2015年10月24日

北里柴三郎の話




ブログで書く時期を逃してしまうと・・・、
そのまま書きそびれてしまうことが多々ある。

タイトルの
「北里柴三郎の話」
も早く書かなければ、と思いつつ、今日まで延びてしまった。

今年のノーベル医学賞の北里大学名誉教授・大村智氏が、
「尊敬する科学者の一人」
と挙げているのが、近代医学の父・北里柴三郎である。

「北里柴三郎」
どうも一般的に知名度が低いようであるが・・・。

小生は小学4年生頃から伝記本が好きになり、
織田・豊臣・徳川、等の日本の武将から、
リンカーン・エジソン・ガンジー、等の海外の偉人まで、
手当たり次第に読んでいた記憶がある。

その中でも「北里柴三郎」の名前は、
大人になった今でも、否、年老いた今でも、
「とんでもなく偉い人」
と、強烈な印象として残っている。

柴三郎少年は、
幼い頃から、武道に没頭し、学問には興味を示さなかった。
しかし、母親の厳しい躾を受け、W文武両道Wに励み、
やがて、医学の道を志し、ドイツへと渡り、
ジフテリア・破傷風・ペスト・赤痢・コレラ等々を研究し、
数多くの病原菌を発見、治療法を開発している。

小生の中では、
特に「ジフテリア」と「赤痢」に関心が向いてしまう。

実は小生、
小学校の低学年(記憶では2年)の頃、
ジフテリアと赤痢に立て続けに感染して、
隔離病棟に強制入院させられたことがある。

当時も今も、二つも感染する人間など稀であろう。
それでも、赤痢の時は、入院患者が数人ほどいた。
しかし、ジフテリアの時は、
大きな隔離病棟に、患者はたった一人だけの入院となった。

木造二階建ての病棟が三棟ほどあったと記憶している。
母が買い物などで病室を出ると・・・、
誰もいない病棟は、なんともいえない不気味さが漂っていた。
そして、
夕方になると、母が夕食の支度で家に帰っていく。
夕闇に包まれていく病棟は、更なる不気味さが漂い、
怖さ、心細さ、寂しさが増大していった。

小学低学年で、
普通では感染しないジフテリアと赤痢を発症し、
隔離病棟に強制的に入院させられたことは、
W強烈Wな体験として刻印された。

その後、北里柴三郎の伝記本を読み、
「ジフテリア」や「赤痢」の研究をしていたことを知った。
「この人のお陰で助かったんだ・・・」
北里柴三郎が偉人としてW強烈Wに焼きつけられたのは、
子供の頃のW隔離病棟の体験Wゆえかもしれない。

今、あらためて、
大村教授がノーベル医学賞に輝いたことで、
北里柴三郎の偉大さを再確認することができた。

「人のためになること」と大村教授は仰っている。
そして、北里柴三郎は、
「科学者というのは人のためにならなきゃ駄目だ」
と名言を残している。

その名言の背景には、
「人のために動く」
との母親の厳しい躾の中、
武士道のW利他の精神Wが培われたのではないかと推察する。

今日も武道空手の汗を流して、
W利他の精神Wを、
未熟な己れの中に叩きこんでいこう!
押忍!





posted by 井上誠吾 at 12:06| 日記