2007年03月05日

やる気


道場の入り口に、
『やる気は誰かがくれるものではない。自分が生み出すもの』と筆文字で書いた拙作を貼っております。

小生自身に言い聞かせているところが多分にあり、
また道場生の皆さんと共に汗を流しながら、互いに“気”を充実させようとの思いを込めて書いたものです。

けっして、押し付けでも説教でもありません。
このようなブログを書いていると、
時々、「勉強になりました」とか「考えさせられました」とかメールや電話や言葉をかけられるのですが、そのつど、大変うれしく、大変ありがたく思っております。
特に、あえて言わせていただきますと、
「感動しました」
とのメールや言葉をいただいたりすると、
「よし、頑張ろう」
と単細胞の小生は、俄然、やる気が出でくるのあります。

それは、おそらく、
小生自身が、夢半ば、目標半ば、であり、
勉強中だったり、思案中だったり、しておるわけでして、
勉強になったとか、考えさせられた、とかの言葉は、ありがたすぎて、むしろ恐縮してしまうのでしょう。
その反面、
人によろこんで貰いたい、という気持ちは職業柄か強烈に持ち合わせており、感動されると、こっちの精神までもが高揚してしまうのだと思います。

ともあれ、すべては、
やる気の“気”だと思っております。
その一瞬の“気”のゆるみが、
勝敗を分け、運命を分け、生死を分けたりするものです。

気合を込めれば、心が響きます。
心が響けば、魂が燃えます。
魂が燃えれば、生きる勇気が沸いてきます。

勇気にも、いろいろあります。
挑む勇気、
頑張る勇気、
逃げない勇気、
辛抱する勇気、
行動する勇気、
などなど、人や場所や状況により、
勇気の質も変わっては来るでしょうが、
たとえ、どんな小さな勇気でも、感動はあります。

小生は、少年部から、よく感動を貰っています。
思うように蹴り技が出来なくて、泣いた子。
スパーリングでケガをして、泣いた子。
稽古が辛くて、泣いた子。
そんな子たちが、
自ら、変わろう、変えていこう、とする瞬間があります!
そこに、感動が生まれるのです。

大人にしたら、何でもないことでも、
子供にしてみれば、大きな壁であることが多々あります。
しかし、大人が、その壁を取り払ったり、階段を付けてやったりしては何の意味もありません。
大人は、見守り、言葉をかけてやるしかない。
子供には、
壁を乗り越える“勇気”があること、
そのためには“やる気”を出させてやること、
さらに、壁を乗り越え、自信を掴み取らせてやること、
が大切だと思っております。

小生が教育問題を取り上げる理由はそこなのです。
子供に“やる気”を出させ、活き活きさせてやることが大切なのです。

学校の、
答案用紙の問題には、決まった答えしかありません。
しかし、
果たして、
それが良いかどうかは、
小生は疑問に思っております。

小生が高校の時、
社会の期末テストで、まったく勉強していなかったところが出題され、虫食い状態で提出するより、むしろ白紙で提出したほうが良いと思い、白紙で提出しました。
ただし、
自分の名前の横に『裏をお読み下さい』と書いておきました。
その結果、点数は80点でした。
実は、
答案用紙の裏に、出題された項目をテーマにして、社会とは関係ない作文をびっしりと書いていたからです。
その先生は、国語も担当されていたからかもしれませんが、『次回からは、社会の勉強もするように』と点数の横に書いてありました。

うれしかったです。
その先生の懐の大きい心配りに感動しました。
おそらく、苦笑しつつ、「頼むよ、国語のテストじゃないんだから」と、つぶやきながら点数をつけられたのではないか、と推測しております。

しかし、
学校とは、本来、そういう場所であってほしいものです。

例え、答えが決まっていても、
答えどおりに、生きていける人など誰もいない。
ありとあらゆる障害や壁が必ずくるのだから、
それに立ち向かうには、
決まった答えなど、ある筈もなく、
要は、
やる気を出して、
勇気を抱いて、
突き進んでいくしかない!

それを教えるのが、学校だと思うのですが・・・。

残念ながら、学校には、
テストに象徴されるように、明確な答えがある。
その明確とされている答えだって、
歴史が見直されたり、
物理学で新発見があったりすれば、
明確とはいえなくなる。
ならば、
謙虚に真摯に、
共に学んでいく姿勢が大事なのではないか!
と思うのであります。

冒頭に書きましたが、
小生、このブログで、押し付けや説教があっては絶対にいけないと、常に自戒しております。
学校のテストと違って、
武道には明確な答えなどありません。
小生自身が、
勉強の身、修行の身、なのであります。

ゆえに、
我々誠真会館の武道には、上意下達がないのです。
『忠』とは、まごころ、です。
指導部層への“忠誠”ではなく、
すべての人へ“まごころ”を尽くす意味であります。

小生自身、
上から物を言う偉そうな輩が大嫌いであります。

吉田松陰の足元にも及びませんが、
「世の中、こうあるべきだ」
との理想は頑固に持っております。
松陰自身、
松下村塾の塾長でありながらも、
誰が塾長で、誰が塾生か判らないほどに、
塾生たちと激論を交わしていたらしいのですが、
素晴らしい!
誠真会館も、そうありたいものです。

このブログで、小生の理想は常に語りかけているつもりです。
「勉強になりました」「考えさせられました」、
さらに「感動しました」等々のお言葉は、
心底からうれしく、これからも沢山いただけたら、
益々、やる気が沸き起こっていきます。
しかし、
時には、
「こういう考えもありますよ」
との、叱咤激励のお言葉もいただければ、
小生自身が、勉強になります。

どうか、
これからも、沢山のお言葉をいただければ、
大変うれしく思います!

小生自身、やる気を込めて、
押忍!
posted by 井上誠吾 at 11:42| 日記