2013年02月01日

体罰に走る指導者は失格!



前々回に「体罰について」を予告してから、
なんと、次々と各学校・各団体の体罰が発覚し、
今度は、女子柔道の監督までもが暴力行為に及んだとのことで辞意を表明しました。

そこで、急遽、予告した「体罰について」を変更して、
「体罰に走る指導者は失格!」
のタイトルで、以下、ひとり言を陳べていきます。




先ず、柔道は武道である。
柔道だけではない、空手も然りだ。
剣道、弓道、合気道、も然り、
すべて武道である。

武道の指導者は、
指導者、というだけで、
他のスポーツと違った意味で畏敬の念を抱かれている。

体罰に走る必要など、まったくない!
教え子を正面から睨み、
強く叱責するだけで充分である!

体罰に走って、分からせようとするのは、
その指導者に、指導する力量がない証、である!

純粋な心で、
一点の曇りもなく、
熱すぎるほどの情熱で、
教え子と真摯に向き合うことが大切である。
そして、
最後まで、
教え子の成長をあきらめることなく接していけば、
必ず、理解してくれる筈である!

そういう努力もせず、
体罰という暴力に走ってしまうのは、
指導者として、失格の上、
人間として、あまりにも稚拙で愚かすぎる!

あらためて、”すべての武道の指導者“、に言いたい!
仁とは、おもいやり、
義とは、すじみち、
礼とは、うやまい、
この「仁・義・礼」の徳目が大切なんだ!

教え子に対して、
義、という「すじみち」を正しながら、
仁、という「おもいやり」と、
礼、という「うやまい」をもって、
道を指し示し、導いていくのが指導者の務めである!

教え子が強くなって、
優勝したり、金メダルを取ることがすべてなのか?
断じて、そうではない!
強さばかりを追い求めていけば、修羅に行きつく!

若き日の宮本武蔵を見るがいい。
究極の強さを求め、
強いことへの欲望を剥き出しにして、
数多くの剣豪たちと血で血を洗う戦いを続けたものの、
その”修羅の道“の先には・・・、
「真の強さとは、何か?」
という更なる迷いと、
もがき苦しむ煩悩の世界だけが横たわっていた。

武蔵は煩悩という己れ自身との戦いを経て・・・、
晩年に至り、やっと、
「真の強さとは・・・無心の心」
強いとか、弱いとか、勝敗や欲望にとらわれない無の心、
禅(仏)の境地に辿り着く!



と思いつくままに、ひとり言、を書いてみました。
またナガクなりそうですが・・・、
もう少し、お付き合いを願います!

小生思うに・・・、
生徒を自殺に追い込んだ大阪の体罰教師にしろ、
女子選手への暴力行為が判明した柔道監督にしろ、
この二人に共通していることがあります。
それは、
「教え子を強くして優勝へと導き、自分の存在価値を高める」
という欲望です。、

教え子に対して、
「仁・義・礼」をもって接していれば、
今日の結果を招くことはなかったと思っております。

小生は、大会の挨拶の際に、
「優勝することがすべてではない」
とよく口にします。
同じように、オリンピックに対しても、
「メダルを取ることがすべてではない」
大切なのは、
「優勝や金メダルに挑戦していく姿だ」
と思っています。

オリンピックの創立者・クーベルタンは言いました。
「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」
武道の真髄も然り。
「武とは、争うことでなく、戈(ほこ・争い)を止めることにある」

勝つことがすべてではないのです。
血まなこになって勝つことのみに執着する欲望は、
武道の真髄ではないのです!

日本がオリンピックを招致する前に、
日本人が、日本人としての矜持を示すべき時代です。
その矜持とは、日本人が忘れ去った大切なもの、武道です!

武道を通して、
人をうやまい、人をおもいやり、すじみちを通す、
強く、優しい日本人であるべきです!

そこに行きついた日本人なら、
もはや、体罰など不必要、となる筈です!




さて、
今回のようなテーマでは書きたいことが山ほどありますので、
いずれまた書かせて貰います。

最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。
感謝の押忍!


posted by 井上誠吾 at 01:25| 日記