2016年09月03日

叱れない親




小生は、
問題のある子供たちを見かけると、
見て見ぬふりができない。

車道を駆け回っている子供がいると
「危ないぞ」と言葉をかけ、
図書館で騒ぎまくっている子供を見かけると
「静かにしろ」と睨みつけ、
スーパーで菓子パンをつまみ食いしている子供を見つけると
「何やってんだ」と叱りつける。

そうやって注意するたびに、
「なんだ、この変なオジさんは?」
と子供たちからは怖がられ、
さらに、親たちからは、
「うちの子供に何の文句があるんですか?!」
と怪訝な目で睨まれた上、子供を庇って逃げ去られてしまう。

問題がある子供たちを注意しているだけなのに、
問題がある危険人物と見なされて、不快さだけが残る。

そもそも子供というものは
駆け回ったり
騒ぎまくったり
つまみ食いしたり
と、様々なかわいい悪事を繰り返すものである。
しかし、それは、時と場所による。
車道なら、本人が事故に遭うし、
図書館なら、人に迷惑をかけるし、
スーパーなら、犯罪者になってしまう。

そんなことにならないよう、叱ることが必要なのである!

本屋には叱らない子育て関連の本が山積みされている。

このような本が売れるとは、つくづく残念な世の中だと思う。

これでは、
「叱らないことが、子育てに最適」
と勘違いしてしまう親が増えても仕方ない。

叱らないで済むような聖人君子な子供など見たことがない!

おそらく、そのような本に限って、
「親の都合で叱るのは良くない」
などと、もっともらしいことが書いてあるのだろう。

小生は、
「親の都合で叱るのは大いに結構!」
と思っている。

そもそも赤ん坊は、自分の都合で泣くことから、始まっている。
「お腹がすいた〜」「おむつ替えて〜」「眠いよう〜」
と何時でも何処でも子供の都合で泣いて育ってきたのである。

それを、
「いつまでも赤ん坊じゃないぞ」
「いつまでも幼稚園じゃないぞ」
「いつまでも小学生じゃないぞ」
と躾と教育をしていくのが親の役目であり、親の都合だ!

社会で自立して力強く生きていくためには、
「辛抱する」
ということが必要不可欠である。

子供とのたうち回る覚悟で向き合って叱る。
つまり、
「愛情を込めて、本音でぶつかり、本音で叱る」
ということが肝心である!

まだまだ書きたいことが山ほどあるが・・・、
いずれまた書かせていただく。

最後に、少年部の子供たちについて。

空手道場に入門させるくらいの親御さんであれば、
上記のような「叱れない親」ではない、と確信している。
しかし・・・、
もし、困ったことがあれば、
親御さんだけで抱えてしまわずに、何なりと相談してほしい!

問題児であった小生ゆえ、応じられることも多々ある!
と自負している。
「待っております」押忍!
















posted by 井上誠吾 at 12:23| 日記