2014年04月19日

母への悼詞




先週から訃報が続いているが・・・。

4月14日、母が他界した・・・!
90才、大往生であった、と称えてやりたい!





ふりかれば、
上京したての若い頃。

大都会の夕焼け空をよく眺めていた。

眼前に広がる夕焼け空は、
ふるさとの空へと繋がっている・・・。
そう想うだけで、
母の言葉が届いてきた。
「頑張らな、いかんばい!」



あの頃、
携帯電話などはなく、
ふるさとに電話するにも大変だった。
十円玉をいっぱい用意して、
公衆電話ボックスに駆け込んで、
カチャ、カチャ、と十円玉を落としながら、
近況報告をする。
そして、
肝心の悩み事を切り出そうとするのだが、
すでに十円玉は残り少なく、
「大丈夫、元気にしてるから」
と嘘をつく。
母は、電話が切れる寸前に、
「なんかあったら手紙書きんしゃいよ」
との叫び。

それは、何かを察した、母の励ましだった。
W死ぬほど困ったら、手紙でも書こうW
と、少し元気づいた。

電話ボックスから出ると、
見上げる空は茜色に染まっていた。
ふるさとで見てきた、
あの夕焼け空と同じ色だ・・・。

ふるさとの山々を、
大都会のビル群に見立てると、
時空は、
いっきに、
ふるさとへ、と繋がっていった。



あれ以来、
何かあると・・・、
大都会の夕焼け空を眺めるようになっていた。
すると・・・、
母の言葉が届くのだ。
「頑張らな、いかんばい」



おっと、感傷的になりすぎた。
ここらで、母の悪口でもホザいてみるか──。

おふくろ・・・、
それにしても、
あなたの躾は痛かったよ。

悪さをすると、物指しで叩かれ、
反省していないと、ハタキで叩かれ、
抵抗すると、ホウキで叩かれた。
W武器Wが、
物差し、ハタキ、ホウキ、
と重装化していく。

しかし・・・、
あの時代、
あの筑豊で、
男ばかりの悪ガキ三兄弟を育てるには、
それくらい気丈でなければ生きていけなかったんだろう。

甘えを許さず、
強く生きるすべを、
叩き込んでくれたのが・・・、
おふくろ、
あなたである。

おっと、悪口どころか、また褒めてしまった。
ま、いいか。
それほど、母に感謝している、ということである。



そういえば・・・、
いつ頃からだったろう、
悩み事があっても、夕焼け空を見なくなったのは・・・。

母が旅立った今、
夕焼け空を眺める必要はない。
こうして、
母を想うだけで・・・、
すぐそばで見つめてくれているのを感じている。

おふくろ・・・、
育ててくれて、ありがとう!




このたび、供花・弔電を頂戴いたしました、
加藤邦顕関東本部長、
坂谷彦山九州本部長、
各道場責任者一同、
誠真会館本部道場の皆さん、
そして、大樹工業の斎藤社長、
ご丁寧に、ありがとうございました。

感謝を込めて、押忍!




posted by 井上誠吾 at 10:49| 日記