あふれる存在が、
小生の精神的な支えとなり、何かと暴走傾向にある小生のご意見番にもなって貰える、と確信してのお願いでもありました。

もし、あの時、引き受けて貰えなかったら・・・。

人は、一人では何もできません。
神波先生という存在があったからこそ、
その人柄と信頼があったからこそ、
小生の周りに、
一人、二人と協力を惜しまない仲間が増えていったのです。

この法宴の前に、
加藤関東本部長と小生とで神波先生が眠る高尾霊園に墓参りをしてきました。そして、大好きな日本酒を墓にたっぷりとかけ、“飲んで”貰いました。



その6日後の5月20日は、
日本シナリオ作家協会による「故神波史男さんを偲ぶ会」です。

小生は司会役を仰せつかりました。
世話役の長田紀生氏・小松範任氏・山田耕大・原田総明氏・南木顕生氏たちと打ち合わせを重ねて、この日を迎えました。

会には、佐藤純弥監督や中島貞夫監督、元東映動画会長の泊懋氏や東映社長の岡田祐介氏などが駆けつけて来られ、挨拶をしていただきました。

法宴が進むにつれ、故人と永年の付き合いのある方々の挨拶が続きますが・・・、
案の定、会場の奥のほうの席から酒が入った人々の声が大きくなり、スピーチに耳を傾けようともしない。
案の定、とは・・・このような司会を何度か経験した小生は「この辺りの席の人たちが酒が入ると騒ぎ出しますから、そうしたら、自分は司会者の分をわきまえずに怒鳴るかも知れない」と言っていたのです。
「人が喋っている時は静かに聞きましょう!」
まるで、少年部を叱るように注意!
すると、
なんと長田氏と小松氏の両先輩が騒がしい人たちの席に向かい、スピーチを聞くように説得されていました。
両先輩が、裏方に徹して汗を流されているのは、
“神波史男という敬愛する盟友”を、
この最後の法宴で送る!
との、強い思いの表われだと感じ入りました。

長田氏・小松氏はじめ、世話役の方々は、
下準備などに大変だった上に、本番当日でも、こうして動かれている。
そんな姿を見て、頭が下がる思いでありました。

やがて、会場も静かになり、スチール上映。
これも裏方に徹した原田氏が時間をかけて編集したもの。
神波先生が産声を上げた赤ちゃんの写真から始まり、幼年期〜青年期〜壮年期〜そして逝去されるまでの神波先生の写真が続き、BGMに神波先生が好きだったラテン系の音楽が流れていく。
ラスト近くになり、空手着姿の写真!
小生の中で、なんとも感慨深いものが溢れ出てきました。
エンディングの画像は、
天に向かって大きく両手を広げている姿!

大きな拍手が会場から沸き起こりました。

偲ぶ会の締めの言葉として奥様が、
「神波に恥じないよう、明日から、しっかりと生きてまいります」
と飾り気のない素朴な言葉で語られ、参列した人々の涙を誘っていました。



ここに──、
神波先生が映画芸術誌に連載されていた「流れモノ列伝」の
中から一部を紹介します。
これは、司会進行中でも、小生が朗読させて頂いたものです。

「 繁栄した豊かな経済大国の内側も、どうやらドロドロした腐臭をもらしながら空洞化し始めたわけだ。
95年に起こった酒鬼薔薇事件あたりから始まって、少年犯罪にかかわらず、何やら動機すらあいまいな、ノッペリとした表情の不気味な犯罪が頻発する世の中とあいなった。
一方では神の国とか、IT革命とか、癒しとか、で空洞を埋め、腐臭を正常化しようとしている。

こんな中で、映画は何を描けるのであろうか。

映画の表現者たちにとって困難きわまる状況が到来している。
まっとうな世間からは愉快犯と見られてもいい、痛切な心情、哀切な心情を秘めつつ、大いに面白がってアナーキーな映画を作り続けて貰いたい。

大昔の映画でいえば「どっこい生きてる」でいってほしい。

現在、この国は、おそらく世界に冠たる自殺大国であろう。
だか、陳腐な比喩でいえば、貧乏映画人は、人類滅亡の最後の日まで、ゴキブリのようにしぶとく、生き残る種族であってほしい。

さて、当の“ぼうふら”の私としては、『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』のソンでも聞きながら、安酒くらって、シミジミ荒れるとするか。
いや、私にはすでに、あの陽気な葬列の唄が、よりふさわしいのかも知れない。
Oh, when the saints go marching in. 」



これが、神波先生の絶筆となりました。
♪ オーワンダセン ゴ〜マチニ〜 ♪
最後はルイ・アームストロングのあの渋い唄声、「聖者の行進」のフレーズで締め括られていました。


神波史男先生に、感謝と敬愛を込めて、
押忍!



posted by 井上誠吾 at 11:08| 日記