2006年12月11日

ちょっと待った

今度は中学生が自殺をしました。
自殺連鎖です。死ねば楽になると思ってしまうのは、けっして良くない事です。
前号で、『両親の無言の愛──』を予告しましたが、急遽、次号に先送りさせて頂き、今回は、この中学生の自殺について語りたいと思います。

中学生は「絶対生まれ変わってやる。ほんとにごめん」と遺書に書いていたらしいのです。両親がいうには「今月に入ってバスケットボール部のレギュラーを外され、気にしていたようだ」とのこと。この記事を見て、暫し、唖然となりました。

以下、追悼の念を込めて、亡くなった中学生に言葉を送りたいと思います。



自殺した中学生君。

あのね、死者に鞭打つつもりはないけど、ハッキリと言わせて貰うよ。
君は罪作りなことをしてしまったよ。
「絶対生まれ変わってやる」
そう遺書に書き残したようだけど、君の両親はどう思うんだろう。
今度はほかの誰かの子として生まれ変わりたいわけ?

小生にも二人の子供がおります。
その子供たちがもし、同じような遺書を残して自殺したら、小生は自責の念に駆られて生き地獄状態に叩き落されるでしょう。

「ほんとにごめん」
という気持ちがあったのなら、あてつけるような死に方をしてはいけないよ。死ぬくらいの勇気があるんだから、恥ずかしくてもカッコ悪くてもいいじゃないか、どうして両親に相談しなかったんだ。

バスケット部のレギュラーを外されたことを気にしていたようだけど、外されたのは、君一人だけじゃないだろう? 外された人は沢山いる筈だと思うよ。
プロ野球を観てごらんよ。
大衆の面前でピッチャー交代させられてるよ。
「おれはまだ投げれる」
って思ってるのに、屈辱だよね。
でも彼らはその屈辱を乗り越えて、次の登板に向けて頑張ろうとするんだ。
文句も言わずにマウンドを去っていく彼らにはこの瞬間を耐え忍ぶというカッコ良さを感じる。

君もそうさ。外されたら、次に入れるように頑張れば良かったんだよ。
君だって、いきなりレギュラーを獲得したわけじゃないだろう?
レギュラーを勝ち取った時の喜びの大きさは、君が頑張った分の大きさと同じだったと思う。だったら、もっと大きな喜びを得るために、もっと頑張って欲しかったな。

外されたのは君のプライドを傷つけたのかな?
でもね、世の中、いろいろな意味で外された人が数多くいるんだよ。
もし、君が生きていた場合。
君の、その後の人生を語らせて貰うと──
まず高校受験で外されるかも知れない。そして、クラスメートとの恋で外されるかもしれない。大学受験も然り、そして就職も、やがて結婚、出産、子育て、リストラ、定年、再就職、老後・・・。
なんか切なくなってくるね。
生きていたら、君の人生には外される困難ばかりが待っていた。
君は、そのたびに死を考えることになる。
しかし、
この困難は、なにも君だけの問題ではなく、生きていく限り、全員に降りかかってくる宿命という、避けては通れない問題なんだよ。
みんな、同じなんだよ。

君はきっと、プライドある人だった、と推察します。
人間としてプライドを持つことは悪いことではないと思います。
でもね、死を選ぶプライドなんてありません。それはプライドではなく、個人の小さな自惚れです。

「絶対生まれかわってやる」
というけど、生まれ変わって、何かで外されたら、また死ぬのかな?
強く賢い人間に生まれ変わって、外されることなく、エリート街道を邁進していこう、という気概があるのだろうけど、それはそれで、また大変だと思うよ。
エリートであればあるほど、上に行けばいくほど、そのポストなりの苦悩や葛藤や責任は付きまとうんだよ。
君は、その重圧に耐えられるかな?
あのね、小生は、エリートになったからって偉いんじゃない、と思っている。
どういう人が偉いかといえば、『外されても負け続けても、そこから這い上がろうと頑張る人』が、偉い人だと思っています。

君、今、自殺して楽になったかい?
おそらく、後悔しているだろうね、『命』が・・・!
可哀想に、苦しいだろう、辛いだろう、痛いだろう、恐しいだろう。

小生は無宗教だけど、釈迦の宇宙観は信じています。
その釈迦の法話に「自殺したら黒縄地獄へ行き、熱い炎に焼かれ、鉄の刀が林立する地面につき落とされ、鉄の牙をもった犬にくわれ、その苦しみは千年も続く」とある。千年というのは人間界の千年より、もっと永い年月らしい。君の『命』は、その苦しみに堪えていかなければならないんだ。
可哀想に・・・。

仕方ないよ、自ら命を絶ったのだから。
自殺するということは、それほど罪が大きいということです。
永い年月をかけて、自殺したことを心から反省していくしかない。
どうか『命』の苦しみに堪えて下さい。
そうすれば、やがて、君の望み通り、絶対生まれ変わってこれる、と思うよ。
しかし、生まれ変わったら、例え何かで外されるようなことがあっても、もう二度と自ら死を選んではいけないよ。
両親に感謝しながら、自分のできる限界まで挑戦してみるんだ。
その頑張る姿に対して、両親は勿論、周囲の人々が君の奮闘を称えてくれるよ。

人の幸せは地位、名誉、財産だけでは、けっして計れない。
自分の周囲に、自分のことを心から理解し、心配してくれる人が何人いるかどうか、が幸せを計る上で大切なことだと思うよ。

君、今は霊魂となったのだから、小生の言葉が届くよね?
小生は、霊魂とかスピリチュアルとかの世界はよく判らないけど、死後の世界や生まれ代わりの宇宙観的な論理は信じられます。
君は、釈迦の説く永い年月を堪えて、きっと生まれ変わってくる。
そしたら、周囲の人が喜ぶくらいに頑張って生きてみよう!
さっと、いいことがある。
雨になれば晴れる、夜になれば朝がくる、冬になれば春がくる。嫌なことや悪いことのあとには、必ず良いことがやってくる。
そう信じて、生きていこう。
何も難しいことじゃない。みんな、同じなんだ。
同じように、生きて、死んで、を繰り返しているんだ。
だから、今を大切にすべきなんだ。

中学2年までの君の人生と、宇宙に存在する君の魂に。

合掌!



というわけでして、また長文になってしまいました。
亡くなった彼に、小生の思いが届けば嬉しいのですが・・・。

本当に、自殺の連鎖は止めなければいけません。
自殺者が3万人を超えています。見渡せば、困難だらけな世の中です。
しかし、死ねば、この世の苦しみの比ではない『命』が苦しむ無間地獄が待っています。
釈迦のあまたの法話の中に、
「ガンジス川の砂の数ほど生き物はいるが、人として生を受けるのは爪の上に乗る砂ほど稀なこと」
とあります。
それほど、人として生まれてきたことは価値がある、ということだと思います。
ふりかかる困難を弾き飛ばし、生きることを楽しみましょう!
posted by 井上誠吾 at 10:41| 日記