2013年05月04日

「忠」とは「まごころ」について



今回、以前に消してしまった「筑豊もんの絆」を書こうと思っていたのですが・・・、
「忠」についての質問が届きましたので、
「筑豊もんの絆」は次回にさせていただきます。

さて、「忠」についてです。
前回のブログで、神波先生が
「国家への忠に繋がるという理由で猛反発をされた」
と書きましたが、これに対して、
「日本国民である限り、国への忠は必要であり、働いている限りは体制や組織への忠も必要ではないでしょうか?」
との声が届きました。



先ず、小生は右的思想でも、左的思想でもない、ということを前提に以下を述べさせて頂きます。

神波先生は物書きとして「無政府主義的」な思考をお持ちでしたが、こころ根の部分では「人間主義的」な血が流れていた、と推察しております。

その「人間主義的」な観点から、
「忠とは、まごころ、と読み、国はもちろん、体制や組織への忠ではなく、人へのまごころ、という誠真会館の解釈」に対して、「井上クンらしくて良い」と納得されたのです。

もし、「忠」が「忠誠心」の「忠」として解釈したのであれば、大きく見解に差異が生じてしまいます。
人へのまごころ、と捉えたところが肝要なのであります。

そうなれば、質問された中にある「忠」を「まごころ」に置き換えると、ずいぶんと言葉のニュアンスも変わってくるのではないでしょうか。

主権は国民にあります。
時の権力者、もしくは時の権力者が作りあげた国家にはありません。
民主党とか、自民党とか、政権が移行するたびに、時の権力者の都合や思惑で「忠誠」を誓わされるようなことがあっては断じてならないのです。

「忠」については、
上杉家中興の祖・上杉鷹山に倣うべきでしょう。
小生は鷹山公を尊敬してやまず、これまでも何度となく、このブログで書いてきましたが・・・今回もまた懲りずに書かせていただきます。
鷹山公は日本人が誇れる傑出した人物です。
身分制度の厳しい江戸中期の武家社会にありながら「忠」を「まごころ」として、領民に接した、偉大なる人物であります。

鷹山公は、
藩滅亡の危機が迫り、貧困に喘ぐ上杉家に婿養子で入ると、
「母親が赤ん坊に接するかのようにまごころWを持って民に接しなさい」
と領民へのまごころWある政策を貫き通していったのです。
当然、既得権益者の重臣たちからの強烈な反発に遭います。
しかし、それに屈することなく、能力に応じた人材の配置を徹底して、見事に上杉藩の再興を成し遂げるのです。

その根底には、鷹山公の、
「民の幸福は治者の幸福である」
というまごころWがありました。
そして、民にもまた、
「領主に応えて働こう」
というまごころWがありました。

誠真会館の理念である「忠」とは────、
権力者も国民も、
あるいは組織の長も組織の一員も、
同じように共有すべき、
「人へのまごころ」
であります。



以上、質問に答える形で書かせていただきました。
次回は、
「筑豊もんの絆」
を書く予定でおります。
宮若市の皆さん、もう少しお待ちください。
押忍!







posted by 井上誠吾 at 12:11| 日記