2007年01月09日

家族


兄が妹をバラバラに切断して殺害しました。

事件は、それだけではありません。
息子が母を、父が息子を、息子が父を、娘が母を、夫が妻を・・・殺しました。
今年になって、まだ9日しか経っていないのに、
このような事件が、毎日のように報道されています。

肉親が肉親を殺す。
こんなに切なく、虚しく、哀しく、そして悲惨なものはありません。

そこに至る以前には、愛情があった筈です。
少なくとも、生まれたばかりの子を抱いてあやしたこともあっただろうに・・・、
少なくとも、親から玩具のひとつも買って貰ったこともあっただろうに・・・、
少なくとも、互いに愛し合った新婚時代の良い思い出もあっただろうに・・・、

時の流れは、残酷に人を変えてしまいます。
美しい愛から、醜い憎へと。
悲しいかな、世に生きる人々の中には、
どのような良い関係であったとしても、時の流れの中で、
やがては色褪せ、憎悪を生み出し、
破壊の道へと突き進もうとする人がいるものです。

しかし、それで、いいのでしょうか・・・?

愛ゆえに、憎しみが生まれる。
この理屈は、充分に理解できますが、
愛ゆえに、殺意が生じる。
この理屈は、到底、理解できるものではありません。

愛情、
といえば、こんな話があります。

離婚を決意したある夫婦が、
「パパとママは・・・別れることにした」
と、娘に話したところ、
「パパとママは・・・ずっと愛情があったと思う・・・でも今は、愛が取れて、情だけが残ったんだね」
と、娘が言ったという。

素晴らしい!
娘が、両親を愛し、理解し、
そして、両親も娘に愛情を注ぎ、大切に育ててきたからこそ、このような言葉が出てきたのだと思います。

愛は取れても、情だけは残るものです。
親子にしろ、夫婦にしろ、些細なことで、親子喧嘩や夫婦喧嘩に発展することは、よくあることです。
どこの家庭だって、大なり小なり波風が立っているものです。

え? おまえの家庭は波風が立ち過ぎだ、ですって?
そうなんですよ、我が家はいったん口論が始まると、朝まで生テレビ状態で、もの凄い激論に・・・、
あのね、余計なお世話です。

小生、我が家を弁護するわけではありませんが、
多少の波風は、あったほうが良いと思っています。
波風はずっと続くものではありません。
やがて、波も風もおさまり、静かな凪を迎えた時、
前よりも、一層の“絆”を感じるのではないでしょうか。

家庭には、
愛情、もあれば、
愛憎、もあると思います。
家庭の中では、
“愛”と“情”と一緒に、“憎”も渦巻いている、
と思っています。

その“愛”も“情”も“憎”もひっくるめて、家庭というものが存在しているのだと思います。

妹を憎らしい、と思う“瞬間”があって当然です。
同じように、父を、母を、息子を、娘を、妻を、夫を、憎らしい、
と思う“瞬間”があっても当然だと思います。
人間なんですから。

例え、愛、はなくなったとしても、
情、は残してほしい、
人間なんですから。

しかし
“憎”だけは、そう思う“瞬間”だけで充分です。
いつまでも、残して欲しくはありません。
人間なんですから。
忘れる特技も持ち合わせている筈です。

先ほどの離婚した夫婦の話ですが、
あの娘の言葉を借りて、
「パパとママ」を「家庭に」変えると、
「この家庭には、ずっと愛情があったと思う・・・でも今は、
愛が取れて、情も取れて・・・憎だけが残ったんだね」

短編小説の怖いラストみたいになってしまいます。

いつまでも、憎だけを残していては、
その人にとって、
良いことなど何もないのではないでしょうか。

さて、“情”について、
もっと、書きたいことはあるのですが、
長くなりそうなので、この辺で、失礼させて頂きます。

え? 今回は随分とあきらめが早いな、ですって?

実は、このブログは、小生が想像する以上に、多くの方々に読まれているようなのです。

一応、皆さん、社交辞令でしょうが、
メールとか、電話とかを頂き、
「感動しました」とか
「楽しみにしています」とか
「マスコミが報道しないところを突いている」とか
「ひらめ料理を刺身とムニエルの両方で楽しめ、和食もフランス料理も作れるテクニックはおいし過ぎ」とか訳のわからない褒め方もあり、嬉しい限りです。

しかし、皆さん、共通して、
「ナガイ!」
と、仰るのです。

ですから、この辺で失礼します。
あの、ひらめ料理を褒めていただいた方、その後、メールが来ないのですが・・・、
小生の文章に食傷気味なのかな?
それとも、ほかの中華的ブログに浮気中かな?
激辛の批評を待ってますよー。

あ、今、このブログをご覧の、あなたの声、が届きました。
「ナガイ!」

失礼しました!


posted by 井上誠吾 at 16:34| 日記