2012年10月26日

躾と体罰、そして虐待!


最近、また報告ばかりが続いていましたが・・・、
今日は報告ではありません。
10月に入り、母親による子供殺人事件が連続していた件について、ずっと書きたいことがあったので、
以下、ひとり言を勝手に述べさせていただきます。



事件の一つ、母親が小5の娘を練習用ゴルフクラブで30分も殴り続け死亡させた事件には唖然となった!
どうやら、虐待が日常化していたとみられ、古いあざが衣服に隠れる部分に集中しており、さらに祖母も以前から虐待に関与していたらしい。

児童相談所が小5の娘に聞き取りをして、
「おばあちゃんにホウキで叩かれた」
と陳べたことから、祖母の虐待も発覚したらしい。
しかし、祖母は「躾のための体罰だ」と反論したという。
子供時代に暴力を受けて育った親が、わが子にも手を上げる
“虐待の連鎖”を指摘する専門家の声もある。

50年以上前になるが・・・、
小生も子供の頃に、母親からよくホウキで叩かれた。
別に母親を弁護するわけではないが、あれは虐待ではなく、
躾だったと思っている。
父親からは叩かれた記憶はないが、母親からは物心ついた頃から、叩かれていた記憶がある。
但し、父親がいる前で叩かれた記憶がない。おそらく母親は、夫の留守中に子供の躾を一身に背負って奮闘していたのであろう。

幼い頃は手で叩かれていたが、小学生になると裁縫で使う物差しで叩かれるようになった。
その物指しが、小学3・4年生になるとハタキという“武器”に変わり、5・6年生になるとホウキへとバージョンアップしていくのだから、たまらない。
こうなると、叩かれる子供の目から見ると、“武器”ではなく、もはや “兵器”である。

それでも、あれは虐待ではなく、躾だったと思っている。
もし、あの頃の我が家にゴルフクラブがあったら、母はそれを使っていただろうか・・・否、せいぜいホウキが“最終兵器”であろう。
母親は150センチほどの小さな体。体格差がないくらい大きくなった5.・6年生の息子を躾けるには、ホウキに頼るしかなかったと思う。

我が家は男ばかりの三兄弟。皆んな母からよく叩かれた。
しかし、そんな母も孫が生まれると変わった。
兄貴が躾のために子供を叩いた時、
「あんた、なんで、子供を叩くとね」
と目の色変えて、孫を庇ったらしい。
まったく、さんざん息子たちをホウキで叩いておきながら、いくら孫が可愛いからといって、その豹変ぶりはない。
「ホウキで叩いて躾をしたとは、おふくろやないな」
と言ってやった、と兄貴は笑いながら語っていた。

小生もまた、二人の息子を躾で叩いた事がある。
これは近頃の専門家がいう「子供時代に暴力を受けて育った親が、わが子にも手を上げる」“虐待の連鎖”であろうか。

そうは思わない。
されど「躾のための体罰だ」と事件を起こした祖母のように開き直りはしない。そもそもどこまでが躾で、どこからが体罰か、その線引きが難しい。
ただし、子供にゴツンとやりながら、これは体罰だ、などと思ったことは断じてない。あのゴツンはあくまでも躾であり、体罰ではない、と捉えている。

母はどう思っているのか・・・?
それを母に尋ねようにも、母は今、認知症である。
数え年・90、母の齢だ。
故郷の九州へ帰るたびに会っているが・・・、
150センチぼとの体はますます小さくなり、小学低学年の児童と変わらないほどに小さくなっており、ホウキを振り上げる力さえも失っている。
しかし、目は幼女のように輝いており、よくまぁ喋る。
息子の名前から嫁の名前から孫の名前からひ孫の名前から、ごちゃ混ぜになり、何やら創作話めいたことを次から次へと語る姿は、まるで自分の人生を振り返り、息子や嫁や孫やひ孫たちに囲まれて“幸せだった”、と感じているのではないだろうか・・・と思う。

そんな母の名誉のためにも、あれは、“虐待”、でもないし、
“体罰”、でもない、と断言したい。

今、こうして、50年前の遠い記憶を辿ると、
母は、ホウキで叩きながら、
「なんで、分からんとね。なんで、なんでッ」
と泣きながら叩いていたのだ。

時が過ぎ、
自分が親になり、
やっと分かることがある。
あれは、“厳しい躾”、だった・・・と!
それも、“愛あるゆえの躾”、だった・・・と!



思うがままに書いてみましたが、少年部の保護者の皆さん、
誤解のないように、少年部にはゴツンとやったことは一度もありません。
そもそも、道場では、やる必要がないのです。
空手の先生、ということだけで、恐いという印象があるのか、子供たちは我々のいうことを聞こうとします。
ちょっと睨んだだけで、ビクッと凍りつく子供もいます。
常に、集中力を強いられ、張り詰めた空気が漂っています。
道場に通う子供たちは、そんな状況の中で、痛い、辛い、恐い、苦しい、思いをしながら、稽古に励んでいるのです。
その厳しさは見ているだけでは分かりません。
少年部の保護者が入門すると、
「子供はこんなに苦しい稽古をしていたんですね」
と初めて、痛い、辛い、恐い、苦しい、思いを体験し、入門した保護者の全員が一様に我が子の頑張りを心底から理解するのです。

子供たちは空手を通して、懸命に自分と闘っています。
道場の稽古から帰ったり、
大会の試合から帰った際には、
結果うんぬんではなく、
「よく頑張った」
とスキンシップしてあげて下さい。
その慈愛こそが、最高の躾の源、であるに違いありません。


またナガクなりました。
最後まで読んでいただき、感謝です。
押忍!
posted by 井上誠吾 at 11:48| 日記