2007年03月02日

千葉総裁・月刊誌『正論』で語る

昨日、発売された月刊誌『正論』で、
千葉真一総裁が、上智大学名誉教授の渡部昇一さんたちと鼎談されています。

内容は、東京裁判を中心に戦前戦後を考察した歴史史観です。
ひとことで言うと、
あの戦争は侵略戦争ではなく、
自衛戦争だったということなのですが、
このブログでは、
とてもではないが、
一つを語れば、それに派生して、
歴史的な深い考察にまで神経を使わなければならないほど、テーマは重く、深く、幅広いものであるゆえ、
小生が、共感し、疑問に思った部分のみを語りたいと思います。

『敗戦の原因を、東京裁判などを通じて「日本は悪い国」だから、戦前の日本は愛さなくてもよい国とされ、伝統的価値観や家族の絆は「悪しき家制度」として否定され、武士道も軍国主義に繋がるものとして排除された』
とあります。
全く、同感であります。

『(戦争においては)たしかに立派でない日本人はいたでしょう。恥ずかしい振る舞いもあったでしょうが、それが日本人のすべてではない。子供たちに立派な日本人のことを教えなくてどうするのか。今の子供たちは、自らを愛し、誇りに思う感覚が欠落している。酷い祖父や酷い父の子孫である自分に価値などあるはずがない、と無意識に自己嫌悪に陥ってしまい。そうなると他人も価値のない存在と同列に思うようになってしまう』
と、これは千葉総裁が語っています。
全く、同感であります。

ほかにも、いくつも共感するものがあるのですが、
それらは上記の二つに集約されますので、省かせて頂き、
疑問に思った部分に移らせていただきます。

『断じて日本は侵略戦争はしておらず、常に受身で自衛戦争をしたのである』
との渡部さんの発言があります。

小生、申し訳ないけど、疑問に思います。
侵略の意図がなければ、朝鮮、中国、台湾などを日本の領土にしなければよかったのでは?
自衛戦争であれば、日本の国土内だけで降りかかる火の粉を払うような戦争に徹すればよかったのでは?

二点、強くそう思うのですが。

ゆえに、千葉総裁の、
『立派でない日本人や恥ずかしい振る舞いもあったが、それが日本人のすべてではない』
に、小生は共感するのです。

途中、渡部さんは、素晴らしいことを語られています。
イギリスの哲学者の言葉を引用し、
『歴史の事実は雨上がりの大気中にある水滴のごとく無数にある。その断片を拾い集めればどれもが事実だが、ある視点からそれらを見ると虹が見える。その虹がその国の歴史というものである。とその哲学者は語っている。つまり、無数にある歴史の事実から、輝く虹を見せることが一国の歴史教育の要諦なのです』
と語られています。
実に、素晴らしい!

小生、先日のブログにも書きましたが、
武士道精神の『忠』を国家権力が歪曲し、利用すると、
若者を戦争に駆り立ててしまう危険性があります。
その『忠』の持つ不条理を『切腹』や『武士道残酷物語』などの映画が見事に描いていますが、
それこそ、それは、無数にある歴史の事実のひとつであり、
実は、武士道精神の中には、伝承すべき“輝く虹となる事実”が数多くあるのです。

武、とは、二つの戈(ほこ)を止める、ということです。
双方の争いを止めさせるためにあるのです。

様々な歴史的事実を肯定し、
宗教、民族、思想の垣根を越えた、
輝く虹となる根本精神が、
武士道を源とする武道には厳然とあります。

皆様、
千葉総裁の鼎談は、
判り易い言葉で、核心を突いています。
ぜひ、月刊誌『正論』を読んで見て下さい。

小生は、上記のように感じましたが、
皆様はどう思われるでしょうか?
よろしければ、感想をメールでいただければ嬉しく思います。


posted by 井上誠吾 at 13:53| 日記