2009年05月09日

アレもコレも他人のせい?

「あの人せいで失敗してしまった」とか、
「あいつのせいで不幸になってしまった」とか、
人というものは、
ついつい自分のことはさておき、
何かにつけて、他人のせいにしたがるようです。

かくいう小生も、このブログでは、
「政治家が悪い」だの「官僚が悪い」だの、と人のせい、
特に、「公僕」と称される人々に関しては非常に辛辣な言葉を投げかけ、時には毒づいております。

しかし、なんら反省は致しません。
なぜなら、それらは、けっして“愚痴”ではない、と確信しているからです。
期待を込めた「公僕」への進言・諫言であり、
おのれの主張を信じた上での“毒”であるからです。

されど、この進言・諫言というものは、難儀なものがあります。
「諫言は耳に痛し」で、言われたほうにすれば、不愉快さだけが残り、どんなに誠意を込めたつもりでも、否定されるのがオチであります。

小生自身、半生を振り返ると、
立場が上の人に対して、この進言・諫言をしたばかりに、
辛酸をなめさせられた事が多々あります。
我ながら、困ったやつだ、と呆れてしまうほどです。
ま・・・生意気というか、身の程知らずというか、思慮が浅いというか、空気が読めないというか、自業自得、であるのは自覚しております。

しかし、進言・諫言してきたことについては、
忌避されたり、疎外されたり、そのことによって、一時的には孤独になったりもしましたが、何一つとして、後悔はしていません。
悲しいことだけど、悔しいことだけど、そう取られたのなら、
それまでのこと、と納得するしかない。
しかし、見てる人は見ているもので、妙に頑固で偏屈な小生だからこそ、信頼を寄せてくれる人々がおり、今の自分が存在しています。
有難く、幸せなことであります。

それにしても、人の運命とは、どこで左右されるのでしょう。
もしかしたら、他人のせいにして、おのれの不遇を嘆いた瞬間から、始まっているのかも知れません。

確かに、政治が悪い、社会が悪い、世の中が悪い。
右を見ても左を見ても、悪いことだらけの現代社会です。
しかし、それを愚痴にしたところで、良くなるわけではない。

アレもコレも他人のせいにせず、
自分の運命として受け止め、とことん闘い抜いて生きたい。
そう思う日々であります。

実は、そんなことも、武道空手が教えてくれました。
押忍!



posted by 井上誠吾 at 17:04| 日記