2008年06月02日

平和と武器 この国のあり方

このところ、クラスター爆弾の報道をよく目にします。

クラスター爆弾とは、空中で爆発し、子弾が数百メートル四方に飛び散り、その3割が不発弾として残り、それを拾った子供や民間人が犠牲になる、という非人道的な爆弾です。

先日、そのクラスター爆弾を全面禁止する国際会議が行われ、参加した110カ国が全会一致で禁止条約案を採択したとの事です。
この国際会議は──、
ノルウェー政府などの主導で始まり、国連の枠外で有志国が独自に軍縮を進めるべく、日本もその一員として参加してきたようです。

本来、このような平和外交の主導の役目は、唯一の被爆国である日本が担うべきだと思うのですが・・・、
日本の自衛隊もクラスター爆弾を所有しており、アメリカ・ロシア・中国の顔色を窺いつつ、ようやく重い腰を上げて、全面禁止へ向けて動き始めたようです。

クラスター爆弾、うんぬんではなく、
人道上、人を殺傷する爆弾そのものがよくないのは自明の理であります!
しかし、隣国の脅威があります。
北朝鮮のような国がある限り、非武装中立論、のような平和ボケしたことは言っていられないのが、今の日本の現状です。

ならば、日本はどうあるべきか?

かつて、刀という武器を持った武士たちは、
「刀を濫用するを非とし、かつ憎み、場合を心得ずして、刀をふるった者は卑怯者である」
と心構えていました。

これは見方を変えれば、平和論である、と小生は思っております。
武器を持つ者こそ、自重し、自戒し、使用を控え、しかし、いざ事があれば、外敵から国民を守る気構えを保つ。
武とは「戈 (ほこ)」を「止める」、
つまり「戦いを止める」ことが「武」であるのです。

人と人が、暴力で解決するのは、違法な行為です。
同じことが、国にも言い換えられます。
国と国が、暴力で解決するのは、違法な行為でなければなりません。

戦争だから、
「人を殺せば英雄」
となるのは、間違った価値観、とせねばならないのです!

武士道では、
刀という武器を持つからには“崇高な人格であること”が求められ、むやみに刀を抜くことを厳しく諌めました。
そんな精神文化を持つ日本人だからこそ、世界に向け、毅然とした態度で平和を主導すべきであります。

そのように、潔く、胆の座った政治家・官僚が現れることを望むばかりです。
しかし現実は、不正、汚職、利権絡みの天下り、と醜い行為を性懲りもなく繰り返す輩どもが跋扈する時代です。

このような時代だからこそ、
日本人は、思想や宗教を飛び越えて、武道・武士道の原点に帰るべきだ、と切に願うのであります。

小生、今日も、子供たちが、強く優しい日本人になることを願いつつ、彼らと共に道場で汗を流します。
押忍!

posted by 井上誠吾 at 09:13| 日記