2021年09月07日

追悼・澤井信一郎監督



先日、69才になった。
しかし、この年になると・・・、
これほど、周りで亡くなっていく人が続出してくるものなのか・・・!

澤井信一郎監督が亡くなった。

松田聖子主演の映画『野菊の墓(1981年)』
薬師丸ひろ子主演の映画『Wの悲劇(1984年)』
の大ヒット映画作品を監督した方である。

小生はテレビの『宇宙刑事シャイダー』で仕事をさせて貰った。

澤井監督の映画『Wの悲劇』の公開直後だったと記憶している。
アイドル女優の薬師丸ひろ子の体当たりの演技と、
ベテラン女優の三田佳子の群を抜く演技が素晴しかった!

その映画を観たあと、
『宇宙刑事シャイダー』の‶黒いサンタ‶役でゲスト出演の話が来た。
担当する監督は澤井信一郎監督であった。

大ヒット中の『Wの悲劇』の映画監督が子供番組の演出を?・・・と首を傾げたが、澤井監督は『宇宙刑事シャイダー』のメイン監督と聞かされた。

何とも言えない戸惑いの中で、撮影に挑んだ。
JACの仲間は澤井監督とは何本も仕事をしており、
「優しい監督だから、大丈夫だよ」
と声を掛けてくれた。
それは、問題児の小生でも大丈夫、と気遣っての声援であった。

しかし、撮影に入ると澤井監督から、
「技巧はいいから、内面から吐き出すんだよ」
との鋭い演出が飛んだ。
「吐き出してんだよ。俺は地声が高くて迫力が出ないから、声を低く作っているんだ」
と怒鳴り返したくなったが・・・耐えた。

ムッとしている小生を察した澤井監督は、
「もっと腹から声を出せないかな。作らなくていいんだよ」
と静かな声だが、恐ろしいほどの圧力を駆けてくる。
「作るのが俳優だろ。俺は悪のサンタクロースを作ってんだ」
と思わず反論しそうになったが、
今、大ヒット中の映画『Wの悲劇』の監督が子供番組を演出してくれているんだから、と自分を戒めた。

それでも、澤井監督はぶつぶつ言うので、
「俺は子供番組でゼニクレージーを演じた時は、監督もスタッフも思う存分にやらせてくれた。澤井、てめぇ、小うるさいよッ」
との叫びを懸命に飲み込み、耐えに耐えて、撮影を続けた。
結果、不完全燃焼のまま、最悪の状態で撮影は終わった。

この監督とは、2度とやりたくない、と思った。
否、会いたくない、と思った。

それから、20数年後、会うことになる。

神波史男先生(創立時の誠真会館顧問・映画『火宅の人』で日本アカデミー最優秀脚本賞)の紹介で、澤井監督たちと草野球をすることになった。

小生は神波先生に「澤井監督はいい奴だから」と強引に誘われ、石神井公園の区立野球場で久々の再開をした。
神波先生が「昔JACで役者をやっていて、今は脚本を書きながら、空手の先生をやっている井上君だ」と紹介すると、澤井監督は笑顔で迎えてくれた。

小生は野球はそれほど得意ではないが・・・、
打てばヒット、守ればアウト、にすることから、
「流石、いい動きをするね」
と澤井監督は褒めてくれた。
さらに周りのメンバーからは、
「井上君、毎回きてくれよ」
との声があがった。

それもその筈、この草野球のチーム名は『半身タイカース』といって、
60才以上のお年寄りチームで、小生が一番若かったのである。

『半身タイカース』
‶下半身は退化しているが野球をやるぞ‶
「半身、退化(タイカ)―ス」
との洒落である。
メンバーは東映の監督・脚本家・助監督・製作、等々のОBたちだ。

試合が終わり、酒を飲むのが、年寄りたちの楽しみらしい。
澤井監督は小生が‶黒いサンタ‶を演じたことなど微かな記憶にしかなく、何となく寂しく思ったが・・・澤井監督はじめ先輩たちとの交流は、実に楽しいものであった。

『半身タイカース』の試合に何度か参加した頃、
小生が「この半身タイカースのチーム名が面白い」と南木顕生(脚本家・監督・小生が製作した映画『リトルウィング3月の子供たち』の企画協力者)と話して、
「悩みを抱えた野球好きの老人たちが、悩みを抱えた野球嫌いな若者たちと、野球対決をする話だ。澤井監督に撮って貰ったら、どう?」
と大いに盛り上がった。

やがて、南木は、
「陽が落ちるシャッター通り商店街と陽が昇るイオン(大型商業施設)の野球対決」
として企画書を書き上げた。

小生は、‶シャッター通り商店街‶と‶イオン‶の対立に置き換えた南木のセンスに大喜びして、エールを送った。

しかし、映画化寸前までいったものの・・・、
南木顕生は49才で亡くなり、企画は宙に浮いたままになった。

その映画を撮って貰いたかったのが、澤井監督だが・・・、
その監督も亡くなってしまった。

小生は、あれもこれもやりたいことが山積しているが・・・、
一緒にやろうと思ってきた人々が、次々と黄泉の国へと旅立ってしまう。

今年は特に・・・
亀石征一郎さん・本郷直樹さん・山岡淳二さん・須田正己さん、そして千葉真一さん、続いて澤井信一郎さん、
皆さんの熱い思いを繋いでいくためにも、頑張らねば、と思う。

しかし、
物忘れはするし、小説を書くのは遅いし、人の名前は忘れるし、
やる気だけは先行しているけど、前途多難(汗)!

ま、しかし、亡くなった皆さん方、
「私はやります。70才からが勝負です!」
天国から見ていてください!







posted by 井上誠吾 at 15:39| 日記