2013年05月23日

お知らせ・ロードショウ公開&LA映画祭&メール



お待たせしました!
映画「リトルウィング 3月の子供たち 」
やっと念願のロードショウ公開が決まりました!

場所・オーディトリウム渋谷
期間・7月27日〜8月16日 午前10時30分〜
時間・朝だけのモーニングロードショウ

劇場は、昨年の9月に先行上映会を行いました、
渋谷ユーロスペースの2Fになります。

道場生は勿論のこと、
このブログをご覧の皆さんも、
是非とも、劇場へ足をお運び下さい。

空手普及の映画です。
強さとは何か? 
優しさとは何か?
日本人が忘れてはならないものが込められています。

東日本大震災チャリティー映画です。
この映画の収益が被災地への義援金として送られます。
“映画を観て頂くという行為”が、そのまま“被災地に義援金を送るという善意”へと繋がっていけるように企画した映画です。

ただ今、予告編を公開中です。
誠真会館のホームページからも予告編が観られるようになっていますので、覗いてみて下さい。

そして、もしよろしかったら、
ツイッターとか、
フェイスブックとか、
あるいは口コミとかで、
皆さんの友人・知人の方々へ広めていって下さい。

皆さんの善意で、
この映画がヒットし、
ロングランになればなるほど、
被災地への義援金が増え続けます。

この映画は、ジャパンフィルムフェスティバルロサンゼルスにて、
特別招待作品として公開されました。
小生は誠真会館の業務から離れるわけにいかず、代わりのスタッフに行ってもらいました。
二日前に、ロスから帰国したスタッフから話を聞いたところ、
評判が良く、泣いているお客さんもおり、新たな映画祭への誘いもあった、とのことで、更なる海外への飛躍も視野に入れております。

また海外への進展がありましたら、ご報告させて頂きます。



さて、最後に、メールです。
ずっと、パソコンが不調で、ノートパソコンから、ブログに載せたりしていましたが・・・、
昨日、コンセントの部分を触ったら、なんと作動しました!

これまで、メールを頂いても返信できませんでしたが、
もう大丈夫です。
ん?・・・大丈夫、だと思います。
いや・・・大丈夫、じゃない場合も、
あるかもしれませんが、
メールが届いていれば、必ず返信します。

いかんせん、触っただけで蘇ったものですから、
また触り返すと、ムスっと固まってしまいそうで、腫れ物に触るような状況であることをご理解下さい。

ちなみに、数日前、
道場生のF森氏が、小生のスマートホンでフェイスブックが出来るようにしてくれたのですが・・・、
まだ要領がつかめず、「いいね!」を押すばかり、
果たして、その「いいね!」も相手に通じているのかさえ判らず、
そしてまた、その「いいね!」の文字が小さく、小生の人差し指で2ミリほどの文字を押しても変化が見えず、
まったくもつて、小生はスマートではなく、
スマートホンを手に困惑しています。

パソコンにしろ、スマートホンにしろ、
なるべく早く使いこなせるよう努力はしていますので、
皆さん、どうか、よろしくお願いします!



posted by 井上誠吾 at 13:14| 日記

2013年05月15日

筑豊もんの絆・決定版




前回、予告しました「筑豊もんの絆」を書きます。

先月の9日は、
ブログに載せる際、すべて消してしまった最悪の日。
あれから一か月以上が過ぎてしまい、大まかな箱書きのメモは手元にあるのですが、文章のディテールがどうしても思い出せません。

あの文章を書きながら、不覚にも涙があふれてきて、これを読む筑豊の人々も同じように涙するだろうな、と感じつつ書いたのですが・・・。
果たして、時が過ぎた今、同様のものが書けるかどうか、自信がありませんが・・・、
心機一転、再度、挑戦してみます。

先ずは、筑豊という町の紹介、からさせて下さい。

昭和35年、写真家の土門拳が、
「筑豊のこどもたち」という写真集を発表しました。

筑豊の町は炭鉱閉山が続き、人々は貧困にあえぎ、食べる物さえ事欠き、痩せ細った「筑豊のこどもたち」が写真集に収められました。

時は、高度経済成長期の真っただ中の日本。
「もはや戦後ではない」といわれて数年が過ぎ、
日本中が好景気へと突入して、豊かさを感じ始めている中、
筑豊の町は、日本経済を石炭産業で支えてきたというのに衰退の一途をたどり、見放された町となっていました。

土門拳が「筑豊のこどもたち」を写真集に収め、大ベストセラーとなったことで、「貧困のどん底にあえぐ筑豊」は日本中の注目を集めました。
小生はまさにその「筑豊のこどもたち」の世代であります。

以下、故郷・筑豊に思いを馳せ・・・ひとり言です。



あれは小学4年生の頃だったと思う。
「こげな伏せだらけのズボン穿きとうないッ」
悪態をついて、おふくろに継ぎはぎだらけのズボンを突き返したことがある。

わんぱく盛りで裏山を駆け回ってはズボンを破いてくるため、おふくろはいつも縫い物に追われていた。

童謡「かあさんの歌」にある、
「♪かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた」
「手袋」をそのまま「ズボン」に置き換えると、あの頃のおふくろの姿と重なってくる。

我が家は男ばかりの三人兄弟。
服はほとんどがお下がりだった。親戚からのお下がりを兄が、兄からのお下がりを自分が、自分からのお下がりを弟が着ていた。
中学生になってから兄は、継ぎはぎのズボンが嫌だったのか、自分で針仕事をしてスボンを作って穿いていた。
それを見たおふくろは、
「あんたは器用やね」
と兄のことを褒めていたが・・・、
今、思えば、その褒め言葉の裏には、
「買うてあげられんで、ごめんね」
との申し訳なさが込められていたのではなかったろうか。

いずれにしても、
「こげな伏せだらけのズボン穿きとうないッ」
おふくろが夜なべして縫ったズボンを・・・酷い息子だ。

ズボンを突き返して、数日後。
学校から帰ると、新品のズボンが机の上に置いてあった。
おふくろが不憫に思ったのだろう、どこからかお金を工面をして買ってくれたものである。
一瞬、嬉しかった。
しかし・・・。

翌日、その新品のズボンを穿いて学校へ行くのだが、
一緒に歩く弟のズボンを見ると、相変わらず継ぎはぎだらけ。
弟だってカッコいいズボンを穿きたい筈である。
それを文句も言わず、悪態もつかず、辛抱している。
我が家には、弟のズボンまで買う余裕はないのだ。それなのに、自分だけ・・・弟に申し訳なかった。
そして、自分が恥ずかしかった。
カッコいいズボンを穿いている自分が、物凄くカッコ悪く、醜い人間に思えてきてた。
翌日・・・、
黙って、継ぎはぎたらけのズボンを穿いて学校へ行った。

「ボロは着てても心は錦」
あの頃は、まだそんな言葉さえ知らなかったなぁ。

それほど我が家は貧しかった。
しかし、おふくろが作る弁当には貧しさを感じなかった。
あの頃、梅干しにタクアンだけの日の丸弁当Wを持ってきたり、弁当を作ってもらえない子供がいたりした。
そんな中、おふくろが作ってくれた弁当には数種類のおかずが入っており、毎日、弁当のフタを開ける瞬間が楽しみであった。
きっと、懸命にやり繰りして弁当を作っていたのであろう。

そのおふくろを今回の上映会に連れてくるか、どうか?
兄と相談した。
おふくろは今、認知症である。
しかし、とても明るく、よくお喋りをする。
そして、誰も彼もが「先生」に見えてしまうらしい。

実は、映画のチラシをおふくろに見せた時、
おふくろはチラシを手に取り、
「リトルウィング製作委員会 井上誠吾・・・誠吾たい」
と息子の誠吾Wだと気がついたのである。
しかし、次の瞬間、
小生を見上げて「ねぇ、先生?」と言う始末。
さらに、
「開催実行委員長 井上禮一郎・・・禮一郎たい」
と読み上げると、
兄を見て「ねぇぉ、先生?」と言う始末。
チラシの活字では、息子たちの顔が浮かぶらしい。

兄と話し合い、おふくろに映画は観せないことにした。
活字の中で、息子たちのことを思い出してくれたことが、
何よりの報告、であったと思っている。

その代り、おふくろの分まで、甥や姪やその子供たちまでもが、裏方として上映会の協力をしてくれた。
この日は、トヨタ九州主催・宮若市の大イベント「スプリングフェスタ2013」 が開催されているのだが・・・。
実は姪の旦那はトヨタ九州の社員で、しかもイベント担当なのである。本来なら、パパが担当しているイベントに行くべきなのだが、なんと、そちらに行かないで、誠吾オジサンのイベントに来てくれたのである。

上映終了後の打ち上げ会で、甥や姪たちに礼を言った。
「それにしても、君らの子供たちは本当にいい子たちだな」
と彼らの子供たちを褒めると、
「婆ちゃんの教えですよ」
と甥が確信ある口調で答えた。

ボケてしまったが・・・・、
孫もひ孫も、婆ちゃんのことを尊敬している。
「よかったな、おふくろ」
と熱いものが込み上げてきた。

熱いものが込み上げる、というと・・・、
二次会でも熱いものが込み上げた。
今回の上映を裏方として様々な形で支えていただいた篠原誠一さん、小川千津子さん、竹本一世さん、の皆さん方が集う席で、
「筑豊から、東京へ出て、頑張っている男♪」
みたいな替え歌を、突然、篠原誠一さんがカラオケで歌いだした。
初めて聞く歌で、しかも、即興の替え歌が、東京へ出た自分の姿と重なって、思わず熱いものが込み上げてしまった。

どうも、我が家は涙もろい。
年のせいか、最近、兄も自分も涙もろくなってきたなぁ・・・。

ひとり言が、ナガクなってきたから、そろそろシメにしたい。

シメは、兄が泣き、不覚にも小生も泣いた舞台挨拶の話。
小生が司会に入る前、
「先ずは、来ていただいたお客さんにお礼を言いたい」
と兄がマイクを手に舞台に立った。
キャパ600席の会場は大勢のお客さんで埋め尽くされている。
今回の上映へ向けて、兄があちこちへと飛びまわり、その行く先々で、お世話になった方々が会場を埋めているのだ。

万感の思いが、兄の中であったのだろう。
挨拶の途中で、感慨無量、言葉が詰まり、涙声になった。
「あとは、弟に代わります」
感謝の言葉を陳べ、小生にバトンタッチをした。

兄弟で泣いてはみっともない。
ましてや、自分が司会進行をやらねばならない。

そもそも、自分は絶対に泣かないぞ、と決めていた。
昨年の、福島チャリティー上映会、では思わず涙が込み上げたが・・・上映会をやるたびに泣いていたのでは話にならない。
今回の使命は、映画を前面に出し、空手演武をしてくれる福本会館の道場生の皆さんや来賓の方を盛り上げること、に専念すること。

結果、無事、泣かずに終わり、
映画の上映へと進行していった。
しかし・・・!
最後にアクシデントが待っていた!

映画の本編が終わり、
スタッフ・キャストのエンドロールが流れ出した時、
客席の照明がついて、エンドロールの映像も音楽も消えてしまったのである!

小生は、そんなことも知らずに、最後のお礼を述べるため、舞台へと向かっていると、
「舞台が明るくなったぞッ」
と血相を変えて、兄貴が飛び出してきた。
会場を見ると、もうすでに3分の1くらいのお客さんが帰ってしまっているではないか!
「映画はまだ終わっていません。最後まで観て下さいッ」
小生の呼びかけにお客さんたちが立ち止ってくれた。
「照明を消して、映像も音楽も流して下さい。そして、最後のテロップまで観て下さい」
懸命の呼びかけに、再びエンドロールと音楽が流れだした。

どうやら、職員の方が勘違いして、会場を明るくしてしまったのである。
映画の作り手側としては、スタッフやキャストのエンドロールを観終わってから、照明を点けて欲しかった。

呼びかけに応じて、お客さんは全員残ってくれ、
『この作品は復興支援チャリティー映画として製作したものです。収益の中から義援金として被災地へ寄付いたします』
との最後のテロップまで観てくれた。

照明が点き・・・、
小生は舞台中央に立った。
会場には、最後まで観ていただいたお客さんが見守っていた。
そして・・・、
舞台の横には、兄の姿があった。
アクシデントに遭遇した弟を、袖膜の陰から、心配そうに見守っているではないか!

その瞬間、
これまでの様々なことが、
走馬灯のように脳裡をよぎっていった。
貧しかった子供の頃の兄から、今そこに立っている年老いた兄まで・・・!

言葉が詰まった。
詰まりながら、お客さんへの感謝の気持ちを述べた。
泣くつもりはなかったが・・・不覚にも泣いてしまった。
兄に、
義姉に、
甥や姪や彼らの子供たちに、
協力してくれた兄の友人たちに、
駆けつけてきた高校時代の友人たちに、
この会場にいるすべての皆さんに、
感謝の気持ちを伝え、深々と頭を下げた。

玄関ホールに出ると、
甥や姪や彼らの子供たちが入口に立って、
「ありがとうございました!」
とお客さんを見送っているではないか。
不覚にも、また泣いてしまった。

何人もの人が握手を求めてきてくれた。
その中の数人の人が、
「兄弟愛を見せてもろうた」
と言った。

そうか・・・。
あの涙は、
兄弟愛、だったのか・・・。
お客さんを見送る年老いた兄の背中を見つめた。

ふと、
継ぎはぎだらけの服を着たガキの頃の兄が、
重なって見えたように感じた。

同時に、
認知症の母、
亡くなった父、
二人の愛情も感じていた。





というわけで、ナガク、シツコクなりましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました!

残念ながら、
今回は、書きながらの涙は出ませんでした。
ということは、前回より、デキが悪いということかも知れません・・・事実、消してしまった文章とは相当に内容が変わってしまいました。
ま、しかし、概ね、自分の感じたことは書きました。
「筑豊もんの絆」
少しでも、筑豊の人たちに届けばと思っております。

宮若市での上映会に関係されたすべての皆さん、
ありがとうございました!

感謝の押忍!









posted by 井上誠吾 at 13:35| 日記

2013年05月04日

「忠」とは「まごころ」について



今回、以前に消してしまった「筑豊もんの絆」を書こうと思っていたのですが・・・、
「忠」についての質問が届きましたので、
「筑豊もんの絆」は次回にさせていただきます。

さて、「忠」についてです。
前回のブログで、神波先生が
「国家への忠に繋がるという理由で猛反発をされた」
と書きましたが、これに対して、
「日本国民である限り、国への忠は必要であり、働いている限りは体制や組織への忠も必要ではないでしょうか?」
との声が届きました。



先ず、小生は右的思想でも、左的思想でもない、ということを前提に以下を述べさせて頂きます。

神波先生は物書きとして「無政府主義的」な思考をお持ちでしたが、こころ根の部分では「人間主義的」な血が流れていた、と推察しております。

その「人間主義的」な観点から、
「忠とは、まごころ、と読み、国はもちろん、体制や組織への忠ではなく、人へのまごころ、という誠真会館の解釈」に対して、「井上クンらしくて良い」と納得されたのです。

もし、「忠」が「忠誠心」の「忠」として解釈したのであれば、大きく見解に差異が生じてしまいます。
人へのまごころ、と捉えたところが肝要なのであります。

そうなれば、質問された中にある「忠」を「まごころ」に置き換えると、ずいぶんと言葉のニュアンスも変わってくるのではないでしょうか。

主権は国民にあります。
時の権力者、もしくは時の権力者が作りあげた国家にはありません。
民主党とか、自民党とか、政権が移行するたびに、時の権力者の都合や思惑で「忠誠」を誓わされるようなことがあっては断じてならないのです。

「忠」については、
上杉家中興の祖・上杉鷹山に倣うべきでしょう。
小生は鷹山公を尊敬してやまず、これまでも何度となく、このブログで書いてきましたが・・・今回もまた懲りずに書かせていただきます。
鷹山公は日本人が誇れる傑出した人物です。
身分制度の厳しい江戸中期の武家社会にありながら「忠」を「まごころ」として、領民に接した、偉大なる人物であります。

鷹山公は、
藩滅亡の危機が迫り、貧困に喘ぐ上杉家に婿養子で入ると、
「母親が赤ん坊に接するかのようにまごころWを持って民に接しなさい」
と領民へのまごころWある政策を貫き通していったのです。
当然、既得権益者の重臣たちからの強烈な反発に遭います。
しかし、それに屈することなく、能力に応じた人材の配置を徹底して、見事に上杉藩の再興を成し遂げるのです。

その根底には、鷹山公の、
「民の幸福は治者の幸福である」
というまごころWがありました。
そして、民にもまた、
「領主に応えて働こう」
というまごころWがありました。

誠真会館の理念である「忠」とは────、
権力者も国民も、
あるいは組織の長も組織の一員も、
同じように共有すべき、
「人へのまごころ」
であります。



以上、質問に答える形で書かせていただきました。
次回は、
「筑豊もんの絆」
を書く予定でおります。
宮若市の皆さん、もう少しお待ちください。
押忍!







posted by 井上誠吾 at 12:11| 日記