2006年12月21日

物の言い方

ボクサー・亀田興毅が初防衛を果たしました。
記事を見ると、試合後に父と共に号泣した、とあります。
テレビは見ていませんが、バッシングに堪えた二人の美しい“親子光景”がそこにあったのは想像できます。

マスコミは一転「大きく成長!」と彼を誉め称えています。
あれほど、激しくバッシングしていた人々は、どこへ行ったのでしょう?

『勝てば官軍』とはいいますが、
歴史が物語るように、けっして、勝った者が正しい、というものではない、というのは周知の事実です。

確か、前回の試合では、多くの少年たちに観て貰いたい、と2階席か3階席を安く開放したと思いますが、今回はどうだったのでしょうか。 
もし、同じように開放していないのなら、もう少年たちに夢を語るようなことはしないで欲しい。
すでに方向転換して、少年たちの憧れの選手でなく我が道をゆく、というのなら、それはそれで、こちらとしては、哀しい納得をせざる得ないのですが・・・。

小生、思うのですが、
大切なのは、物言い、ではないでしょうか。
彼がもし、記者会見で、
「倒し足るぞ、よぉ見とれや」
と、言うのではなく、
「倒しまっせ。よぉ見ておくなはれや」
と、物言い、を変えるだけで高感度は増し、あれほど酷いバッシングの嵐は巻き起こらなかったのではないでしょうか。

そうすれば、今回の記事の見出しも変わるでしょうね。
「どんなもんじゃい!」
との見出しも、
「どないでっか!」
と愛嬌が込められ、ファンは激増するでしょうね。

あのサル顔は、本来、癒し系だと思います。
それが、ツッパッて、恐持ての振る舞いをするものだから、誤解をされ、サルの師匠の調教の如く、マスコミやスポーツファンに叩かれてしまうのだと思います。

小生は、どうも、
サル顔で、ツッパッた物言いをしている彼を見ていると、
なんだか、サル芝居を観ているようで、可笑しくもあり、切なくもあり、笑いと同情を禁じえないのです。
本来なら、
サルは山里でサルらしい環境を与えれば、サルなりの幸せを感じる筈です。
彼も同様で、20才の若者らしい環境を与えれば、彼なりの幸せを感じるのではないかと思うのです。

その環境を与えてやるのが、バッシングではなく、教育です。

礼節、という、
サルにはマネ出来ない、人間ならではの徳目を彼に教えてやるべきでしょう。
もし、小生が彼の身近にいたとすると、礼節、というものを懇々と言って聞かせるでしょう。

このブログを見た亀田興毅選手や父上殿が、
「へタレブログ書きやがって、いっぺん、文句いうたろか」と会う機会を作っていただければ、幸いです。
ぜひ、会いましょう!
その時は『礼節』の話をナガク、クドク、シツコクしますので、覚悟して下さい。

posted by 井上誠吾 at 13:35| 日記