2016年06月24日

褒めて育てることが正しいのか?



子育ては難しい。
しかし、
「子育てに悩む必要は何もない!」
と小生は思っている。

むしろ、
自らが子育てに悩み、自らが子育てを難しくしている
そのような親御さんをよく見かける。

小生は、
「愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱る」
これだけで充分であり、悩む必要はない、と思っている。

それ以上、親が子供に手を貸して良いものなのか。

もう10数年前の話である。
稽古中に、ぼーっとしている少年部の親御さんが、
「うちの子は褒めたら伸びるタイプです」
と訴えてきたので、
「褒めることは大切ですが、それと同様に厳しさも必要です」
と厳しさの大切さを丁寧に話すと、
少年も親御さんも理解してくれ、稽古を続ける決意をした。
しかし、数か月後・・・。
少年と親御さんが退会届けの用紙を手に、
「空手で教わった厳しさで私立中に挑戦すると言っています」
「まだ空手の厳しさを教えるところまで至っていませんが・・・」
「将来は医者になると言っています。褒めてあげて下さい」
「・・・・・・」
小生は、無言で頷き、退会していく少年と親御さんを見送った。

その後、その子が、私立中に合格した、とは聞いていない。
ましてや、医学部に合格した話など、とんと・・・。

「褒め殺し」という言葉がある。
必要以上の褒め言葉は、人の才能を潰し、堕落させてしまう。

人は皆、何がしかの使命を持って生まれてきている。

要は、
「誰もが、すごい力を持って生まれてきた」
ことに気づかせてやり、
「自分の力を発揮できる」
ように導いていくこと、これが肝心である!

その自分の力が、人によっては、医者なのかもしれない。
あるいは弁護士かも、あるいは官僚かも、あるいは政治家かも、
あるいは・・・と、理想の職業を挙げればきりがないが・・・。

この年になって思う。
子供はなるようになるし、なりたいようになっていく・・・と!

親から言われて動くのではなく、
自分から思わず体が動いてしまう、
そっちの職業のほうに行動せずにいられない。

そうなると、どのような職業でもいい。
その子が、本当にやりたいことであるならば、
その職業で活き活きと素晴らしい力を発揮できるであろう!

無理だ、できない、難しい、と過小評価する必要は一切ない!

当然、理想の職業に就くには、
その職業のことを猛勉強する、という戦いが必要である。

なんの戦いもせずに、
高収入とか、社会的地位とか、それだけを追い求めるようでは、
その職業はますます遠ざかってしまうだろうし、
何より、その子が自信を失ってしまう。

自信を得るには、
己れの嫌なことと向き合って戦うことである!

そうすれば、
すごい力を持って生まれてきたこと、
そして、自分の力を発揮できることに気付くはずである。

そんな自分を信じるからこそ、自信が生まれるのだ!

その自信を得るために、空手の稽古が必要なのである!

まだ書きたいことがあるが・・・この辺で。





posted by 井上誠吾 at 12:35| 日記

2016年06月16日

報道の正義・そして潔さ




舛添東京都知事の辞職が決定した。

このところの舛添報道にはうんざりしていた。

叩かれる材料が続出する舛添さんにも呆れてしまうが、
イジメのように叩き続けるマスコミにも呆れてしまう。

低劣すぎる舛添さんを庇うつもりは一切ないが・・・、
よくまぁ、ここまで寄ってたかって叩き続けたものだ。

「世論が都議会を動かした」
というが、
「先ずは、マスコミが世論を動かした」
そして、
「その世論に対して、都議会が動かざるを得なくなった」
という図式であろう。

マスコミが騒ぐまで、都議会は何をやっていたのやら・・・。
舛添さんの言動と同様、都議会の行動にも首を傾げたくなる。

それにしても、マスコミ報道は偏り過ぎであろう。

以前、このブログで書いたように、
舛添報道の裏で影を潜めている問題がある。
「高市早苗総務相の政治資金不正による刑事告発」
「パナマ文書の公開による各国首脳・関係者の黒い疑惑」
「東京オリンピック誘致による賄賂疑惑」
等々と、これらは、けっしてセコくない問題である。

さらには、
他県の知事の公費利用の疑惑
国会議員たちの公費利用の疑惑
等々と、舛添さんと同様にセコい問題もある。

マスコミは、これらの問題を追及せずに終焉させるのか。
叩きやすい人物だけ叩いて、叩きづらい人物には目を瞑る。
そこには報道陣としての誇りはないのか。

時の権勢に臆することなく
報道の正義
というものを貫き通してほしいものだ。

先週末、
その報道の正義というものを考えさせられる映画を観た。         
「64 ロクヨン」の≪前編≫である。

権力や組織力に屈することのない、
報道の正義が問われる社会派ドラマとなっている。
おそらく、≪後編≫では、
その報道の正義が感動の人間ドラマを生み出すのであろう。

ちなみに、映画「リトルウイング 3月の子供たち 」に、
出演してくれた菜葉菜氏と菅田俊氏も出演しており、
プロデュースしていただいた浅野博貴氏も、
「64 ロクヨン」のプロデューサー陣に名を連ねている。

先々週の昼、劇場に足を運んだら、満員で入場できなかった。
そこで、≪前編≫の最後の公開日である先週末の朝一番に行き、
やっと観ることができた。
それでも、朝一番だというのに、半分ほど客席が埋まっていた。

浅野プロデューサーに映画の感想を伝えると、
「ロクヨンを製作した事で周りから一目置かれるようになった」
との笑い話をしてくれた。

ともあれ、映画「64 ロクヨン」は、
浅野プロデューサー・菜葉菜氏・菅田俊氏、が関わっている
素晴らしい作品である。
まだ≪前編≫も公開している劇場があるらしいので、
時間があれば、ぜひ皆さんにも見てほしい、と願っている。

ああ、またしてもナガクなってしまった。
後半を一気にまとめていきたい。

‶報道の正義は、
映画「ロクヨン」の中でも暗に伝えられているが、
時の権勢に支配された瞬間から、正義は消えてしまう。
庶民の立場に立ってこそ、その力は発揮される!

最後に、舛添さんの話に戻し、タイトルの「潔さ」へと繋げたい。

‶一匹狼だった舛添さんは、
時の権勢から、
‶一匹の野良犬へと放り出された。

自らが撒いた種だから、同情の余地はない。
しかし・・・もし、である。
舛添さんに潔さというものがあれば、違っていた。
つまり、
卑怯じゃない、卑劣じゃない生き方、
そこから出てくる、正直に反省をする、という姿勢があったら、
何も辞職まですることはなかった筈である。

東大を卒業して、
東大の助教授となり、
東京都知事にまでなった人なのに・・・、
昔、お爺ちゃんやお婆ちゃん世代がいってくれた、
潔さ、そして正直に反省をするという、
ごくごく簡単な原点に辿りつかない。

つくづくと、
「強く、優しく、潔い生き方」
武道教育が必要な時代である、と確信する!

今日も、少年部の子供たちと真摯に向き合い、汗を流すぞ!
押忍!





posted by 井上誠吾 at 10:59| 日記

2016年06月08日

子育てが難しい時代A 〜空手道場の果たすべき役目〜



昨日に続き、ブログの更新である。
子育てに戸惑っている保護者の方もおられるので、
早速、続きを書かせて頂くことにする。

小生の悪ガキの犯行が、なぜ母親にバレていたのか?

小生の子供の頃、
昭和30年代という時代は、
バスの運転手さん然り、近所のおじさんやおばさん然り、
みんなの監視の目があり、みんなで子供の教育を担っていた。

悪いことをすれば、すぐに親にバレてしまう繋がりがあった。

今の時代は、
残念ながら、その人間的な繋がりが希薄になっている。

小生は、街中で、野放図に行動する子供を見かけると、
「おい、何やってんだッ」
と注意をしてしまう。
すると、近くにいる母親が、
「この変なおじさん、私の子供に何を言っているの」
と怪しい人間でも見るように睨みつける。

ゆえに最近は、余程のことでなければ声は掛けられない。

実は、この声が掛けられないことに問題がある。

昔、存在した恐いおじさんやおばさんは消えてはいない。
事実、小生の中に熱いほど受け継がれているし、
友人や知人の中にも小生と同様の熱い奴が数多くいる。

しかし、
怪しい人間と勘違いされるのなら、
もう子供に注意なんかできなくなってしまう。

かつて野放図だった小生は、
「この子は、このまま大人になったら、危ない方向に行くぞ」
自分と同じ匂いを感じつつ、残念だが放っておくしかないのだ。

今、子供を叱ることができない、甘く未成熟な親が増えている。
叱れないと、
叱らないの、
その差異に気付かず、
「自由と尊厳を認める寛大な親」
との勘違いも甚だしい認識の上に立って、
叱れないことに甘んじている。

子供に対して、
「愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱る」
ということは、
相当なエネルギーが必要なんだ!

ともあれ、
子育てが難しい時代になった。
もう今の時代に、
近所の恐いおじさんやおばさんの役目は機能しなくなった。

完璧な親はいない。
完璧な子供もいない。
完璧な教育者もいない。
同じように、完璧な空手道場の指導者もいない。

かくいう小生こそが問題児であった。
しかし、
己れの数々の経験から、
「愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱る」
ということを知り、
子供たちが変わる
姿を見てきたことだけは間違いなく、強く自負している!

かつて地域にあった、
‶恐いおじさんやおばさんの役目
を、我々空手道場が担っていかなければならない!

少年部も、保護者の方々も、何か困ったことがあれば、
「先ずは、空手道場の先生に相談する」
ことを薦めたい。

そのためには、
少年部と保護者と指導者、
この三者の信頼関係こそが大切である!

このブログが、
置き去り騒動以来、子育てに迷っている保護者に届き、
少しでも、役立つことができれば幸いである。
押忍!






posted by 井上誠吾 at 12:25| 日記

2016年06月07日

子育てが難しい時代@・・・に思う



第八回関東飛翔選手権大会、無事に終了!
皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとございました!

大会終了後の挨拶で、
「子育てについて」の話をしていましたが、
撤収時間が迫っていたため、
「あとはブログで書きますから見て下さい」
と手短に終わらせて頂きました。

当日の話と重複しますが、
不在だった方々にも内容が伝わるように、
以下、「ですます調」ではなく、「である調」で書き進めます。



‶7才児の置き去り騒動‶
が発生し、子供の躾の難しさが問われている。

少年部保護者の方からも、
「子供がいうことを聞かない場合、どうすれば良いのか?」
との相談を受けていた。

そこで、小生の子供の頃の話をさせて頂く。
小生も、あの大和君と似たようなことをする子供であった。

あれは6・7才の頃。
走るバスの上に石を投げたことがある。
小生の田舎は福岡県筑豊で、炭住の下を西鉄バスが走っており、
「バスの屋根に石を投げたら、どんな音がするんだろう?」
と、通るバスを見下ろすたびに思っていた。

ある日、その好奇心を抑えきれず、石を投げてみた。
ポコーン、と太鼓のような音がして、
「ああ、こんな音なんだ」
と思ったところが、
「なんを投げたとかッ!」
と運転手さんが大変な剣幕で飛び降りてきた。
それを知った母親から、
「なんで、そげんことするとね。こんバカたれがッ!」
と平手で何度も尻を叩かれた。

その母の顔を見上げると、叩きながら泣いていた。

まだある。
今度は、石炭を運ぶトロッコである。
「トロッコの線路に石を置いたら、石はどうなるんだろう?」
と、トロッコが通るたびに思っていた。

そして、ある日。
ついに、その好奇心を満たしてしまう。
トロッコが走ってくるのを見て、線路に小石を置いて、
今度は見つからないように草むらの陰に隠れて、
石がどうなるのか、わくわくして、様子を見ていた。
なんのことはなかった。
小石は無残にも、パーンと砕けて弾き飛ばされた。
ところが、その‶犯行現場‶を近所のおじさんが見ていた。

母親はまた泣きながら、
「このバカたれが、なんで分からんとねッ」
と平手で叩くのだが、手が痛くなったのであろう、
ハタキを取り出して、その柄で叩かれた。

今だったら「虐待」と受け止められてしまうのは間違いない。
しかし、
「あれは、けっして虐待ではない」
と叩かれた本人がそう思っている。

事実、小生には、その荒療治の躾が効果てきめんであった。
悲しむ母の顔を見て、
‶石を投げたり、石を置いたり‶
することは、
「面白そうだけど、悪いこと」
だと知って、それ以来、一切しなくなった。

しかし・・・、
それでも、他の面での小生の悪ガキぶりは続いた。
そのたびに、なぜか知らないが、犯行がバレてしまう。
「悪いことしたらバレるとたい。嘘ついてもバレるとたいッ」
母親は叩く手が痛いから、
平手からハタキ、ハタキからホウキへと持ち替え、
‶武器を高機能化‶しつつ、諭していった。

おかげで、大人になり、
「天網恢恢疎にして漏らさず」
のことわざを知った時、
天道は厳正で、悪いことをした人間には必ず報いがある
とのことを遅れ馳せながら悟る(笑)ことになる。

母親から叩かれたことで、恨んだことなど一度もない。
泣きながら叩く母親の顔を見上げて、
‶愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱っている‶
と子供ながらも本能的に感じ取っていた。

今回の‶置き去り騒動‶について、
「置き去りは虐待です」
「手を挙げることは躾になりません」
「褒めて育てることです」
等々、したり顔でテレビのコメンテイターたちが言っている。

何をいうか、このバカ者ぞろいが!
それは何の問題もない子供に対してだけに通じることだ!

もし、あのコメンテイターたちの子供が、
小生の子供の頃と同じような子供だったら、どうする?
バスに石を投げたり、線路に石をおいたりする悪ガキだったら、
あのように、もっともらしい事を言っていられない。
悪ガキを甘やかしていると、とんでもない結末を迎えてしまう!

つまり、こうだ。
小生みたいな悪ガキに対して、
石をバスに投げつけたとしても、
石をトロッコの線路に置いたとしても、
「よかったね、誰もケガしなくて。もうしてはダメだよ」
とゆるく言われると
「うん」
と返事はするが、反省はしない。
それを、甘い親は反省をしたと思って、その子を褒めるだろう。
小生が悪ガキなら、完全に勘違いをしてしまう!
そして、
「そんなに悪いことじゃないんだ。面白いから隠れてやろう」
と陰で悪いことを繰り返していく。
その挙句が・・・。
やがて、
マンションからペットボトルを通行人に投げつける
道路にコンクリートを置いてバイクを転倒させ死亡させる
と、あのような事件を起こす若者になってしまう!

正直に言おう。
小生は、あの二つの事件が起こった時、
ペットボトルを投げる気持ちも、コンクリートを置く気持ちも、
恐ろしいことに、充分に理解できた。

あの二人の若者は、小生と同じ傾向にある‶悪ガキ‶なのである。

まったく、テレビコメンテイターたちには困ったものだ!

あの‶ペットボトル投げつけ事件‶の犯人に対しても、
あの‶コンクリートを置いて死亡させた事件‶の犯人に対しても、
「どうして、そんなことをするのか、理解に苦しみますね」
と首を傾げながら評論をする。

経験値の少ない人間が、視聴者に向かって、
したり顔で、さも分かったような口を利きながら、
解決策も、対案も何も出さず、不安材料だけを投げかける。

もし、彼らが子供の頃に、
小生と同じように悪いことをして、
親から泣きながら叩かれ、諭され、そして心底から反省する
という経験をしていたならば、
「置き去りは虐待」「手を挙げてはいけない」「褒めて育てる」
などと軽々には言えない筈である。

悪ガキの子育てに悩んでしまっている皆さん、
テレビの無責任なコメンテイターたちに惑わされてはいけない!
親が悩むと、その悩みが別の形で子供に伝染してしまう!

もっと、気楽に子供と本音で向き合えばよいのである!

小生は己れの体験から、
「愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱れば、子供は響く」
「良くないのは、子育てに自信をなくしてしまう事」
そう断言する!

またしても、ナガクなってしまったが・・・、
「空手道場の果たすべき役目」について、
次回,この続きを述べさせて頂く。





posted by 井上誠吾 at 15:30| 日記

2016年06月04日

月刊誌フルコンカラテ & 明日の飛翔大会



このところ所用に追われ、ブログ更新が遅れている。
しかし、なんとしても、
月刊誌「フルコンタクトカラテ マガジン」
の記事だけは書かねばとパソコンに向かっている。

この月刊誌の記事とは、
40年ほど前、「空手バカ一代」「けんか空手極真拳」等々、
数多くの空手映画が製作された。
そのほとんどに出演していた頃の小生・大葉健二・関根大学、
我々3人が「JACと空手」をテーマに、
〃空手映画の裏話〃
を面白おかしく語っている。

さらに、
加藤邦顕本部長の抱負、
加藤和徳東伏見支部長の技の解説、
と二人の記事も掲載されている。

ちなみに、購読して頂いた道場生が、
「館長、けんかばかりされていたんですね」
と笑いながら感想を述べられていた。

今さら、隠すつもりはない。
確かに、けんかや揉め事ばかりを起こす問題児であった。
そのたびに、
なんど後悔と反省を繰り返してきたことか・・・。
そして、
ようやく50才前後になってから、
「人間は、どう生きるべきか」
に目覚めて、誠真会館を立ち上げるに至ったのだ。

小生の過去を知る大葉健二と関根大学が、
その辺を包み隠さず、赤裸々に語ってくれている。

小生の‶若気の至り‶を反面教師にして頂き、
数々の空手映画の裏話を楽しんで貰えれば幸いである。

さて、いよいよ明日は飛翔大会だ。
「飛翔・羽ばたく!」
あれこれと後悔と反省を繰り返してきた小生は、
この「飛翔」という言葉が好きで、大会名とさせて頂いた。

それが、もう八回目の大会となる。

人は、皆それぞれの立場で戦って生きている。
我々‶フルフルコンタクトカラテ‶には、
「痛い・辛い・怖い・苦しい」
これらがあるからこそ、
そして、それらを乗り越えるからこそ、
個々の「成長に繋がっていく」と確信している!

明日の大会では、
道場で培ってきた力を思う存分に発揮して、
大いなる飛翔へと繋げて貰いたい!





posted by 井上誠吾 at 12:15| 日記