2007年02月27日

田原総一朗さんに物申す



サブタイトル
井上から敬愛する田原氏への手紙




前略 田原総一朗様

突然のお手紙、失礼とは存じますが、最後まで、お読みいただければ幸いです。
手紙の途中、不適切な言い回し、放送用語に掛かるような表現がございましたら、番組、否、手紙の最後にお詫びを入れさせて頂きますので、ご了承下さいませ。

さて・・・早速、本題に入らせていただきます。
日曜朝のテレビ番組で「武士道精神の復活を謳っている奴は駄目なんだ」みたいな事、仰ったらしいですね。

小生、武士道精神ではなく、
武道精神の推進を謳っているだけに少々気になります。

田原さん、あなたが言うと、影響力ありすぎです。
軽々に言って欲しくなかったなぁ。

いつも、あなたの辛口トークが好きで、番組は見ているんだけど、この日はたまたま前回のブログ『迷い』を書いている最中で見逃してしまったのです。
知人から、聞いた話なんだけど、番組内でチラチラと武士道精神を皮肉っておられたとかで、非常に残念です。

そこで、小生がなぜ、
武士道精神を源とする武道精神を常に掲げるかを話したいと思います。

あ、その前に、軽いタッチのブログが好きな方、
また、ナガク、シツコクなりそうですけど、なるべく簡潔に致しますので、最後まてお付き合い下さい。

え?・・・今、誰と話しているんだ、ですって?
あのね、田原さん、時々、小生は脱線しますけど、ぜーんぜん気にしないで・・・。
は? 気になる?田原さん、あなたも朝まで生テレビで、充分脱線してますから、人のことは気にしないッ。
ハイ、コマーシャル行こう、じゃなく、本題に行こう。

小生が、
なぜ、
武道精神を常に掲げるか、の話です。
田原さんは、
「武士道精神は徳川幕府の後期にサラリーマン化した武士社会を統率するために生まれたもので、日本古来の精神ではない」
と、そのようなことも仰ったそうですね。

そこです。そこを軽々に言って欲しくないのです。

確かに、『武士道』を著した新渡戸稲造でさえ、
明治中期、海外へ出た時、日本人の根本精神とは何か?
と自問したほどですから、
文章化された武士道はなかったのでしょう。
ただし、すでに『葉隠れ』は存在していますよ。
しかし、『葉隠れ』は佐賀藩の内部の出版物であり、
明治のあの時期、全国的規模で『武士道』を表現した出版物は存在していなかったのです。

だからこそ、新渡戸稲造は、
西洋の『騎士道』に対して、
日本には誇るべき『武士道』があるとの思考に至り、
『Bushido The Soul of Japan(武士道)』を著し、
世界的ベストセラーになったのです。
ただし、
新渡戸稲造の純粋な思いとは裏腹に、
世界の読者たちの中には、
日露戦争の勝利の背景には『武士道』の精神があったのではないか、と捉えてしまう人たちがいたのです。
更に、日本が、そのベストセラーとなった本を逆輸入して、
明治政府が軍事的に利用価値ありとして、取り入れてしまったから、武士道本来が持つ精神の歪曲が始まってしまったわけであります。

そんなことはどうでもいいんだよッ!
ですって? 田原さん、怒らない怒らない。

問題は武士道精神で、
今の日本を救えるのか、どうかという事なんです。
田原さん、あなたは、救えない、と仰ったのでしょう?
今、小生が話しているんですから、司会者は割り込まないで聞いて下さい。

続けます。
閣僚が、政治家が、公務員が、
不祥事を連発!
教育委員会が、教師が、
いじめ問題を隠蔽!
親子が、兄妹が、子供同士が、
殺人を犯す!

次から次へと、モラルの欠片もない、信じられない事件や犯罪を生み出しているのが、今の日本です。
この現状を、なんとかしなければいけないのです!

『国家の品格』の著者も言っていますが、
もう、今の大人では浄化できないところまで来ています。
そうかといって、次世代の子供たちに、その“負の遺産”を残すようなことだけは許されません。

こんな時代だからこそ、
子供たちに、
日本古来からあった道徳を、
伝えていかなければならないのです。
何か他に、誇れる道徳・モラルがありますか、田原さん?

あれば、それを声を大にして謳って下さいな。

小生は、
心底から、子供たちの将来を危惧しています。
だからこそ、
武士道を源とした武道の中に、
救いとなる“道徳”、伝承すべき“精神”が、
内在していると言い続けているのです。
空手だけじゃない。
剣道、柔道、弓道等々、
武道精神を探究している専門家が、
各地域の学校に、
土曜だけでも、月一回でもよいから、
指導に出向き、武道を通して、
痛み、苦しみ、辛さ、怖さ、を実体験を通して教え、
人に対する慈しみを教えるべき時なのです。

田原さん、
あなたが武士道精神を批判する気持ちは判ります。
おそらく、当道場の名誉顧問の神波先生が、
「武士道というものは、封建社会の悪しき遺物だから、子供の教育論に持ち込むと矛盾を来たす」
と小生に言われたのと、同じでありましょう。
その後、神波先生はご理解をされ、名誉顧問まで引き受けていただくことになったのですが、
田原さん、詳しくは『武士道精神は悪しき遺物か』のブログと『武道精神と学校教育』のブログを見て下さい。
多少は、ご理解をいただけるかと思います。

小生は、
武士道にある『忠』を“まごころ”と解釈し、
七つの精神支柱として打ち出しています。
『忠』は解釈によっては、
上意下達の権力主義に陥ってしまうから、
“まごころ”と解釈したのです。

『忠』が問題なのです。

その『忠』を、
明治政府が、軍部へ、さらに天皇への忠誠心として、
武士道の精神主義を、軍部の精神主義へと、
歪曲させたのが、大きな過ちだったのであります。
日本政府は
第二次大戦で大敗を喫するまで、
そのことに気がつかず、
若者たちを戦争へと駆り立てていってしまったのです。

田原さん、
この責任は、武士道には、ありませんよ!

あなたは、武士道は日本古来の道徳感ではない、と思っておられるようですが、果たして、そう言いきれますか?

我々の祖先たちは、
日本各地で土地を耕し、それを管理し
妻や子、そして、一族を守ろうと規律を作った。
つまり、自分たちの土地を侵略から守るために、
生きるか死ぬかの戦いをしなければならず、
結束するための規律や約束事が生まれた、
おそらく、それが武士道の元でありましょう。

古より、世界中の人間は、戦いを強いられてきた。
だから、それぞれの土地土地で、宗教や思想が生まれた。

日本の武士道も同じです。
しかし、
世界を見て下さいよ。
宗教の違いで、民族の違いで、思想の違いで、
テロや紛争や戦争が絶えることなく勃発しています。

日本人は、好戦的ですか?
武士道が生まれた日本人は殺戮を好んでいますか?
いませんよ、田原さん!

武士道といえば、
主君への忠誠心で殺戮が許される規律、
と勘違いされる方が沢山いらっしゃいますが、
誤解しないで欲しい!

そもそも、
武の字は、二つの戈(ほこ)を止める、という意味があります。
双方の争いを止めさせるためにあるのです。
武、とは、本来が、平和的な規律を宿しているのです。

『忠』だけです。
この『忠』だけが、権力者に利用されれると、とんでもない悲劇を生んでしまうのです。
田原さん、あなたも映画監督志望だったのだから、『切腹』や『武士道残酷物語』を見ているでしょう。
あれが、『忠』の悲劇なのです。

規律も、規範も、常識も、
歴史という時代の流れの中で変化していきます。

ならば、『忠』の解釈も同じです。
主君への『忠』ではなく、
人への『まごころ』と解釈すれば、
争いの悲劇も止められるのではないでしょうか。

日本各地で、
武士道的な規律が生まれはじめた時代・・・、
この『忠』のための“争い”さえなければ、
それこそ、美しい国だった筈です。

人々の心は、
清らかに澄みきっており、
汚れなく、潔い世界があった、
と小生は、想像できます。
田原さん、
あなたは、どうですか?
小生のように想像できませんか?

日曜の番組では、
「武士は食わねど高楊枝じゃ、飢えるし、やられてしまう」
みたいなことも仰っていたそうですね?

あのね、田原さん。
『武士は食わねど高楊枝』とは、
何も、やせ我慢のことを言っているのではないんですよ。
『例え貧乏でも、空腹でも、お腹いっぱいの気持ちでいよう。
心根のある人は、人としての誇りを汚してはいけない』
そういうことを指しているのです。

同類の諺に、
『渇しても盗泉の水を飲まず』
『鷹は飢えても穂をつまず』
などがあります。
これは、どういうことか?
つまり、
『どんなに苦しくて、困っていても、人としての節度を守り、決して不正な行いをしない』
ということなんです。

今の世の中、
すべての人々に、
そういうことが大切なんだ、
と言って下さいよ、田原さん!

武士道を、
「あんなものは精神論で、政治や経済に持ち込むことなんて下らないナショナリストの発想だ」
などと思ってほしくはない!

武士道精神を、武道精神を正しく理解し、
それを自己の生き様の根幹においている人々は、
間違いなく、平和志向です。
そして、人として慈愛がある!
心根が腐ってはいない!

だから、
武士道精神、武道精神が
今の世の中に必要なのです!

なんか、他にありますか、田原さん?
どうしたら、いいのですか、田原さん?

あなたには、答えがあるようで、実はない。
違いますか?
ジャーナリストとして、
批評、評価、提言、はできるが、
こうすべき、という“実践”は生涯なさらない方でしよう。

小生は、
小さいながらも道場を通じて、
自分の身の丈にあった形で、
真摯に、全力を尽くして、“実践”していますよ。

それとも、田原さん、
都知事に立候補して、“実践”してみせますか?
あなたは分を弁えた方です。
間違っても、立候補はしないでしょう。
そうです。
ジャーナリストとして、
辛口の提言を続けられることが賢明だと思います。

しかし、
今回の、武士道精神の辛口批判は、的を得てはいませんでしたね。
非常に残念であります。
小生、あなたを敬愛しておるのです。
だからこそ、
非礼を承知の上、このような手紙をしたためさせて頂いたのでございます。

おそらく、
もう、充分に、ご理解をいただけたかと存じますので、
この辺で失礼させていただきます。
時節柄、お風邪などひかれぬようお祈り申し上げます。

尚、
番組の中、否、手紙の中で、不適切な発言がありましたら、
ここでお詫び申し上げます。

               井上誠吾 拝


追伸
もし、都知事選に出たら、サプライズですよ。
大喜びしますよ、マスコミは!
小生は、落胆しますけど。



posted by 井上誠吾 at 11:44| 日記