2014年11月21日

筑豊は川筋育ちの大先輩、そして映画界の大スターが逝去された



ついに、この日が・・・、
高倉健さんが逝去された。

何人かの友人から訃報の連絡が入った。
そして、めったに連絡して来ない兄や弟からも、
「高倉健さん、死んだな・・・寂しいね」
と電話を取り合った。

兄や弟と電話を交わしたのは理由がある。
我々にとって、
「高倉健さんは同郷の銀幕の大スター」
だからである。

高倉健さんは、福岡県の香月町出身。
我々三兄弟は、その隣りの木屋瀬町で生まれ、同じ筑豊の遠賀川沿いの町ということから、W銀幕の大スター高倉健Wは、子供の頃から憧れの存在であった。

高校生の頃、
火野葦平原作「花と龍」の映画化で、
「高倉健さんが映画の撮影で筑豊に来ている」
との話が持ち上がった。
居ても立っても居られずに、バイクに乗って筑豊中を駆け回ったが、ついにはロケ隊と遭遇することはなかった。

やがて、小生は上京して、
千葉真一主宰のジャパンアクションクラブに入団。
そして、「けんか空手 極真拳」をはじめとする、
Wけんか空手シリーズWに端役として出演していた頃、当時、ホンダのバイク・750(ナナハン)に乗っていた事から、
東映の殺陣師・H尾さんから、
「おまえ、健さんのバイクの吹き替えやってみるか?」
と声が掛かった。
それが日本映画の大傑作となる、
佐藤純弥監督の「新幹線大爆破」である。

それまで、撮影所で遠くから高倉健さんをお見かけする事はあったが・・・
H尾さんから高倉健さんの控室に案内されて、
「千葉(真一)のところの若いもんで、井上誠吾です」
と紹介されたのである。
あの頃、ジャパンアクションクラブはまだ無名であり、高倉健さんには通じないとの判断から、やんちゃ系のH尾さんは、
「千葉のところの若いもん」
と表現されたのであろう。

すると、なんと、高倉健さんはソファから立ち上がり、
「高倉です」
と微笑んで、軽く頭を下げられた。
W大スター高倉健Wの腰の低さに圧倒され、直立不動で再び挨拶を返すと、
「どうぞ」
と再び微笑んで、ソファへ座るように勧められた。
ほどなく、高倉健さんが好物のコーヒーを出されたが、緊張で味などは覚えてはいなかった。

撮影に入ると、
「高倉健さんは椅子に座らない」
と聞いてはいたが、それを目の当たりにすることになる。
「スタッフが仕事をしている時に休憩するのは申し訳ない」
との理由から椅子には座らないらしい。
実際に、その背筋が伸びた立ち姿を見ていると・・・、
大スターぶったところが微塵もなく、質素で謙虚で、且つ華があり、義理がたく、人情に厚く、礼儀正しく、筋を通す、というスクリーンの中に出てくる男そのものであった。

これが高倉健か・・・とあらためて感動!

約7日間ほど、高倉健さんと共に居た。
W高倉健さんがバイクに乗っているアップシーンを撮ると、その直後に自分がそのバイクに乗って疾走するW
という撮影の繰り返しを何度も行った。
高倉健さんがバイクに跨る時は、常に自分が支えるので、
「ありがとう」
と、その度に微笑みが返ってくる。

W大スター高倉健Wが目の前で微笑んでくれている。
子供の頃から憧れたWあの高倉健Wと仕事をしている。
夢のような興奮が続いた。

吹き替えの撮影も終わりに近づいた、ある日の事。
なんと、
「一緒に寿司でも食べよう」
と高倉健さんから昼食のお誘いを受けたのである。
高倉健さん・監督・小生、そして、あとはプロデューサーとカメラマンだと記憶しているが・・・、
高倉健さんも監督もあまりに静かな昼食で、特上の寿司がのどを通らず、美味しさなど感じない。
今思えば・・・あの時間こそがW贅沢なご馳走Wであった。

撮影が終わったあと、殺陣師のH尾さんから、
「健さんがおまえに何かプレゼントする、と言っていたぞ」
と聞かされた。
「多分、時計じゃないかな」
と他のスタッフも同調していた。

高倉健さんから時計を貰える!

興奮した。
そして、楽しみに待った。
しかし・・・、
待ちに待ったが、何も届かなかった。
おそらく、
「バイクシーン後も、健さんは多忙な撮影日程をこなしており、残る撮影に追われ、失念してしまったのではないか」
とのスタッフの慰めに、納得をした。

充分であった。
子供の頃から憧れてきたあのW高倉健Wが、一時でも俳優の卵である自分に感謝をしてくれた!
ましてや、
「ありがとう」
と何度も微笑みを返して貰った。
こちらこそ「礼儀正しさ・謙虚さ・気配り」といったものを教えていただいた、という感謝の気持ちで一杯であった。

それから、約30年が過ぎた頃─────、
「この企画、早く映画化したほうがいいですよ」
と脚本家の南木顕生が言った。
それは「北から天使がやってくる」という小生の処女作で、
W脱走犯が人命救助をしてしまい、ヒーロー扱いされるW
という内容で、辛口の南木がベタ惚れの脚本であるが・・・、
これまで、某有名監督や某製作会社が乗り出し、準備稿の製本までしているのだが・・・未だに陽の目を見ないシロモノだ。

そんな折、高倉健さんが、
「悪いことをしてきた人間が最後に善いことする、そんな企画の映画をやりたい」
とインタビューで応えていたらしい。
「北から天使がやってくる」はぴったりの企画だ。
そこで南木に、
「実は俺、高倉健さんから、まだプレゼントを貰っていない」
と、くだんのバイク吹き替えの話をして、
「これに主演して頂けたら、俺にとって最高のプレゼントだ」
と、南木に打ち明けた。
そして、南木の協力で「北から天使がやってくる」を高倉健さん用に書き直す方向でいたのだが・・・、
そんな南木も、今年の春、逝ってしまった。

そして、高倉健さんも・・・!

今、思えば、「北から天使がやってくる」を、
W高倉健さん用の企画Wとして未完成でもいいから早く書きあげ、南木と一緒に高倉健さんにお見せしたかった。

企画の実現うんぬんではなく、
時計のプレゼントうんぬんでもなく、
とにかく、高倉健さんに企画書だけを見て貰いたかった。
ただそれだけである。
そうすれば・・・、
あの微笑みを、再び、間近で見られたのだから・・・!

「礼儀正しさ・謙虚さ・気配り」
を教えて頂いた高倉健さんへ、
感謝の合掌!




posted by 井上誠吾 at 12:08| 日記