2010年09月03日

友だちを守れなかったから死にます

今年の6月、川崎市の中学3年の男子生徒が、
「いじめられている友人を守れなかった」
と遺書を残して自殺しました。

小生、この新聞記事を見た時、
そうかな・・・「守れなかった」だけじゃなく、ほかに何か理由があるのではないだろうか、と疑問に思い、ずっと最近まで心の片隅に残っていたのですが・・・。

先週末の記事に──、
同級生4人が男子生徒の肩を殴ったり無理やりパンツを脱がせたり、「死ね」「きもい」などと言われ、自殺した生徒自身もいじめの対象になっていた、と認定した。さらに担任教諭が、4人がいじめているのを見たり、他の生徒から報告を受けていたのに、上司に報告せず「学校全体の問題として対処しなかった」と認めている。
いじめを行った男子生徒4人のうち、3人を書類送検。一人を非行事実で児童相談所に通告した。

「守れなかった」じゃなく、
どうやら、自殺した本人もいじめられていたようです。
それで、心の片隅に残っていた疑問が解けました。

小生は、空手を通して子供たちに、
「いじめられている友だちを助けるくらいになりなさい!」
と、常々言ってきました。
そのせいでしょう。先日、
「空手は何のために習っているんだ?」
と、質問すると、
「いじめられている友だちを助けるため」
と、何人かの子供たちが答えました。

これでは、
“友だちを守れなくて自殺した男子生徒”
と同じような状況に陥りかねません。
「自分が強くもないのに、いじめられている友だちを助ける必要なんかない!」
と語気を強めると、何人かの子供たちは「友だちを助ける」と言えば、先生が褒めてくれると思っていたのに、なんで怒っているんだろう、と思ったことでしょう。

小生、語気を和らげ、
「自分が強くなるんだよ。いじめられている友だちを助けたことで、逆に自分がいじめられるようになったとしても、辛抱して、耐えられる自分になるんだよ。それくらい強くなれ、と言ってるんだぞ」
と、言葉を補足しました。

「いじめられている友だちを助ける“くらい”」
「いじめられている友だちを助ける“ため”」
この“くらい”と“ため”では、随分と意味合いが違ってきます。

先日は時間がなく、途中で切り上げましたが、
今日の稽古では、その違いも含め、子供たちと”いじめ”について、向き合ってみたいと思っています。

さて、小生はこのブログで、
自殺した子供たちには“死者に鞭打つ”ような厳しい言葉を吐き続けてきました。
今回も同じです。
以下、自殺した川崎市の男子生徒・・・君に物申します。





「いじめられている友人を守れず」に自殺した君へ

天国にいる・・・、
否、地獄にいる君。
自殺をした人の魂は、“黒縄地獄”に落ちるという。
釈迦の宇宙観では「自殺した人の“命”は、この世では考えられない苦しみに堪えていかなければならない」らしい。
おそらく、君の“命”は、その地獄の中でもがき苦しんでいることだろう。
「友たちを守れなくて自殺したんじゃない」
「いじめから逃げたかったから自殺したんです」
と!

君が「守れなかった友だち」は、
君に、そんな遺書を残され、自殺されて、
これから、どんな思いで生きていくんだろう・・・。

君・・・、
君は、死ぬべきではなかった。
“死ぬほどの勇気”を、
“4人の悪ガキと闘う勇気”へと、
変えるべきだったと思うよ。
それも、一人じゃない。
いじめられていた友だちがいるじゃないか。
彼と一緒に闘うべきだったんだ。

今、気がついたかな・・・地獄の苦しみの中で。

可哀そうに・・・心底から気の毒に思うよ。
仕方ない・・・自分が選んだ道なんだから、逃れようのない苦しみに耐え続けるしかない。
千年経っても出られないという地獄の苦しみを経るしかない。

そして、気の遠くなるような永い年月を経て、
また、人間として生まれ変わってきたら、
今度こそ、どんなに辛くでも、逃げずに闘うことだ!
死ぬほどの勇気があれば、
その勇気を、生きる力に変えて、
人生を闘い抜くことができる筈だから!

合掌!

posted by 井上誠吾 at 11:48| 日記