2007年05月15日

荒れた子供たち

先日、電車に乗っていた時のことです。
ある停車駅から、中学2〜3年くらいの女の子四人が大声で喋りながらドカドカと乗り込んできました。
小生、反対側の乗降口に立っていたのですが、その騒がしさに思わず振り返りました。

すると、彼女たちが、三人分しか空いていない席に四人一緒に無理矢理に座ろうとしているところでした。
それまで静かだった車内は、一変!
彼女たちの騒音に近い話し声に占領され、
しかも、「○○ムカつく〜」とか「○○ウザくね」とか、友達の悪口が止めどなく出てくるのです。
周囲の人は我関せず、見て見ぬふりで平静を装っています。

やがて、何かの話題で、四人一緒にドッと笑った時、
小生が「静かにしろッ!」と、声には出さず、そのような勢いでサッと振り返って睨みつけたものだから、
一瞬、ナニ? アタシたち、ナンか悪いことでもした?
と、顔を見合わせて、静かになりました。
しかし、小生が窓外に目を戻すと、再び、友達の悪口が復活し、だんだんと声のトーンも上がっていく始末です。

小生、余程、声に出して叱ろうと思ったのですが、目的地の駅に着いたので、無言で電車を降りることにしました。
すると、ホームに降りた小生の背中に女の子たちの大きな笑い声が届きました。
小生を笑ったのか、友達を笑ったのか定かではありませんが、あのあと、彼女たちの会話がさらに過激になっていったのは想像に難くないでしょう。

それにしても、ごく普通の女子中学生たちが、周囲の迷惑顧みず、乱暴で下品な言い回しで友達の悪口で盛り上がっていく様は見るに堪えないものがありました。

子供たちの心がすさんでしまったのは、間違いなく大人社会に問題があります。
それは、家庭や親、学校や地域社会、あるいは国の教育問題、と多岐に渡って広がっていくでしょう。
しかし、いずれにせよ、身近な大人たちが責任を持って、子供たちに善悪のケジメをしっかりと教えてやるべきです。

この子供たちのために何とかしたい、という“親心”さえあれば、子供たちはその“慈愛”に触れることで、立ち直っていく糸口が見えてくるのではないでしょうか。

今、反省しています。
あの時、電車を降りずに、あの女子中学生たちに“親心”を持って話しかけていればよかった、と・・・。
しかし、こう言われたかも知れませんね。
「オヤジ、キモい」

精進せねば、押忍!



posted by 井上誠吾 at 10:53| 日記