2014年04月25日

新たな世界への旅立ち



このところ、訃報が続いている。

先週頭にはAプロデューサーのご尊父。
そして、先週末には知人のTさん。
お二人が他界された。

今回もまた故人を偲び、
「新たな世界への旅立ち」
というタイトルで、悼詞ブログを贈りたい。




最初に、Aプロデューサーのご尊父。
奇しくも、小生の母と同じ日にご逝去された。

互いに電話にて「親の死」を報告しあい、それぞれの実家へと帰郷した。

あの日から、10日が過ぎた。
親の死は覚悟していたものの・・・、
いざ、その時を迎えると、
何ともいえない寂寥感に襲われてしまう。

Aプロデューサーも同じ思いであろう。
やがて、
落ち着いたらではあるが・・・、
親を亡くした者同士、
「献杯」
を交わしつつ、
W新たな世界への旅立ちWを見送りたい、と思っている。


続いて、小生と同年代のTさんが他界。
突然、その報せを受けて驚いた。
実は・・・、
6年前に大腸ガンを患い、あちこちに転移していたにもかかわらず、誰にも言わず、隠し続けて来られていた。

例え、体調が悪い時でも、
「元気にしていないと周辺の人々に心配をかけてしまう」
と明るく働いておられた。
そして、
「あの世には金は持っていけない」
と口癖のように言い、金の使い方も美しかった。
もしかして、すでに・・・、
死を覚悟されての言動だったのかも知れない。

昨年の真夏日、体調の悪い中、
映画「リトルウイング 3月の子供たち 」を観にきてくれ、深く感動されていた。
映画関係者でも、空手関係者でもないのに、あちこちに宣伝して頂き、10数枚ものチケットを売って頂いた。

自分の事より、人の事を考える人であった。
人を褒め、称え、そして、人のために奔走する人であった。
天国では・・・、
人の事はもちろん、
少しは、自分の事も褒め、称えてほしい。
合掌!




最近、
他界する人々が続き・・・、
いろいろと自分自身に問いかけている。

誰人たりとも、
地位も、名誉も、財産も、
そして権力も、
あの世には持ってはいけない。

宗教も思想も関係なく、
Wどう生きたかWのW魂Wだけは持っていける!

「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」
どう生きるか、
そのW生きざまWにある。

楽しむことより、
苦しいことのほうが多い人生かもしれない。
しかし、
甘ったれるな!
甘ったれた瞬間から、自分を見失う。

現実から目をそむけず、
恥や、失敗や、中傷を恐れず、
ここ一番の力を発揮して、闘う!
されど、
「我れ以外 みな我が師」
けっして、慢心せず、
自分の弱さ、自分の愚かさを知り、
ありのままの自分で、精一杯に生き抜く!

そして、
W強く、優しく、潔くW
を身につける。

今年で62才。
親父が死んだ年である。
こうして、生かされていることに感謝して、
残る人生、
人に、社会に、
有益な生き方をしよう。
自分のことを勘定に入れず、人のために尽くそう!

つくづく思うようになった。
空手道とは、
人の道であることを!

死は、終結ではなく、
新たな世界への旅立ちである。

ご冥福の祈りを込めて、
小生の周辺で他界された人々のW魂Wに、
お見送りの、押忍!




posted by 井上誠吾 at 11:41| 日記

2014年04月19日

母への悼詞




先週から訃報が続いているが・・・。

4月14日、母が他界した・・・!
90才、大往生であった、と称えてやりたい!





ふりかれば、
上京したての若い頃。

大都会の夕焼け空をよく眺めていた。

眼前に広がる夕焼け空は、
ふるさとの空へと繋がっている・・・。
そう想うだけで、
母の言葉が届いてきた。
「頑張らな、いかんばい!」



あの頃、
携帯電話などはなく、
ふるさとに電話するにも大変だった。
十円玉をいっぱい用意して、
公衆電話ボックスに駆け込んで、
カチャ、カチャ、と十円玉を落としながら、
近況報告をする。
そして、
肝心の悩み事を切り出そうとするのだが、
すでに十円玉は残り少なく、
「大丈夫、元気にしてるから」
と嘘をつく。
母は、電話が切れる寸前に、
「なんかあったら手紙書きんしゃいよ」
との叫び。

それは、何かを察した、母の励ましだった。
W死ぬほど困ったら、手紙でも書こうW
と、少し元気づいた。

電話ボックスから出ると、
見上げる空は茜色に染まっていた。
ふるさとで見てきた、
あの夕焼け空と同じ色だ・・・。

ふるさとの山々を、
大都会のビル群に見立てると、
時空は、
いっきに、
ふるさとへ、と繋がっていった。



あれ以来、
何かあると・・・、
大都会の夕焼け空を眺めるようになっていた。
すると・・・、
母の言葉が届くのだ。
「頑張らな、いかんばい」



おっと、感傷的になりすぎた。
ここらで、母の悪口でもホザいてみるか──。

おふくろ・・・、
それにしても、
あなたの躾は痛かったよ。

悪さをすると、物指しで叩かれ、
反省していないと、ハタキで叩かれ、
抵抗すると、ホウキで叩かれた。
W武器Wが、
物差し、ハタキ、ホウキ、
と重装化していく。

しかし・・・、
あの時代、
あの筑豊で、
男ばかりの悪ガキ三兄弟を育てるには、
それくらい気丈でなければ生きていけなかったんだろう。

甘えを許さず、
強く生きるすべを、
叩き込んでくれたのが・・・、
おふくろ、
あなたである。

おっと、悪口どころか、また褒めてしまった。
ま、いいか。
それほど、母に感謝している、ということである。



そういえば・・・、
いつ頃からだったろう、
悩み事があっても、夕焼け空を見なくなったのは・・・。

母が旅立った今、
夕焼け空を眺める必要はない。
こうして、
母を想うだけで・・・、
すぐそばで見つめてくれているのを感じている。

おふくろ・・・、
育ててくれて、ありがとう!




このたび、供花・弔電を頂戴いたしました、
加藤邦顕関東本部長、
坂谷彦山九州本部長、
各道場責任者一同、
誠真会館本部道場の皆さん、
そして、大樹工業の斎藤社長、
ご丁寧に、ありがとうございました。

感謝を込めて、押忍!




posted by 井上誠吾 at 10:49| 日記

2014年04月09日

南木顕生氏・蟹江敬三氏、への悼詞





先週末、突然、二人の訃報が入った。

最初は、脚本家・南木顕生氏。
死因は急性大動脈解離。49才だった。

続いて、俳優・蟹江敬三氏。
死因は胃がん。69才だった。




南木が、死んだ・・・?
訃報を聞いた時は・・・信じられない半面、仕方ないな、不摂生をしていたんだから・・・、
と納得してしまった。

そして、
「早過ぎるだろ、バカヤロー」
と思わず、胸の内で呟いた。

彼は──、
脚本家の故・神波史男先生(誠真会館 物故特別名誉顧問)の弟子であった。
神波先生に紹介されて以来、20数年の付き合い。
彼が初監督した映画「ニート・オブ・ザ・デッド」の公開へ向けて動いていた最中の死であった。

そして、2年半前には───
映画「リトルウイング 3月の子供たち 」
に企画協力で参加してくれていた。

不躾というか、無作法というか、天の邪鬼というか。
思わず苦笑するほど、困ったヤツであった。

「リトルウイング 3月の子供たち 」は、
当初、小生と彼との共同脚本で進めていたのだが・・・、
何かにつけて方向性が違い、意見やアイデアを出すのではなく、批判や突っかかった物言いばかりするので、
「お前は脚本から離れて、黙って見てろッ」
とホン作りから外した。

喫茶店で打ち合わせをしている時など、
貧乏ゆすりはするし、コーヒーは溢すし、タバコを人の顔に吹きかけるし、ついでに咳も吹きかけるし、周りの客の迷惑も顧みずカン高い声で叫び出すし・・・いやはや困った男で。

そんな奴だから、製作会社だの、芸能事務所だの、劇場だの、あちこちで「出入り禁止」を宣告される始末。

「お前、それで、よく生きていられるな」
同情と皮肉を交えて言うと、
「別にいいじゃん」
とタバコを吹かし、ヤニで汚れた歯を見せながら、不遜に笑う。

実に、可哀そうなヤツだ。

それでも・・・なぜだか、会いたくなり、
「飲もうか?」
というと、どんなに遠くても指定した場所にやってくる。

南木よ・・・。
生きている間、いろんな人たちに嫌われたなぁ。
お前さんほど、人に嫌われたヤツは見たことがないよ。
しかし・・・、
俺は、嫌いじゃなかったぞ。
きっと、お前さんは、
心の奥底に、純粋な気持ちを宿していたにもかかわらず、それを素直に表現することが苦手で、天の邪鬼を演じていただけなんだ。
と、俺一人くらい、お悔やみで褒めてやるか。

今頃、神波先生から、
「来るのが早いよ、バカヤロー」
と言われているんだろう。
ま、天国で、二人して、死ぬほど美味い酒を飲んでくれ!
献杯!





蟹江敬三さんとは、
30数年前、「影の軍団V」というテレビドラマのレギュラー仲間として共演をした。

撮影現場でも、待ち時間でも、食事時間でも、
多くを語らず、静かに佇んでいるのが、蟹江さんであった。
しかし、
演技に入ると一変、
内なる魂を爆発させるようかのようにエネルギーが炸裂!
その演技があまりに魅力的なので、自分の出番がない時は、そっと撮影所のセットに入り、蟹江さんの演技を勉強させて貰ったことが何度もある。

いつでも、どこでも、演技以外は寡黙であった。

もう20年程前になるが・・・。
新宿で、某映画を観たあとだった。
期待外れの映画にガッカリしながら表へ出ると、蟹江さんと出会った。
どうやら、同じ映画を観に来られたようだ。
感想を聞かれたので、面白くない旨を正直に述べると・・・、
「時間ある?」
と蟹江さん。
実は、家の用事があった。
しかし、先輩に言われると・・・しかも蟹江さんにである。
「あります」
と答えるしかない。
すると、
「コーヒーでも飲もううか?」
蟹江さんは感想を聞いたことで、もう映画は観なくてもよい、と判断したのか、近くの喫茶店へと誘ってくれた。

そして、コーヒー一杯で約2時間近く話をした。

あの寡黙な蟹江さんが・・・!
よくぞ、話をしてくれたものである。
あの頃、小生は脚本を書き始めており、そのことを伝えると、細い目をさらに細くして、
「いいじゃない、頑張って」
と何人かの脚本家の名前を出して話が進んだ。

2時間近くも喫茶店に居れば、最後のほうでは会話も途切れるもの・・・。
小生は、とっくに家の用事の時間が過ぎており、
蟹江さんが「そろそろ出ようか」と言い出すのを待っているのだが・・・それが、言わない。

会話が途切れても・・・、
そのW間Wを楽しんでいるかのようにも見えてくる。
小生も、それなら、と用事のことなど忘れて、蟹江さんとの共有時間を楽しんだ。

蟹江さん・・・。
あの時、なぜ、2時間近くも話してくれたんですか?
やがて、自分もあの世に行った時に聞いてみよう。
推測だが、
「面白くない映画を2時間観るより、誰でもいいから面白い話を2時間したほうがいい、と思ったのかなぁ」
ハニカミながら、軽口を叩いてくれそうな気がする。




南木顕生氏、
蟹江敬三氏、
両氏の訃報に接して、
お二人が安らかに眠られることを心から祈っている。

合掌!



r
posted by 井上誠吾 at 09:35| 日記

2014年04月01日

礼義と気迫、そして良い心根!



無事に型の大会が終了!

3月30日の日曜、第三回型試合が無事に終了しました!

幼年部から一般部まで、老若男女188名が静寂な中にも熱い戦いを繰り広げました!
どの戦いも、すべてを出し切った素晴らしい試合でした!

しかし、どうしても一筆加えたい選手たちがいます。
それは、最年少と最年長、の選手たちのことです。

最年少は、4才〜5才の年中の子供たちです。
1学年上の年長の選手たちに戦い挑みました!
つい2・3年前までは、ヨチヨチ歩きで赤ちゃん言葉しか話せなかった子供たちが、型を覚えた上に、大きな声で気合いを出す!

さらに立派なのは、本線で型を間違えなかったことです。
引き分けとなり、主審から別の型を指定され、延長戦では残念ながら間違った選手もいましたが・・・、
途中であきらめることなく、アチコチとオリジナルの技を繰り出しつつも、懸命になって仕切り線に戻ったのは、微笑ましくもあり、立派でありました!

最年長は、70才のM田さんです。
子供や孫と同じ年代の選手たちと戦い交えました!
M田さんは加藤和徳責任者が率いる東伏見の道場生です。
敗れはしましたが、気迫と落ち着きある戦いぶりは、若い選手たちに大きな刺激を与えたことでしょう!

M田さんは、空手は勿論のこと、武道に関心が高く、いろいろと研鑽を重ねられておられます。
また加藤和徳先生に対して、ご自分の孫といっても疑う人がいないほど年が離れているというのに、W空手の師Wとして尊敬の念をもって接しておられます。
これは素晴らしいことです。
小生自身、人生の先輩であるM田さんの真摯な振る舞いには、深く感服し、勉強になっております!



この日は、大葉健二氏と桂野智也氏、お二方がゲストとして観戦をされました。

大葉健二氏は、
昨年と一昨年、と公開されている映画版「宇宙刑事ギャバン」の主役俳優で、小生とは40数年来の友人。というより、映画「リトルウイング」の協力や磨心頑道場を立ち上げてきたW仲間Wという表現のほうが正しいでしょう。
桂野智也氏は、
愛知県豊川市で、学習塾・後成塾を経営されている塾長で、大葉氏から紹介され、W子供の教育Wについて意気投合したお方であります。

試合終了後、小生と加藤邦顕本部長とで、お二人を招き、会食をさせていただきました。

大葉氏には大会等で何回かゲスト参加して頂いていますが・・・
そのたびに、「道場生の礼儀正しい姿勢」を褒めて貰っており、今回も同様の感想を述べられ、武道空手の大切さを実感されていました。

そして、桂野塾長からも大変嬉しい言葉を頂きました。
幼年や低学年の選手たちの実名を挙げられながら、
「その選手たちが、あまりに気迫溢れる素晴らしい戦いをしていたので感動しました」
とのことでした。

さらに、試合終了後の撤収作業に入った時、
「先生たちに言われたわけでもないのに、一人の選手が自主的に周囲のゴミ拾いをしていました」
と仰られました。

桂野塾長は、この光景に感動し、スマホに写真まで撮っておられましたが・・・小生は老眼鏡を忘れてしまっており、少年が下を向いた瞬間の写真なので、同席した加藤本部長も誰だか分りませんでした。
しかし、撤収時間にアリーナ席の大葉氏と桂野塾長の近くにいた少年であることは間違いありません。
いずれ各道場に出向いた際、誰であったのかを確認して、褒めてあげたいと思っています。

この少年に、
「陰徳あれば、必ず陽報あり」
です。
W人知れず良いことをすれば、必ず良いことが自分に返ってくるWという意味です。
しかし、
「良いことをすれば、見返りがあるから、良いことをする」
のではなく、
W良い心根を宿した人には、必ず幸せがやってくるW
と、小生は解釈をしております。

ゴミを拾ってくれた少年よ、
君は、この日の、Wもう一人のチャンピオンWだ!




最後に、
朝早くから試合の準備をして頂いたスタッフ・審判の皆さん、
本当にありがとうございました!

そして、
選手は勿論のこと、
少年部の保護者皆さん、選手の関係者の皆さん、
最後まで、お疲れ様でした!
応援をありがとうございました!

あの日、関係したすべての皆さんに、
感謝の押忍!




v
posted by 井上誠吾 at 12:41| 日記