2015年10月31日

何事もできる、との不屈の精神!



このブログでは、
明治期の偉人・新渡戸稲造のことは常に触れてきた。
しかし、
「北里柴三郎もまたW文武両道Wの人であった」
と、今さらながら感慨深く思っている。

北里柴三郎は、
常に厳格な姿勢で学問に取り組んだことから、
「ドンネル先生」、ドイツ語で「雷(カミナリ)おやじ」
との愛称で門下生から慕われていたようだ。

その辺のところを小生の主観を交え、以下、書いていきたい。

柴三郎少年は、
チャンバラごっこが大好きなガキ大将で、
武の道に没頭していき、軍人になることを夢としていた。

この少年時代に培われたものが、
その後のW仕事Wへの向き合い方に現われている、と思う。

医学の道を志し、ドイツへと渡った柴三郎青年は、
ジフテリアの血清療法をベーリング博士と共同開発した。

その功績により、ベーリング博士は、
第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

なぜ、北里柴三郎が受賞から外されたのか・・・。
当時のノーベル賞に、まだ共同授賞がなかったこと、
そして、東洋人差別という壁があったこと、
この二つが挙げられる、と思う。

その差別観が当時の集合写真に残っている。

ドイツの研究所に入った頃は、後方で小さく写っているが、
「ここで研究ができるだけで幸せだ」
差別など吹き飛ばす青雲の志を胸中に秘めていたであろう。
その後、破傷風の研究成果を残すと・・・、
入所当時とは打って変わって、前列中央で写っている。

そして、すでに世界各国から厚遇で声をかけられていたが、
「日本国民を病苦から救いたい」
世界的学者となりながらもW名利Wに走ることなく帰国する。

三等国で、医療後進国であった日本の研究者が、
破傷風の血清治療の開発で、世界を驚嘆させた上に、
世界各国の誘いを蹴って、日本の国民のために帰国する。
「あっぱれ!」
としかいいようのないW武の道Wに通じる潔い行動である!

しかし、帰国後、困難が続く。

日本人として、世界的な学者を目指しつつ、
世界と肩を並べる研究者を育てようとする志は、
頑固な性格が災いして、孤立を生み出し、その道を阻む。

しかし、そんな北里柴三郎を救ったのが福沢諭吉であった。

福沢諭吉もまたW武の道Wの人であり、
「国を愛する心は、北里柴三郎と重なるところがある」
それゆえに二人の間で深い絆が結ばれたのであろう。

北里柴三郎は、
福沢諭吉の恩義に報いようと、
終生、献身的な努力をしていき、
北里大学、慶応大学医学部の創立へと貢献していく。

北里柴三郎は、
「人に熱と誠があれば、何事でも達成する」
と行き詰った弟子たちを励ましている。

雷(カミナリ)おやじの、
「何事もできる、との不屈の精神」は、
時を経て、
平成の時代となった我々にも、
励ましの言葉となって活き活きと届いてくる。

みんな「できる!」と、不屈の押忍だ!





posted by 井上誠吾 at 13:53| 日記