2013年04月25日

神波史男先生の一周忌墓参会




神波史男先生が亡くなり、一年が過ぎました。
20日(土)に一周忌墓参会へ行ってきました。

脚本家・神波史男先生のお弟子さん、
仲間の脚本家・映画監督の方々と共に、
神波先生の奥様・節子さんを囲んで、
神波先生を偲びました。

個人的には、脚本家の大先輩として、
空手に関しては、誠真会館の創立時からの顧問として、
いろいろと神波先生にはお世話になりました。

まだ亡くなったという実感が薄く、
「今晩、どうですか?」
と電話をすれば、
「いいね、飲もうか?」
と、今でも声が返ってきそうな日々です。

酔うと、
「バーロー(馬鹿野郎)」
とお弟子さんたちを叱っていましたが、
その目は、けっして怒ってはいなかった。
やさしさにあふれていました。

人を叱ることはあっても、
人を恨んだり、憎んだりすることはなかった。
仕事であり、人間関係であり、何か支障を来たすようなことがあったりすると、
「俺がいけないんだよ」
と、けっして他人を責めず、
自分の力不足や至らなさにこそ原因がある、と己れを責める方でした。

東大卒で日本アカデミー最優秀脚本賞受賞者。
素晴らしい作品と功績を映画会に残しながら、
偉そうな態度などいっさい見せず、
むしろ、
「俺はダメな人間だよ」
と自虐的なまでに自己否定をする方でした。

墓参会でW神波談義Wに入ると、
小生より年上の監督たちが、
「もう、俺たちの周りには、バーロー(馬鹿野郎)と叱ってくれる人がいなくなったなぁ」
と日本酒を片手にしみじみと語っていました。

そういえば・・・、
神波先生と知り合ってから、40年近くにもなりますが、
「バーロー(馬鹿野郎)」
と叱られた記憶がない。
「年上の監督たちが叱られたというのに・・・どうして、自分には叱ってくれなかったんだろう?」
思わず、会席に飾ってある遺影を見つめた。
すると、ほろ酔いの懐かしい声で、
「井上クンのような小うるさい奴は褒めて育てるのが一番」
と聞こえてきたような気がした。


神波先生は、
映画作品や雑誌等に寄稿した映画評論において、
「堕落や破滅」、「本能丸出しの肉体的暴力の賛美」、「虚無でアナーキーな世界観」等々を表現されてきてはいますが・・・、
小生は、まったく真逆な方、だと捉えています。

シャイで正直で謙虚すぎるW方でした。
推測するに・・・、
自分の中にある、そんな気真面目さWが小ッ恥ずかしく、
無頼派的なものを気取っていた、と思っています。

物書きとして、
背徳に走る人間の本性をまさぐることはあっても、
自らが人間の美徳に反するようなことは一切なかった。

誠真会館の理念として、
「仁・義・礼・忠・孝・勇・信」
七つの徳を支柱に据えたい、と相談した際、
「この、忠、というのが気に入らない」
国家への「忠」に繋がるという理由で猛反発をされた。
「この忠とは、まごころ、と読みます」
国はもちろん、体制や組織への「忠」ではなく、人への「まごころ」という意味です、と解説すると、
「そう捉えるか・・・井上クンらしくて良い」
苦笑しつつも最後には納得されていました。

「徳」などとは無縁の「堕落」や「破滅」する人間たちを描いてきた方でしたが・・・。
絶筆となった雑誌への最後の寄稿文では、
「この国は世界に冠たる自殺大国・・・(中略)・・・ゴキブリのようにしぶとく生き残れ」
と我々後輩たちに言い遺しています。



映画界の一部の人たちの間では、
「神波はよくケンカする」
との噂が流れており、
小生もそのケンカの現場に居合わせ、何度も仲裁に入った覚えがあります。
しかし、ケンカの中身は、どれもがたわいないもので、そして、どのケンカもカワイイもの。
まるで、幼稚園児が酒に酔ってクダをまく、ような滑稽さがありました。

書けば、多面的に広がっていき、キリがありません。
ただ、間違いなく言えるのは────、
数多くの人たちから、とことん愛された方でした!

小生が日本酒を好きになったのは、
神波先生の影響です。
ん〜?
なんだか、昼間から飲みたくなってきた。
いかんいかん。

この辺で切り上げます。
井上の生涯で神波先生に出会ったことは大きな財産です。
天国まで届け、感謝の押忍!








posted by 井上誠吾 at 11:54| 日記